『ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション』

『ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション』

収録作品

RYAN [ライアン] 原題:“Ryan” / 監督:クリス・ランドレス / 2004年

『ライアン・ラーキンの世界(ダイジェスト版)』 / 監督:ローレンス・グリーン / 2004年

『シランクス』 原題:“Syrinx” / 監督:ライアン・ラーキン / 1965年

『シティスケープ』 原題:“Cityscape” / 監督:ライアン・ラーキン / 1966年

『ウォーキング』 原題:“Walking” / 監督:ライアン・ラーキン / 1968年

『ストリート・ミュージック』 原題:“Street Musique” / 監督:ライアン・ラーキン / 1972年

『スペア・チェンジ 小銭を』 原題:“Spare Change” / 監督:ライアン・ラーキン、ローリー・ゴードン / 2008年

配給:Transformer×TORNADO FILM

1965-2008年カナダ作品 / 上映時間:44分

2009年9月19日日本公開

公式サイト : http://www.ryan-animation.com/

ライズXにて初見(2009/09/19) ※山村浩二×土居伸彰トークショー付上映



[概要]

 2005年のアカデミー賞で、短篇アニメーション部門を獲得した作品が、世界にライアン・ラーキンという存在と名前とを知らしめた――一部の人にとっては、思い出させた。

 ライアン・ラーキンは1968年、彼が25歳のときにやはりアカデミー賞短篇アニメーション部門にノミネートされた作品『ウォーキング』で斯界を瞠目させた男である。当時のアニメーション作家の多くが、この作品の影響を免れられなかったと言われている。人が歩く様を、様々なタッチで淡々と綴るこの短篇が齎した衝撃は極めて大きかった。

 その後、1972年に『ストリート・ミュージック』を発表し、彼に対する期待はいっそう高まったが、しかしライアン・ラーキンはこの作品を最後に、表舞台から姿を消す。

 やがて人々がその名を忘れ去った頃、ライアン・ラーキンは路上にいた。道行く人々に小銭を乞い、僅かな食事と酒を確保すれば足りる、という生活を送っていた。

 噂を聞きつけたある人物が、彼を北米最大のアニメーション映画祭に審査員として招いたことが、のちにクリス・ランドレスに、アニメーションでドキュメンタリーを描く、という異色の手法による傑作『ライアン』を製作するきっかけを齎した。

『ライアン』のアカデミー賞受賞によって、伝説の名前はふたたびアニメーションの世界に響き渡る。依然として路上生活を続けるライアンのもとを若い崇拝者が訪れるようになり、遂に彼に『ストリート・ミュージック』以来となる新作を手懸ける決意へと導いた。

 だが、ライアンは新作を完成させることなく、2007年にガンでこの世を去る。路上生活時代に交流のあったバンド“チワワ”の一員であり、晩年に彼を保護したローリー・ゴードンが仲間たちの協力を仰いでどうにか完成させた遺作『スペア・チェンジ 小銭を』を含めて、わずか5作品――それが、ライアン・ラーキンという伝説のアニメーション作家の残した作品のすべてであった……



[感想]

 概要に記した『ライアン』は2005年、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の奇妙な映画『NOTHING [ナッシング]』が日本で公開されたときに同時上映されており、私はその際にいちど鑑賞している。作中でこれほど赤裸々に内面を抉られてしまったライアン・ラーキンなる人物の胸中は如何ばかりか、と感じ、彼の作品に少しばかり関心を持ったが、観る機会を得られないまま今日に至っていた。彼の作品に限らず、一般の観客が短篇アニメーションに触れる機会はほとんどないのである。新作情報を調べていたときに本篇の情報を発見、その名前とヴィジュアルにピンと来て、数年振りに『ライアン』のことを思い出した私は、だから公開を待ち望んでいたのだ。

 神話に題材を得た『シランクス』を除いて、全盛期のライアン・ラーキンの作品には明確な筋というものがない。『シランクス』にしても、予備知識がなければ他の作品と近しいものに映る――奔放極まりないイメージの洪水だ。

『シランクス』のあとに発表されたが、実際にはカナダ映画制作庁に就職した直後、テスト的に作ったものだという『シティスケープ』からして、木炭で描かれた街の喧騒の各所から人間が湧き出てはふたたび背景に溶けていくという繰り返しの奔放な展開に幻惑されてしまうし、全盛期最後の作品『ストリート・ミュージック』など、モチーフの変幻自在ぶりに呆気に取られてしまう。

 彼の名を一躍世間に認知させた傑作『ウォーキング』など、最初こそ写実的なタッチで描かれた人物の歩く動作をシンプルに表現していたのに、次第に線は単純化し、動きは逆に飛び跳ねたり側転したりと複雑化していく。徹底的にデフォルメしていても人間の動作に必要な関節などは的確に捉えていて、それが人であることが解る、観察力と画力が驚きだ。今回の上映作のなかで序盤に置かれているドキュメンタリーにおいて、彼を起用した人物は「ロトスコープ技法(実写をトレースして描く手法)だろう、と言われるが、まったく違う。彼はすべて手で描いていた」と訴えていたが、そう懸命に主張しなければならないほど完璧に動きを表現しているのだ。なるほど、当時のアニメーション作家すべてに影響を及ぼした、というのも頷ける、驚異的な作品である。

 こうした作品群に触れられる、という一事だけでも本篇には一見の価値があるが、しかしそれ以上に私が本篇を観て興味を抱いたのは、作品をライアンのドキュメンタリーと併せて発表年代順に並べて上映したことで見えてくる、作品の発展とライアンの人生とのシンクロぶりだ。

 初期の2作品は非常に内省的で、世間に対してアプローチする、というより、表現手法の行く先を自らに問いかけているような仕上がりだ。だがそんな彼の関心は、『ウォーキング』で一気に世界へと解き放たれる。“歩く”という行為への関心が人間の活発な動作への興味へと拡がり、まるで知ることを楽しむ子供のように際限なく膨れあがっていく。その好奇心はライアンの奔放な想像力と結びつき、『ストリート・ミュージック』で遂に余人には捉えられないほどの領域に達してしまうのだ。

 こんな風に解釈できるのも、冒頭に3Dアニメーションを用いた異色のドキュメンタリーである『ライアン』に、ダイジェストではあるが実写によるもうひとつのドキュメンタリーを予め見せてくれるからに違いない。『ライアン』は往時の彼がどのような意識の変遷を辿ったのかをユニークな表現で、しかし的確に描写しているし、第三者のコメントも併せて綴った『ライアン・ラーキンの世界』はそこに客観性を付与して、ライアン・ラーキンという人物の実像をよりはっきりと感じさせる。ここに実際の作品が添えられることで、まるで掌でライアンという人物の肉体に触れているような感覚さえもたらすのだ。

 そして、こうした前提のうえで遺作『スペア・チェンジ 小銭を』を鑑賞すると、恐らく単体で鑑賞したのとはまるで異なる感慨を抱くことになる。

 この作品はライアン自身が出演し、序盤は明確な台詞も筋も存在しており、またシンプルな描線による人物像が新鮮な印象を与えるものの、やがてライアンの似顔絵を盛り込みつつも旧作の焼き直しのような表現が繰り返されるに至って、全体のイメージがぼんやりとしたものに変わっていく。本篇の構成で鑑賞すると、なまじ直前に『ストリート・ミュージック』があるだけに、ライアンの表現者としての衰え、第三者が加わったが故の劣化を強烈に感じてしまう。画力もイメージの膨らみも、『ストリート・ミュージック』や初期2作品にまるで及ばないのだ。

 だが、冒頭のドキュメンタリーで示された事実を敷衍すると、その仕上がりはまさにライアンの晩年を象徴しているように映るのだ。ドラッグや酒で才能を消耗し、他人の論理によって翻弄され掻き乱され、路上生活で肉体を摩耗させると、挙句に偶像化され、昇天する――遺作を完成させたスタッフがどのように考えていたのか、また遺作終盤の展開がどれほどライアンの意向に添っているのかは不明だが、見事にライアンの生き様とシンクロした表現は、観ていて感動を覚えるほどだ。

 冒頭にドキュメンタリーを据え、そのあとに彼の作品を発表順に並べた、というシンプルな構成にしたことが見事に的を射た本篇は、全体でも非常に良質の映画に仕上がっている。ただライアン・ラーキンという不世出のアニメーション作家が創造した優れた作品に触れられる以上の価値が本篇にはある。