『グラン・トリノ』

『グラン・トリノ』

原題:“Gran Torino” / 監督:クリント・イーストウッド / 原案:デイヴ・ヨハンソン、ニック・シェンク / 脚本:ニック・シェンク / 製作:ロバート・ロレンツ、ビル・ガーバー、クリント・イーストウッド / 製作総指揮:ジェネット・カーン、ティム・ムーア、ブルース・バーマン / 撮影監督:トム・スターン,AFC.,ASC. / 美術:ジェイムズ・J・ムラカミ / 編集:ジョエル・コックス,A.C.E.、ゲイリー・D・ローチ / 衣装:デボラ・ホッパー / 音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス / 出演:クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー、コリー・ハードリクト、ブライアン・ヘイリー、ブライアン・ホウ、ジェラルディン・ヒューズ、ドリーマー・ウォーカー、ジョン・キャロル・リンチ、スコット・リーヴス、ブルック・ジアー・タオ、ドゥーア・ムーア / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2009年4月25日日本公開

公式サイト : http://www.grantorino.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2009/04/25)



[粗筋]

 妻の死を境に、ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は事実上、ひとりぼっちになった。ふたりの子供も孫たちも健在だが、ウォルトの狷介な気性のためにすっかり溝が出来ており、葬儀のあとの晩餐が済むと逃げるように帰ってしまう。亡くなる直前、夫が孤独を味わうまいと気遣った妻の頼みで接近してきたヤノビッチ神父(クリストファー・カーリー)でさえ、「神学校出の、何も知らない童貞」と切り捨ててしまう始末だった。

 彼の暮らすデトロイドの街も、ウォルトがフォードの工場で勤めていた頃とはだいぶ住民が入れ替わり、アジア系やヒスパニックが増えている。気づけば隣家にも、アジア系の一家が越してきたことに、ウォルトは不快感を募らせていた。

 当の新しい隣人、モン族に属する一家の末子・タオ(ビー・ヴァン)は、聡明だが周囲に流されやすい、気弱な少年である。越して来るなり、近くに住む従兄の自称スパイダー(ドゥーア・ムーア)が加わっている不良グループに目をつけられたタオは、「男にしてやる」という言葉と共に、隣家に盗みに入るよう命令された。標的は、ウォルトが大切に磨き上げたヴィンテージ・カー、“グラン・トリノ”。

 しかし、スパイダーたちの目論見は、物音に気づいたウォルトが駆けつけて、あっさりと水泡に帰した。1回で懲りたタオは、以後従兄たちに従おうとしなかったが、憤った不良たちは家の前でタオに暴行を加える。ウォルトはそんな彼らにも、容赦なく銃口を向けた。

 ウォルトとしては、傍若無人に振る舞う若者への苛立ちと、何よりも自分の家の芝生を荒らされたことに憤っただけだったのだが、この行為は意外な反応を生む。タオの親族はウォルトに感謝し、彼の家の前に大量の贈り物を残していったのだ。タオの母(ブルック・ジアー・タオ)にタオの姉・スー(アーニー・ハー)からも直接感謝と謝罪の言葉を投げかけられたが、ウォルトはただ困惑するほかない。

 別の日、軽トラックで出かけていたウォルトはスーと彼女のボーイフレンドが黒人たちに絡まれている現場に偶然遭遇した。素通りすることも出来ず彼女を助けてトラックに乗せたウォルトは、スーの礼儀正しさと、彼の悪口雑言にもめげない度胸、聡明さに感心する。

 そうしてウォルトは思わぬ形で、かつては忌み嫌っていた“隣人”との交流を深めていった。やがて彼は、身内とのあいだに溝を生じ、孤立していた自分が、初めて身近に感じられる人々に出逢えたような感覚を覚えはじめる……



[感想]

 間もなく80歳に差しかかろうというクリント・イーストウッドであるが、未だ創作意欲は衰えを知らないらしい。今年は既にアンジェリーナ・ジョリー主演による社会派サスペンス『チェンジリング』が好評を博したが、僅か2ヶ月で本篇が日本で公開された。配給元の事情や輸入時期の兼ね合いもあったのだろうが、大物となった映画監督が次第に寡作となっていくのが普通の世界で、年に1本から2本はコンスタントにリリースし、しかもそのすべてが高い質を維持しているのだから、ただただ恐れ入る。

 監督としての活動は盛んになりながら、俳優としての出演は控える方向にあったイーストウッドが久々に自ら主演した本篇もまた、信じがたいほどの完成度を示している。

 イーストウッドが本篇で演じている主人公ウォルトは、朝鮮戦争に加わった経歴のある元整備工で、かなりの差別主義者、という昨今の映画では主役を張らない、登場したとしても大物は積極的に演じそうもない類のキャラクターだ。本篇序盤ではそういう人物の極端な言動を、だが不思議なほど愛嬌を感じさせるタッチで描き出す。直前に日本では僅か2ヶ月前に公開された、ヴィジュアルから語り口の隅々まで静謐に浸した『チェンジリング』とまるで異なるトーンで、幅の広さが感じられる。

 主人公は頑固な性格もあって子供たちの一家とも疎遠になり、孤独な境遇にあるが、しかし隣家の人々が本格的に拘わってくるあたりから、本篇の描写はどこかホームドラマのような雰囲気を醸し始める。頑迷なウォルトに気さくに手を差し伸べるスー、言葉が通じないままウォルトに料理を贈りさながら餌付けしている女性達、そして罪滅ぼしの名目で身柄を押しつけられたタオとの交流。まるで、分からず屋の祖父が久々に出逢った家族と絆を温めていく様を描いているかのようだ。ウォルトの亡くなった妻の頼みで、辛抱強く彼のもとを訪れる神父との会話でさえ、暖かなユーモアが滲む。

 だが、ウォルトとタオがまるで師弟のような関係を築きあげたとき、序盤で示された不安要素がそれまでの和やかさを軋ませ、物語は急速に沈鬱なムードを帯びてくる。なまじ、ホームドラマと見紛うような暖かさを丹念に描いてきただけに、中盤以降のインパクトも強烈だ。そして、この流れがあるからこそ、クライマックスでウォルトが示す行動が真実味を帯びて胸に迫ってくる。

 本篇もまた、広告で“衝撃のラスト”を謳っている作品だが、私自身は予備情報から「これしかないだろう」と結末を予測し、実際その通りの決着であった。しかし、だからと言って失望は感じていない。むしろ、最後にどういう展開になるか予測がついたからこそ、終盤に差しかかり、決意を固めたウォルトの行動の意味が解って、胸が熱くなる。そしてそのときに至ると、意識していなかった多くの言動までがきちんと伏線として丁寧に扱われていることに、驚きと感動を新たにした。

 往年のイーストウッド・ファンの目からすると、『ダーティハリー』やその他の出演作で彼が演じてきた役柄を総括し、決着をつけるような振る舞いであったことからも、本篇に深い感慨を抱く理由になっているようだが、そのことをあまり意識する必要もないだろう。人生の終盤に差しかかって彼を襲った心境の変化と、クライマックスでのあまりに穏やかな表情、そして最後の場面での彼の姿が、本篇の中で語られなかった彼の過去をも包括して、いつまでも強く、優しい余韻を胸のうちに響き渡らせる。

 ウイットに富み、ユーモアもあり、非情さも留めながら物語の底に流れるものはとても優しい。とても哀しい物語でありながら、観終わったあと暖かな何かを残さずにおかない、掛け値無しの傑作である。イーストウッドが本篇で演じるウォルトは具体的に語らないながらも無神論者を通しているようだが、ここ数年の作品群に触れた目からすると、もはやイーストウッド自身は“映画の神”の域に達しているような気がしてならない――その神々しさも、けれどとても親しげに感じる暖かな眼差しも。



関連作品:

ミリオンダラー・ベイビー

チェンジリング