『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』

『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』

原題:“I Come with the Rain” / 監督・脚本:トラン・アン・ユン / 製作:フェルナンド・サリシン、ジャン・カゼ、ジャン=ピエール・アンチア / 製作総指揮:サイモン・フォーセット、アルバロ・ロンゴリア、ジュリー・ルブロキー / 撮影監督:ファン・ルイス・アンチア,ASC / 美術:ブノワ・バルー / 編集:マリオ・バティステル / 衣装:ジュディ・シュルーズベリー / 音楽:レディオヘッドグスターボ・サンタオラヤ / 出演:ジョシュ・ハートネット木村拓哉イ・ビョンホン、トラン・ヌー・イェン・ケー、ショーン・ユーイライアス・コティーズ / セントラル・フィルム製作 / 配給:GAGA Communications

2009年フランス作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:太田直子 / PG-12

2009年6月6日日本公開

公式サイト : http://icome.gyao.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/06/12)



[粗筋]

 連続殺人犯を巡る駆け引きで心を病んで警察を退職、現在は探偵業に携わっているクライン(ジョシュ・ハートネット)に、大掛かりな人捜しの依頼が舞い込んだ。依頼主は一代で製薬会社を成長させた有力者、捜すのはその息子・シタオ(木村拓哉)。

 彼は3年前に家を出ると、1年後、フィリピンのミンダナオ島へ1万ドルを送金して欲しいという連絡があり、1度目は黙って送金した父親だが、2度目は探偵を送りこんで調査をさせた。“孤児院への善意の寄付、送金しても問題はない”という返事のあと、その探偵も消息を断ち、今ようやく父親は、息子を連れ戻すために手を打つ気になったのだ。

 さっそくフィリピンに飛んだクラインは、先行して現地入りし行方をくらましていた探偵を孤児院に発見、接触して証言を得る。老いた探偵は、シタオはしばらく前に殺害された、と語った。父親に頼るのではなく、近くの企業や富豪から寄付を募る形で孤児院を支えるようになっていたシタオは、ある富豪の部下に射殺され、森の奥に放置されたらしい、と言う。だが探偵は同時に、奇妙なことを口にした。シタオはそこで死なず、ある情報によれば香港に渡り、潜伏しているらしい。自分なら、香港へ飛ぶだろう、と。

 半信半疑のまま香港に移ったクラインは、在職中に交流のあった刑事ジョー・メンジー(ショーン・ユー)のもとを訪れ協力を要請する。メンジーは快諾したが、しかしそう簡単には見つからないだろう、と推測した。如何せん、手掛かりが少なすぎる。

 このときクラインは気づいていなかった。シタオは本当に香港に潜伏し、一瞬すれ違っていたのだ。そして彼らの運命は、メンジーとも因縁のあるマフィアのボス、ス・ドンボ(イ・ビョンホン)をも含めて、次第に絡まっていく……



[感想]

 舞台は主にフィリピンと香港、風俗も多少描かれているが、本篇を包む空気はあまり国籍を特定しづらいものだ。キャストからして、主役格の探偵クラインはアメリカのジョシュ・ハートネット、重要な位置づけで登場するのは日本の木村拓哉と韓国のイ・ビョンホンと、それぞれ舞台とは異なる国から集められている。

 本篇のカラーは何処の映画にいちばん近いかと問われれば、やはりトラン・アン・ユン監督の育ったフランスのそれだろう。アジアの精力に満ちあふれた原色の景色を織り込みながらも、タッチは洗練され映像美に優れている。何より、意味深で、観る者をはぐらかすような語り口は、一般的なフランス映画のイメージに近い。

 しかし序盤では、特に“ああ、フランス映画だ”と感じるような瞬間はない。静かながら緊迫感のあるシーンで始まり、探偵小説のような依頼のくだりを経てフィリピンに舞台が移ると、次第に細かなサスペンスが鏤められていく。トーンは穏やかだが、じわじわと盛り上がりを演出しており、優秀な娯楽映画ならではの洗練されたテンポがある。

 惹きつけられるストーリーテリングに、最後までスクリーンに釘付けになるが、人によってあの終盤の成り行きは期待外れに映るだろう。提示された謎や意味深な描写の大半が、ろくに説明もつけられずに放置されてしまうからだ。クラインが刑事を辞めるきっかけになった過去と、シタオを巡る物語との結びつきを何処に求めているのか、という象徴的な部分もそうだが、シタオが何故他人の傷を癒せるようになったのか、マフィアのボス・ドンボは何故恋人のことにだけはすぐ逆上するようになったのか、等々。観終わったあと、遡行して内容を辿っていくと、この結末にとってどういう風に必要だったのか、は明白なのだが、サスペンスとして眺めたとき、不親切な印象は禁じ得ない。

 本篇は、提示された謎の源が明示されることを求める人よりも、それが物語の中でどんな役割を果たすのか、どんな意味合いを持っているのか、積極的に裏を勘繰るような人、解釈の幅が生み出す作品世界の奥行きに魅せられるような人にこそお薦めするべき作品だろう。勘繰り始めれば、実に興味深い描写が無数にある。たとえば、シタオはある出来事を契機に能力を開花させたように描かれているが、果たして本当にそうなのか。クラインに先行した探偵が調査後に戻らなかった事情と何か関わりはないのか。或いはクラインの、相手の心理に踏み込むことでその行動を読む、という技術は何故シタオに対しては通用しなかったのか。そもそもそのクラインが過去に追っていた事件、その経緯に多く、伏せられたままの部分があるのも興味深い。主題に直接絡まない部分――あの犯人の行動原理、犯人がクラインに対して望んだことなどは、物語の結末から遡行するとあまり語る必要性がない――だから排除されたと思われるが、それでもサイコ・サスペンスの類を愛好する向きなら関心を持つはずだ。意識して過剰に構築しただけで、特に背景まで練っていない、というところもあるだろうが、それさえも魅力的に映るのだから、表現としての洗練度は高い。

 まるで何かの手に操られるかのように、それぞれが各々の役割を果たし、象徴的な結末を迎える。だが、その先を安易にひけらかすことはない。監督は「観客が酔ってしまうような映画にしたかった」といった趣旨のことを語っていたそうだが、まさにそんな舌触りで、盛り込まれた様々な要素、放り出された描写、そういったものが記憶に留まり、観終わったあともしばらくぐるぐると舞い踊っているような感覚は、酩酊、という表現が似つかわしい。綺麗に纏まり、はっきりとした締め括りのある作品ではあり得ないような余韻が堪能できる。

 上では“フランス映画に近い”と評したが、だからと言って既存のフランス映画の枠に収まるようなものではない。監督はベトナムに出自を持つフランス人、各国から集められたキャスト・スタッフによって作りあげられた本篇のムードは、唯一無二と言っていいだろう。

 それでもなお、もう少しはっきりとした説明をつける部分が多くてもいいんじゃないか、不親切も少々度が過ぎる、という感は否めないが、映像の美しさと表現の練度は素晴らしく、噛み応えのある作品である。



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