『ぐるりのこと。』

『ぐるりのこと。』

監督・原作・脚本・編集:橋口亮輔 / 製作:山上徹二郎、大和田廣樹、定井勇二、久松猛朗、宮下晶幸、安永義郎 / プロデューサー:渡辺栄二 / 企画:山上徹二郎 / 撮影:上野彰吾 / 美術:磯見俊裕 / 照明:矢部一男 / 衣装デザイン:小川久実子 / 録音:小川武 / 音楽:Akeboshi / 音楽プロデューサー:北原京子 / 主題歌:Akeboshi『Peruna』 / 出演:木村多江リリー・フランキー倍賞美津子寺島進安藤玉恵八嶋智人寺田農柄本明木村祐一、斎藤洋介、温水洋一、峰村リエ、山中崇加瀬亮光石研田辺誠一横山めぐみ片岡礼子新井浩文 / 配給:Bitters End

2008年日本作品 / 上映時間:2時間20分

2008年6月7日日本公開

公式サイト : http://www.gururinokoto.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2009/02/16) ※2008年心に残った映画アンコール上映



[粗筋]

 佐藤カナオ(リリー・フランキー)は靴の修理工、その妻・翔子(木村多江)は小さな出版社の編集者。ともに美大出身で10年来の恋人関係を続けているふたりは、翔子の懐妊をきっかけにようやく籍を入れた。

 浮気性で生活能力に欠けるカナオに対し、翔子は几帳面で計画性を重んじる。相談して、週に3日は交渉を持つ、という取り決めをしていて、子を授かっても翔子は律儀に“義務”を果たそうとするが、カナオにはその四角四面な姿勢がどうも納得できない。翔子は翔子で、先輩の頼みだからと、先のことも考えず勝手に仕事を替えようとするカナオに苛立っていた。そんな感じで、ときおり不協和音を発しながらも、それなりに幸せな日々を送っていた――はずだった。

 翌年。ふたりのマンションには、仏壇が備えられていた。カナオと翔子の子供は、あっという間にその短い生涯を閉じてしまったのだ。

 法廷に立つ被告人の姿をスケッチする法廷画家という新しい仕事にどうにか順応しつつあるカナオに対し、翔子は赤子を喪った衝撃をずっと引きずっている。気分を一新しようと、不動産業を営む兄の吉田勝利(寺島進)の協力で新居に移るものの、引っ越しを手伝ってくれた友人達の些細な発言に苛立ち、職場では感覚の異なる後輩の言動に翻弄され、翔子の心に開いた傷口は却って広がっていくばかりだった。

 遂に翔子は職を退き、心療内科にかかるようになる。次第に暮らしも荒れていくなか、カナオはただ穏やかに仕事をこなし、妻を支えていくのだった……



[感想]

 海外の映画祭でも賞賛を集めた『ハッシュ!』以来となる、橋口亮輔監督の最新作である。ゲイのカップルに、子供を欲しがる女が近づき奇妙な三角関係を形成する、というユニークな設定から一転、本篇は変わり者ではあるが、前作と比較すれば普通の夫婦を中心に据えている。

 産まれた子供をすぐに失う、という悲劇が軸に置かれているが、しかしこの作品に明確で劇的な展開というのは少ない。妊娠したという事実も、夫カナオの転職というイベントも、衝撃により妻翔子が次第に鬱を患っていくという流れも、劇的な出来事によって提示されるのではなく、じわじわと描き出されていく。何せ、産まれた子供をすぐに失うといういちばん大きな悲劇でさえ、位牌と骨壺を置いた簡素な祭壇を見せるだけで、すぐにその衝撃の余波に耐え忍ぶような夫婦の様子に焦点が移っているのだ。

 だが、そうして一見淡々としている中に、カナオと翔子の心情が丁寧に描き出されていて、その悲しみや苦しみが切々と伝わってくる。物語としての膨らみよりも、そうして心情の奥行きを描き出すことに力を傾けた本篇の味わいは実に豊かだ。

 作中で最も表情の揺れる翔子を演じている木村多江は、繊細な容貌もあって、幸薄そうな雰囲気を漂わせた女性がよく似合う女優であるが、本篇ではそればかりではない、多彩な変化を見事に演じている。冒頭では、頼りのない浮気性の男をうまくコントロールする、芯の強い女性という雰囲気だが、子を喪ったあとは、まるで魂が抜けてしまったかのように虚脱した姿を痛々しいくらい完璧に作っている。そして、ここでの苦しみ、悲しみの深さが如実であるから、終盤の吹っ切れた、穏やかな表情の醸し出す柔らかさがいっそう際立っているのだ。

 しかし、個人的に彼女よりも、その夫を演じたリリー・フランキーのほうに驚かされた。著書『東京タワー』の大ヒットでその名前を覚えた方も多いだろうが、本業はイラストレーターであり、美大出身の法廷画家、という人物像には馴染みやすかったのも事実だろう。だがそればかりではなく、自然体の口調と表情の作り方がキャラクターによく溶け込んでいて、想像以上の説得力がある。無理に滑舌良く喋ろうとしていないのが、作品全体に漂う自然な空気にそぐい、かつ木村多江の繊細な演技とも巧く噛み合って、絶妙の効果を上げている。

 なまじそうして自然に自然に、静かに穏やかにと綴っているから、少しずつ生活の形態が変わっていく中盤の息苦しさは、感情移入してしまうほどに強烈だが、だからこそその過程を乗り越えたあとの心地好さは絶品だ。こういう展開、こういう要素が並んでいるなら普通はこうまとめるだろう、という定石を一切無視した話運びが意外であり、人によっては苛立ちすら覚えるかも知れないが、だがそんな予定調和を乗り越えた展開が、作品の不思議に優しい雰囲気をいっそう押し広げている。なまじ綺麗に締め括ったりしていないからこそ、いったん作品に惹かれてしまうと、いつまでもこの世界に浸っていたい、と感じさせてしまうほどだ。こんな余韻は、そう容易く演出できるものではない。

 傍に誰かがいてくれる、その面倒くささと、面倒臭いからこその幸せというものを静かに、とても快く描き出した、稀有の作品である。同日鑑賞した『闇の子供たち』は観る意義のある傑作であったのに対して、本篇はそういう意味では別に強いて触れる必要はないだろうが、もし感性が合えば、いつまでも大事にしたくなる、そんな種類の映画と言えよう。