『ゼロの焦点』

『ゼロの焦点』

原作:松本清張 / 監督:犬童一心 / 脚本:犬童一心、中園健司 / 製作:本間英行 / 製作プロデューサー:川田尚広 / エグゼクティヴプロデューサー:服部洋、白石統一郎、市川南、梅澤道彦 / 製作総指揮:島本雄二、島谷能成 / 撮影:蔦井孝洋 / 美術:瀬下幸治 / 照明:疋田ヨシタケ / 衣装:半田悦子 / 装飾:遠藤雄一郎 / VFX:荒木史生 / 編集:上野聡一 / 録音:志満順一 / 音楽プロデューサー:岩瀬政雄 / 音楽:上野耕路 / 主題歌:中島みゆき『愛だけを残せ』(YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS) / 出演:広末涼子中谷美紀木村多江杉本哲太、崎本大海、野間口徹黒田福美市毛良枝本田博太郎西島秀俊鹿賀丈史 / 配給:東宝

2009年日本作品 / 上映時間:2時間11分

2009年11月14日日本公開

公式サイト : http://zero-focus.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/11/17)



[粗筋]

 昭和32年、12月。鵜原禎子(広末涼子)は結婚してわずか1週間の夫・憲一(西島秀俊)を駅で見送った。金沢での引き継ぎを済ませるための出張であり、1週間で帰宅する予定になっていた。

 だが1週間後、憲一は帰らなかった。3日を経ても音沙汰がないことを、憲一の兄・宗太郎(杉本哲太)は一時的な浮気心だ、と笑い飛ばしたが、どうしても気懸かりの晴れない禎子は、自ら金沢へと赴く。

 だが、現地でも憲一の居所を探る手懸かりはなかなか見つからなかった。それどころか、憲一が妻である自分にも、親しい同僚にも多くの秘密を抱えていたことを知る。金沢では下宿をしている、という話だったが、1年近く前に引き払っており、何処に暮らしていたのか知る者はない。憲一自身が開拓した、という大手の取引先である室田耐火煉瓦の社長・室田儀作(鹿賀丈史)や、懇意にしていたというその妻・佐知子(中谷美紀)とも接触したが、芳しい手懸かりは得られない。

 一方で、奇妙な事実が次第に禎子の前に現れていく。憲一が失踪する前、東京に送り届けた荷物に紛れ込んでいた2枚の写真。そのうちの1枚は、何故か室田夫妻の暮らす自宅を撮したものであった。そして、京都に出張しており、あとからやって来て憲一の捜索を手伝う、と言っていた義兄の宗太郎を、禎子は何故か金沢で目撃する。

 やがて、思いがけない形で禎子を悲劇が襲った。宗太郎が、金沢から離れた鶴来の旅館で、殺害されたのである。

 宗太郎は鶴来の旅館で誰と会っていたのか、憲一の行方についてどんな手懸かりを持っていたのか? 宗太郎の葬儀のため東京に戻らざるを得なくなった禎子は、憲一の後輩である本多(野間口徹)に幾つかの疑問について調べるよう頼んで現地を離れるが、間もなくふたたび金沢に呼び戻される……



[感想]

 日本の推理小説というジャンルにおいて偉大な足跡を残した松本清張だが、亡くなった直後は、いずれその名が消えてしまうことを危ぶむ声もあった。執筆された時代の世相を反映した“社会派”と呼ばれるスタイルが、時代を超えて語り伝えられるうえで障害になる、と考える者が少なくなかったせいだが、そうした声に反して、没後17年を経たいまも、清張の作品は存在感を発揮し続けている。

 それは清張の作風が単純に世相を切り取った一過性のものではなく、時代を隔ててもなお理解できる表現力と、優れたテーマ性を備えていたからだろう。『点と線』で提示した東京駅での“空白の時間”というアイディアは未だ燦然と輝いているし、実は極めてトリッキーな『砂の器』も、野村芳太郎監督による映画版のイメージで読み始めると別の驚きを味わうだろう。

 だからだろう、ここ数年にも松本清張作品は頻繁にテレビドラマが制作されている。そして生誕100周年を迎えた2009年に、清張サスペンスの代表作の映画化である本篇が公開された。

 節目に発表される、という重要性を作り手も強く意識していたからだろうが、昭和30年代にこそ相応しい物語である、ということに配慮し、時代を巧みに再現しつつも、そのことに若い観客が戸惑わないような工夫もなされた、親切だが決して軽くない作りに好感が持てる。まず冒頭で、学徒出陣などで無謀な延命を繰り返した第二次世界大戦での日本の様子を当時のフィルムによって描き出し、そこからの復興、そして主人公・禎子と焦点となる鵜原憲一の出逢いへ繋いでいく。

 どこか謎めいて、暗い魅力を放つ憲一との結婚、東京駅での別れの場面からすぐに失踪し、金沢へと舞台が移ると、直接繋がりのない、しかし不気味な出来事が相次いで立ち現れ、やがては死者も出る。警察や探偵、捜査官の類が登場するミステリーとは異なる、日常の延長上に突如として死が現れてくる恐怖、緊迫感が静かに、しかし確かなリズムで繰り出されており、やもすると狂騒的になりがちなテレビドラマとは異なる、圧倒的な重量感を伝える話運びが出色だ。

 近年、この時代を採り上げる映画やドラマは少なくない。セットのみでは再構築しきれない時代の空気を、CGを利用することで更にリアルに再現できる、と証明されて以来の流れだが、きっかけが『ALWAYS 三丁目の夕日』の大ヒットであったせいか、全般にノスタルジーを押し出しがちになっているなかで、あくまでも物語の必然性から当時の空気を描き出すことに執心しているのも特徴的な一面である。最初に発覚する殺人事件では、「パンパンぐらいしか着ないような、サングラスに派手な赤いコートの女」というのが重要な鍵を握ってくるが、現代ではサングラスも真っ赤なコートも決して珍しくはないし、ましてそれらをイコール外国人相手の娼婦と結びつけることもない。有名な女優を起用しているから、と安易に着飾らせたりせず、時代の色彩をなるべく巧く押さえているから、そういうところが自然に受け止められるのだ。

 中心となる俳優たちの佇まいも、この“昭和30年代を舞台にしたサスペンス”の香気作りに貢献している。愛らしくも清楚な雰囲気を纏った広末涼子は無論、新妻にもなかなか自分の過去を語ろうとしなかった、謎を引きずる夫を演じた西島秀俊、戦後の混乱から地元で圧倒的な権勢を誇る企業を立ち上げた大物に扮した鹿賀丈史、女権運動に邁進するその妻の中谷美紀、企業の論理がものを言う時代の冷たさを生々しく表現した本田博太郎、そして時代の闇を引き受けたかのように幸薄い空気を漂わせる木村多江など、いずれも何処かしら記憶に留まる演技を示している。こと、すべての首謀者を演じた人物は物語の展開に合わせて非常に多彩な変化を見せており、畢生の名演と言ってもいいかも知れない。

 はっきりと色彩に現代的な、テンポのいい演出によって観客を引っ張り、ラスト30分以上を費やして描かれる事件の背景、そして怒濤の決着に至るまで見応え充分だが、個人的にはいささか詰め込みすぎたのではないか、という嫌味はある。終盤の出来事の幾つかは観る側の想像に委ねて、潔く切ってしまった方がより怜悧な、膨らみのある余韻をもたらせたように思う。

 しかし徹底してアイディアを詰め込んだクライマックスの迫力は凄まじい。とりわけ、それまでの出来事を踏まえ、衆人環視のなか、ひと言でとどめを刺すあのシーンは鮮烈である。

 緻密な伏線を論理で解体していく謎解きとは異なる、じわじわと秘密の断片が浮き上がり、それを最後に組み合わせていく、まさにこれぞサスペンス、という王道のストーリー展開。舞台を冬の日本海、しかも断崖に設定しているのも今となっては定番だが、すべてが必然性に支えられているからこそ、印象は際立っている。

 名作と呼ばれる作品には、やはり支持されるだけの理由があり、それを誠実に、きちんと咀嚼すれば、今でも充分に観客を惹きつける映画に出来る、と証明した作品である。



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