『ローマの休日』

『ローマの休日』

原題:“Roman Holiday” / 監督・製作:ウィリアム・ワイラー / 原案:ダルトン・トランボ / 脚本:イアン・マクレラン・ハンター(※ダルトン・トランボの別名義)、ジョン・ダイトン / 撮影監督:フランク・F・プラナーアンリ・アルカン / 美術監督:ハル・ペレイラ、ウォルター・タイラー / 編集:ロバート・スウィンク / 衣装:イーディス・ヘッド / 音楽:ジョルジュ・オーリック / 出演:オードリー・ヘップバーングレゴリー・ペックエディ・アルバート、テュリオ・カルミナティ、パオロ・カルソーニ、ハートリー・パワー / 配給:Paramount Pictures

1953年アメリカ作品 / 上映時間:1時間58分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫

1954年4月19日日本公開

2003年9月13日デジタル・リマスター版日本公開

2006年4月20日DVD日本最新盤発売 [bk1amazon]

公式サイト : http://www.roman-holiday.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/07/07)



[粗筋]

 ヨーロッパ最古の王室、次期王位継承者であるアン王女(オードリー・ヘップバーン)がヨーロッパの各国歴訪を始めて数ヶ月。アン王女の可憐な笑顔は各地で人々の心をときめかせていた。

 しかし当のアン王女は、連日の過密スケジュールに疲れと嫌気とを募らせていた。ローマにある大使館で癇癪を起こし、鎮静剤を打たれて眠りに就いた――ふりをしたアン王女は、衛兵たちの隙をついて搬入用トラックの荷台に潜入、大使館を抜け出してしまった。初めての解放感にはしゃいだのも束の間、直後に鎮静剤が効果を現して、アン王女は道端で横になってしまう。

 そんな彼女を発見したのは、ニューヨーク・ジャーナル紙のイタリア駐在記者ジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)という男だった。ギャンブル好きだが勝負には弱く、年がら年中からっけつのブラドリーは、その夜も友人のカメラマン、アーヴィング・ラドビッチ(エディ・アルバート)らに散々カモにされた挙句、翌日のアン王女への取材に備えて、泣く泣く早めに切り上げたところだった。

 ブラドリーはまさかそれがアン王女であるとも知らず、道端で無防備に寝転がる女に注意するが、鎮静剤が効いて前後不覚に陥っているアン王女はもはやろくに自分で動けない有様になっていた。捕まえたタクシーの運転手に家まで送るよう頼むが、いつ起きてくるかも知れない娘を預かることを拒まれ、結局ブラドリーは彼女を家に泊める。

 娘に振り回されたのが災いしたか、翌日ブラドリーが目醒めたのは、アン王女との会見があるはずだった時間。とりあえず出社し上司(ハートリー・パワー)を適当にごまかそうとするが、嘘は簡単にばれてしまう。何故ならアン王女は突然の病によりその日の予定をすべてキャンセルする旨発表があり、当日の新聞はこぞって一面で報じていたからだ。

 しばし途方に暮れたブラドリーだったが、新聞の一面に掲載されたアン王女の写真を見て愕然とし――特ダネの予感に興奮する。このときようやく彼は、自分が道端で拾ったのが、いま世間で誰よりも注目されている人物だということに気づいたのである……



[感想]

 ここでも何度か語っていることだが、映画好きと言い条、私には古典の素養がまったくと言っていいほど、ない。映画に嵌ったのがまだ数年前のこと、しかも劇場での封切り作品を中心に鑑賞し、ごく最近までレンタルも利用していなかったので、過去の作品に触れる機会がほとんどなかったせいだ。ごく稀にやや古い作品の感想が紛れ込むのは、映画祭やリヴァイヴァル上映の企画があった場合に限られる。ネットを経由した月額レンタルを利用し始めたことで、過去の作品に触れる機会も増えたので、今後は次第に変わっていくかも知れないが、未だに古典的作品についての知識はともかく、実際に鑑賞した経験はまだまだ乏しい。

 そういったわけで、よく行く劇場にて実施された、過去の名作を上映する企画にて本篇がかかることを知り、いまさらながら鑑賞したわけだ。

 映画史に残るラヴ・ストーリーとしてアンケートを取ると必ず上位に食い込むほど定着した傑作なので、いまさらその出来映えについて説く必要はないだろう。だが、自分でも抱いていたイメージと実物とのあいだに意外な差違が存在したので、その点について触れておきたいと思う。

 本篇はいわばラヴ・ロマンス映画の定番というイメージがあったのだが、実際に鑑賞してみると、少し印象は異なる。確かに最終的に王女と新聞記者は惹かれあい、それが終盤の切ない別れと印象的なラストシーンに繋がっていくわけだが、そこに至るまでの描写は基本的にロマンスというより、世間知らずのお姫様と、特ダネをものにしようと彼女を追い結果として振り回される新聞記者が織り成すコメディ、といったほうが相応しい。

 その滑稽な交流がやがて王女にとってかけがえのない想い出になり、やがて恋心として昇華されているのは事実だが、過程においてふたりの間で甘やかな会話や駆け引きなどはほとんど存在していない。初対面の新聞記者に無防備に頼ってしまう王女の様子に、どこか浮世離れした立ち居振る舞いでローマの人々と接する王女の姿、特ダネをものにするために呼びだしたカメラマンを交えての微妙なやり取りに、極めつけは王女の運転するスクーターが起こした大騒動。いずれもコミカルで印象的だが、そこで描かれるのは恋する者同士の、或いは一方の切ない想いを反映したやり取りではなく、あくまで天真爛漫な王女と、そんな彼女からどうにかネタをもぎ取ろうとする記者の必死な言動の微妙なすれ違いだ。

 クライマックス手前までの本篇の雰囲気は終始そんな感じなのだが、感心するのはそのユーモラスなやり取りのなかに、心の変化をさり気なく織りこむ構成の巧みさである。記者のほうについて言えば、面倒な女を抱えこんでしまった、という困惑の表情から一転、王女の関心を惹き特ダネをものにしようと躍起になり色濃い絡みではない意味で甘い態度を取り、最後には彼女の姿を追いながらもギリギリまで王女が浮き世の楽しみを味わえるように配慮をはじめる。他方、終始世間知らずで天真爛漫、スタンスが変わらないように見える王女もまた、話が進むにつれて記者に心を開いているのが解る。甘い言葉やロマンティックなシチュエーションを設けずとも、恋愛の過程を着実に辿っている。

 シンプルで解り易い、それでいて完成された隙のないプロット。こういう土台があって、更にローマという土地の個性を活かした美しい映像に、これが本格的なデビューであったオードリー・ヘップバーンの、だからこそ混ざりもののない澄んだ可憐さが乗せられることで魅力を増し、あの抑制の利いた、それでいて嫋々たる余韻を伴うラストシーンに結びついている。

 やはり、50年を超えてなおも残る映画は格が違う。遅くはなったが、劇場で鑑賞できたのは幸運だった。