『永遠のこどもたち』

『永遠のこどもたち』

原題:“El Orfanato” / 監督:J.A.バヨナ / 脚本:セルヒオ・G・サンチェス / 製作総指揮:ギレルモ・デル・トロ / 製作:マル・タルガローナ、ホアキン・パドロ、アルバロ・アウグスティン / 撮影:オスカル・ファウラ / 美術:ジョゼップ・ロセル / 特殊効果:ジョルディ・サン・アグスティ(インファニア) / 編集:エレナ・ルイス / 衣装:マリア・レイジェス / メイク:ローラ・ロペス / 特殊メイク:DDT / 音楽:フエルナンド・ヴェラスケス / 出演:ベレン・ルエダ、フェルナンド・カヨ、ロジェ・プリンセプ、マベル・リベラ、モンセラット・カルージャ、アンドレス・ヘルトルディス、エドガー・ヴィヴァル、ジェラルディン・チャップリン / 配給:cinequanon

2007年スペイン・メキシコ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:大西公子 / 字幕監修:野谷文昭

2008年12月20日日本公開

公式サイト : http://www.eien-kodomo.com/

シネカノン有楽町1丁目にて初見(2009/01/03)



[粗筋]

 海辺にある孤児院に育ち、7歳のときに里親に引き取られ、いまは医師の夫カルロス(フェルナンド・カヨ)を得て幸せを手にしたラウラ(ベレン・ルエダ)は、ふたたび育った地に帰ってきた。自分が去ったのちに閉鎖された孤児院の建物を購入し、リフォームを施して、新しい孤児院として運営を始めるためである。

 その日に際して、ラウラが唯一心配しているのが、ひとり息子のシモン(ロジェ・プリンセプ)である。彼もまた養子であるうえに重い病気を抱えており、不安のためかしばらく前から“想像上の友達”と交際をしている。血は繋がっていなくとも大切な息子であるシモンをラウラは懸命に気遣ったが、孤児院オープンの日が近づくにつれて、二人のあいだには微妙な緊張感が生じていった。

 そして孤児院オープンの日。忙しく立ち回っていたラウラは、シモンが居もしない“トマス”という少年の部屋に案内する、と我が儘を言い出したことに腹を立て、頬を叩いてしまう。

 しばらくのあいだは構う暇もなかったが、ようやく手が空いた隙を縫ってシモンの様子を見に行ったラウラは、覆面をした奇妙な子供に遭遇した。シモンの悪戯か、と疑う彼女を、覆面の少年は浴室に導き、中に閉じ込めてしまう。カルロスらによって助けられたラウラがシモンの部屋に向かうと、我が子の姿はない。屋敷中を捜しても気配は掴めず、一緒に遊びに行った海辺まで足を運んだラウラは、断崖に面し、満潮になると水没してしまう洞窟の入口に子供の姿を一瞬見て、絶叫した。

 ……それから半年を経ても、シモンの行方は杳として知れなかった。孤児院のオープンを取り止め、ラウラは懸命に捜索していたが、カルロスは既に半ば諦めつつある。ラウラをカウンセリングにかけ、事態を受け入れるように仕向けるが、それでもラウラは頑なにシモンの生存を信じていた。

 そんなラウラの身辺で、この頃から奇妙な出来事が頻発し始める。それは果たして、シモンの行方を探る手懸かりとなるのだろうか……?



[感想]

シックス・センス』はその発表以来、ホラー的なガジェットを用いつつ最後にサプライズを用意した映画を宣伝する上で頻繁に引き合いに出されるタイトルとなっているが、しかし実際にあれほどのインパクトを齎す作品というのはあまり多くない。成功例として『アザーズ』があるくらいで、あとはたいてい虚仮威し程度に終わりがちだ。

 本篇もまた宣伝で“『シックス・センス』以来の衝撃”を謳っているが、珍しくその惹句に恥じない出来を誇っている。

 プログラムには海外の“ヒッチコックのようなドキドキ感”とか“デビュー作にして巨匠の域”といった評が掲載されているが、まさにそんな趣である。携帯電話など登場しない古風な舞台に、古典的なサスペンスタッチの演出がよく馴染んでおり、既に一種の風格を漂わせる、どっしりとした仕上がりになっている。

パンズ・ラビリンス』などで映像的なインパクトに優れたダーク・ファンタジーの巨匠として認知されたギレルモ・デル・トロが製作総指揮としてクレジットされているわりには比較的シンプルだが、やはりこちらも古典的な館もののホラーを意識した舞台設計とカメラワークに徹しており、凝ってはいないが雰囲気に富んでいる。気配や人物の配置を考慮した、基本に忠実な表現が、サスペンスを盛り上げると同時に、序盤の不穏なムード、そして中盤以降における母親の切実な想いを巧みに描いている。

 本篇において鍵となるのは、母親の愛情だ。血の繋がりがないとは言え、むしろ繋がりがないからこそ複雑で繊細な心情を、本篇は丁寧に剔出し、彼女の時として狂気を感じさせる行動に説得力を齎している。それがそのままサスペンスに繋がり、背景から滲んでくる感動に繋がっていく。この演出と脚本の一体となった妙味が素晴らしい。

 肝心のサプライズについても同様だ。何処がどう秀逸なのか、ちょっとでも具体的な例を挙げようとするとそれだけで手懸かりになりかねず、触れられないのが大変に歯痒いが、細やかな伏線に基づく終盤の展開は、ある意味予想が可能であるだけに辛い。そして本篇の場合、たとえ予想できたとしても衝撃に結びつく工夫がなされている。サプライズでありながら一発ネタに陥らず、奥行きさえ感じさせるあたりが出色だ。

 ただ、サプライズのあとに用意された結末部分については、納得のいかないものを感じるかも知れない。いちおうハッピーエンドのような描かれ方をしているが、同時に理不尽な想いを抱かされる。

 しかし、そこに至る流れはきちんと計算され尽くしているし、なまじ幸福を装っているからこそ、切なく悲痛な余韻を残す。単純なハッピーエンドでは表現できない、残酷な美しさに彩られた締め括りとなっているのだ。

 やや古めかしくも洗練された話運びに、絶え間ない緊張感、そして胸震わせるクライマックス。確かに『シックス・センス』と並べても遜色のない、むしろ表現的にはより質の高い、優れたスリラーである。私同様、“『シックス・センス』以来の衝撃”という惹句を怪しむ向きには、安心して劇場に足を運んでください、と申し上げたい。