『ウォッチメン』

『ウォッチメン』

原題:“Watchmen” / 原作:デイヴ・ギボンズ[画](小学館集英社プロダクション・刊) / 監督:ザック・スナイダー / 脚本:デヴィッド・ヘイター、アレックス・ツェー / 製作:ローレンス・ゴードン、ロイド・レヴィン、デボラ・スナイダー / 製作総指揮:ハーバート・W・ゲインズ、トーマス・タル / 撮影監督:ラリー・フォン / 視覚効果スーパーヴァイザー:ジョン・“DJ”・デジャルダン / プロダクション・デザイナー:アレックス・マクドウェル / 編集:ウィリアム・ホイ / 衣装:マイケル・ウィルキンソン / 音楽:タイラー・ベイツ / 出演:ジャッキー・アール・ヘイリージェフリー・ディーン・モーガンパトリック・ウィルソンマリン・アッカーマンビリー・クラダップマシュー・グードカーラ・グギーノスティーヴン・マクハティ、マット・フレワー、ローラ・メネル / 配給:Paramount Pictures Japan

2009年アメリカ作品 / 上映時間:2時間43分 / 日本語字幕:松崎広幸 / R-15

2009年3月28日日本公開

公式サイト : http://watchmen-movie.jp/

九段会館にて初見(2009/03/18) ※特別試写会



[粗筋]

 キューバ危機、ベトナム戦争ジョン・F・ケネディ暗殺、更にはアポロの月面着陸――アメリカを中心とした大事件の背後には、常にスーパーヒーローたちの集団、ウォッチメンの姿があった。

 だが時は流れ、10年にわたって在任するニクソン大統領の施行した条例によってその活動は禁じられる。散り散りとなったスーパーヒーローたちは、異なる道を歩き――ある者は能力や経験を活かして大成したが、退廃的に暮らし、惨めに死んでいく者も少なくなかった。

 そしてまた1人、かつてのウォッチマンが消えた。エドワード・ブレイク(ジェフリー・ディーン・モーガン)、通称コメディアンである。

 警察は強盗の犯行と判断したが、しかしかつてウォッチメンの仲間であったロールシャッハ(ジャッキー・アール・ヘイリー)は信じなかった。現役を退いたとはいえ元スーパーヒーローを、硬化ガラスを嵌めた窓から投げ落とすなどという芸当を出来る強盗がこの世にいるはずがない。ロールシャッハは、何者かがかつてのスーパーヒーローたちを狩り始めた、と推測した。

 危険を告げるために、ロールシャッハはかつての仲間たちに接触する。稀代の発明家であり、二代目ナイトオウルとして活動していたダニエル・ドライバーグ(パトリック・ウィルソン)、自らの体験を公表して巨万の富に結びつけた通称オジマンディアスことエイドリアン・ヴェイト(マシュー・グード)、実験中の事故で肉体を失った代わりにエネルギーを自在に操ることが出来るようになった物理学者のDr.マンハッタンことジョン・オスターマン(ビリー・クラダップ)に、その恋人でありかつて二代目シルク・スペクターを名乗っていたローリー・ジュスペクツィク(マリン・アッカーマン)。

 だが、それぞれに別の生活を持っている彼らの反応は、ロールシャッハが期待するほどに目覚ましくはなかった。彼は単独で、死ぬ直前のブレイクの行動を洗うことから捜査を始める。

 死の数日前、ブレイクは怯えに駆り立てられたのか、意外な人物のもとを訪れていた。その人物の名はエドガー・ジャコビ(マット・フレワー)、通称モーロック……スーパーヒーローではなく、現役時代の“コメディアン”にとって、宿命の敵と呼ぶべき男であった。



[感想]

 原作となったコミックは刊行当時、通常はSF小説に与えられるヒューゴー賞を獲得、非常に高い評価を得た作品である。当然のように大手スタジオが映画化権を巡って争ったが泥沼化、ごく最近になってようやく決着した。肝心の実写映画化にしても、著名な監督が挑戦したものの、そうした権利関係のゴタゴタや製作費も絡んだのであろうが、けっきょく実現することがなかった。

 そうした経緯から“映画化不可能”と言われていた本篇だが、ようやく完成し、無事私たちの元に届けられた。監督したザック・スナイダーはもともと高いヴィジュアル・センスで知られていた人物だが、前作『300<スリー・ハンドレッド>』においてコミック原作のテイストをCGやスローモーションを用いて的確に再現する手法を自家薬籠中にしている。その辺から期待されて起用に至った、ということかも知れない。

 本篇もまた、まるでコミックの構図をそのまま絵コンテとして用いたかのような構成に特徴がある。但し、『300<スリー・ハンドレッド>』のようにあからさまではなく、実写としての質感をきちんと表現しながら、独特な構図を映画の中に填め込んでいる。手法が洗練された――というよりは、パラレル・ワールドとはいえ近代のアメリカを舞台としているから、手触りの生々しさを重視したのだろう。事実、そのお陰でスーパーヒーローたちの、現実から妙に遊離しているような印象が明確になっている。

 基本的に、何故“コメディアン”が殺害されたのか、その背後に何があるのか、という謎の追究が中心となっているが、そのためにウォッチマン全員の過去から現在に至るまでに言及し、生身のヒーローたちを描き出しているのが出色だ。アメコミにおいてはヒーローの人間的な悩みを描くこと自体は定番となっているが、本篇の場合はヒーローが意識的に悪事に手を染めたり、暗い感情に囚われる様を抉り出し、正義という概念の危うさを観る者に突きつけてくる。次第に明らかになっていく“コメディアン”=エドワード・ブレイクという人物のダーティな側面、人間性を超越してしまったDr.マンハッタンの孤独感、そんな彼と恋愛関係を築きながらも距離感に悩み、より人間的なダニエルへと心を傾かせていくローリー。『スパイダーマン』のような青臭いものではない、清濁併せ呑んだヒーローたちのドロドロとした胸中を強烈に見せつけてくる。

 ヒーローたちの掲げる正義の形がそれぞれ一致しているわけでもなければ、必ずしも市民に歓迎されるものでもない、という考えてみれば自明な現実を重層的に描いている点でも出色だ。ヒーローの行動が疑問視された結果として、その活動を禁じる法案が提示されている世界、という発想も凄まじいが、そういう大前提の元に悲壮な覚悟を固めて真相解明に乗り出す姿は、従来のヒーローものとは異なる渋みに富んだ格好良さがある。

 丹念に丹念に築きあげられた背景のうえに明かされる真相は、だが更に強烈だ。本格推理小説の愛好家としては、もっとヒントや手懸かりがあったほうがよかったのでは、とささやかな苦言を呈したくなるし、実のところ他にもこういうニュアンスの“動機”を描いた作品は存在する。だが、重層的に描いてきたヒーローの生々しい姿をきちんと踏まえたうえで繰り出される真相は衝撃的であると同時に理解は出来るし、近しいニュアンスの“動機”を描いた作品よりも本篇の原作は先行し、更に物語への根付き方も異なるので、批判の材料にはならない。

 本作で描かれる歴史はいわばパラレルワールドで、現実とは微妙に異なっているのだが、それが結果的に現実のアメリカ社会の病弊を抉るような内容になっているのがまた見事だ。何処がどう、と細かく指摘するのは避けるが、ことアメリカが長年にわたって主張してきた“正義”が急速に説得力を失っている現代において、架空の歴史を借りることでその本質を衝いた本篇は、絶好のタイミングで登場したと言えるだろう。

 いささか尺が長く、その印象を払拭できていないのがエンタテインメントとしてはやや弱いが、長い分だけ実が詰まっており、付き合う価値はある。同じアラン・ムーアが原作を手懸けた『Vフォー・ヴェンデッタ』同様に饒舌で癖のある世界観だが、それ故に感性が合えばハマってしまいそうな作品である。

 近年アメコミ原作の映画がたくさん作られ、子供向けという印象のものもあれば『アイアンマン』のように大人向けとして洗練された作品も登場しているが、本篇は主題を徹底的に掘り下げ、ハードの極地に達した傑作である。娯楽としても上質だが、穿った世界観と美学に富んだ映像を欲する映画愛好家の欲求も確実に満たしてくれるはずだ。