『ディファイアンス』

『ディファイアンス』

原題:“Defiance” / 原作:ネハマ・テック『ディファイアンス ヒトラーと戦った3兄弟』(ランダムハウス講談社・刊) / 監督:エドワード・ズウィック / 脚本:クレイトン・フローマン、エドワード・ズウィック / 製作:エドワード・ズウィック、ピーター・ジャン・ブルージ / 製作総指揮:マーシャル・ハースコヴィッツ / 撮影監督:エドゥアルド・セラ,ASE,AFC / プロダクション・デザイナー:ダン・ヴェイル / 編集:スティーヴン・ローゼンブラム,A.C.E. / 衣装:ジェニー・ビーヴァン / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / ヴァイオリン・ソロ:ジョシュア・ベル / 出演:ダニエル・クレイグリーヴ・シュレイバージェイミー・ベルアレクサ・ダヴァロス、アラン・コーデュナー、マーク・フォイアスタイン、トマス・アラナ、ジョディ・メイ、ジョージ・マッケイ、ミア・ワシコウスカ / 配給:東宝東和

2008年アメリカ作品 / 上映時間:2時間16分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2009年02月14日日本公開

公式サイト : http://defiance-movie.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2009/02/25)



[粗筋]

 1941年、ナチス・ドイツベラルーシを占領した。地元警察はナチス親衛隊と結託してユダヤ人狩りを開始する。

 森に逃げこんでいたズシュ(リーヴ・シュレイバー)とアザエル(ジェイミー・ベル)のビエルスキ兄弟がどうにか家に舞い戻ると、既に両親は殺害されたあとだった。身を潜め辛うじて生き延びていた末弟アーロン(ジョージ・マッケイ)を助けると、3人してふたたび森へと逃走する。

 そこで長兄トゥヴィア(ダニエル・クレイグ)と合流した4兄弟だが、間もなく彼らは、森のあちこちに逃げてきたユダヤ人が集まっていることに気づく。同時に、ユダヤ人狩りの犠牲となった大量の屍体が転がっていることも。突然増えた同胞の糊口をしのぐために、トゥヴィアは父の親友コスチュクのもとを訪ね、食糧と武器を調達することにしたが、そこに折悪しく警官達が現れた。コスチュクの誘導で匿われた納屋には、ほかのユダヤ人達が多数、身を潜めていた。

 どうにか警官をやり過ごしたトゥヴィアに、コスチュクはほかのユダヤ人達も森の中に匿って欲しいと頼む。自分たちだけでも手一杯だというのに、他の者まで守り抜けるはずがない――そう感じながらも、トゥヴィアは拒むことが出来なかった。

 この日を皮切りに、森に集まったユダヤ人達は次第にビエルスキ兄弟に合流し、いつしか集団は数十人に膨れあがっていった。当初、食糧の調達を行い、成り行きから誘導を行っていたビエルスキ兄弟、とりわけトゥヴィアはやがて、望んだわけでもなく自然と指導者の立場に就かされる……



[感想]

 ナチスによるユダヤ人迫害の史実は広く知られているが、だいたい『ライフ・イズ・ビューティフル』のような迫害にまつわる悲惨なエピソードであったり、『シンドラーのリスト』で語られているような、ユダヤ人以外による救済の美談である。ユダヤ人が自ら生き延びる道を探らなかったかのように感じさせるほどだ。

 だが、逃げ延びようとした者がいた以上、そうした人々が身を寄せ合って、助かる道を探っていたことも充分に考えられる。本篇は、ある意味必然的に発生した逃亡者の共同体を、成り行きから率いることになり、結果として1200人を救った兄弟の実話をもとにした映画である。

 そうして“ユダヤ人がユダヤ人を救う”という史実に着目して、丹念なリサーチのもと、可能な限りその姿を忠実に再現した、その時点で本篇は貴重であり、映画史に特異な地位を築くことに成功している。だから、率直に言えば、本篇が備えている牽引力は必ずしも出来の良さに依存していない。着眼点の良さが、そのまま牽引力に繋がっているのだ。

 実のところ、取りあげた史実、着眼点の特異さを除けば、本篇のストーリー展開は決して想像を超えていない。こういう状況におかれればこんな行動をしただろう、そしてこういう立場に置かれればこんな葛藤に陥っただろう、などと推測される、そのままの内容なのだ。本篇から特異なエピソード、新しい発見はあまり望めない。

 また、語られているのが森での潜伏生活序盤のみであり、終盤における病院や刑務所まで設けられていたという驚異の共同生活の様子や、戦後ビエルスキ兄弟が送った、英雄というイメージからは程遠い生活とその頃の心情についてはほとんど言及していないのが勿体なく思える。たとえば『父親たちの星条旗』のように、ビエルスキ兄弟の戦時中の経験を、子供たちや周囲の人々が探っていくという構成にすれば、戦後の彼らの心境にも踏み込んでいくことが出来ただろうが、そういった作劇上の工夫は施していないのである。どうやらそのあたりには予算の都合もあったように思われる。

 しかし、そうして制限された枠の中で本篇は、多くの人々を救うための努力や、そのために払わねばならない犠牲、繰り返される葛藤など、描くべき部分をきちんと押さえている。もともと兄弟で助かることしか考えておらず、最初は激情の赴くまま復讐に己を駆り立てることのあったトゥヴィアが、様々な経験から同胞の命を救うことを最優先に考えるようになったこと、そんな彼の方針に生温さを感じた弟ズシュとの対立、そして積み重なった責任がわだかまったかのようなクライマックスで見せる動揺といった、トゥヴィアの生々しい人間像が巧みに描かれている。

 本篇のいちばん特徴的なポイントは、指導者に祭りあげられたトゥヴィアを、決して英雄的に見せていないことだ。はじめは決して多くの同胞を救おう、などという望みを持っていなかったトゥヴィアは、言ってみれば時間をかけて指導者に成長していったようなもので、その過程の言動には迂闊なところが目立つ。復讐をしてしまったこともそうだし、最も力を合わせなければならない弟と袂を分かったことだって、はじめから計画が用意してあればもう少し違った形になっていたと思われる。本質的には平凡である男が、あまりに重すぎる責任を負わされたからからこそ、クライマックスで覗かせる動揺が切実に伝わってくる。

 また、ほとんど森の中、という映像的に地味になりそうな状況で、結婚式という華やかな場面や、積雪による過酷な美しさを演出し、またそうした映像的な趣向と状況の変化とを巧く組み合わせて物語の展開に緩急を齎して、2時間を超える尺を決して飽きさせない工夫を凝らしている点も評価に値する。本質的にとても真面目なテーマだが、そうした組み立ての巧さが、本篇を娯楽としても充分に堪能できる仕上がりにしている。

 全般にもう少し掘り下げて欲しかった、という印象はあるが、映画としての面白さをきちんと備えた上で、歴史に埋もれた“英雄”の姿を観客の前に示した、価値のある1本である。