『地球が静止する日』

『地球が静止する日』

原題:“The Day the Earth Stood Still” / 原案:ハリー・ベイツ / エドマンド・H・ノースの脚本に基づく / 監督:スコット・デリクソン / 脚本:デヴィッド・スカルパ / 製作:ポール・ハリス・ボードマン、グレゴリー・グッドマン、アーウィン・ストフ / 撮影監督:デヴィッド・タッターサル,BSC / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・ブリスビン / 編集:ウェイン・ワーマン,A.C.E. / 衣装デザイン:ティッシュ・モナハン / 視覚効果スーパーヴァイザー:ジェフリー・A・オクン / 音楽:タイラー・ベイツ / 出演:キアヌ・リーヴスジェニファー・コネリージェイデン・スミスキャシー・ベイツジョン・ハムジョン・クリーズ / 配給:20世紀フォックス

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:林完治

2008年12月19日日本公開

公式サイト : http://www.chikyu-seishi.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/12/31)



[粗筋]

 プリンストン大学宇宙生物学の教鞭を執るヘレン・ベンソン(ジェニファー・コネリー)は、ある晩、突如政府の使者の訪問を受け、義理の息子ジェイコブ(ジェイデン・スミス)の食事の用意もそこそこに、着の身着のまま連れ出される。

 他の多分野に跨る研究者たち共々ヘレンが連れてこられたのは、軍の施設。そこでは、木星の軌道上に観測された謎の飛行物体についての議論が慌ただしく進められていた。その飛行物体は秒速三万キロメートルという異常な速度で飛来し、自律的に軌道を調整しながら、あと1時間ちょっとで地球、しかもマンハッタンに到達すると見られる。ヘレン達は対策を講じるために招かれたのだが、たった1時間で具体的な策が案出できるはずもない。飛来地点に搬送されながら、ヘレン達はただ手を束ねてその瞬間を待つしかなかった。

 そして、謎の物体は、セントラル・パークに降り立った。速度を緩め、衝突するのではなく着陸したそれは、流動する雲のような物を内部にたたえた球体。学者たち、警察、軍隊が見守るなか、球体から現れたのは、銀色の表皮に覆われた、二足歩行の生物。ヘレンが接触しようとしたそのとき、混乱した何者かが、“来訪者”に発砲した。

 倒れる“来訪者”を抱きかかえたヘレンの前に次いで現れたのは、ビルほどの高さもある大巨人。巨人が衝撃波を放つと、周辺の電子機器がすべて停止し、人々は昏倒する。だが、ヘレンの腕の中で“来訪者”が謎の言葉を告げると、衝撃波は止んだ。

“来訪者”は軍の施設に搬送され、手探りで治療が行われた。銀色の表皮は自然と剥離し、一同の驚愕の眼差しの前に現れたのは、人間そっくりの生命体であった。既に別々の場所に避難済の正副大統領に代わり、“訪問者”と接触したのは国防長官のレジーナ・ジョンソン(キャシー・ベイツ)。だが、クラトゥと名乗った“訪問者”は、人類全体を代表する人々との面会を要求する。

 レジーナはクラトゥの発言の真偽を判断するため、クラトゥに薬品を投与するようヘレンに指示した。クラトゥに礼儀を失した態度は逆効果だ、と直感的に悟ったヘレンは、密かに薬品を生理食塩水とすり替える。注射する際、彼女は小声でクラトゥに「逃げて」と囁いた。

 このときのヘレンの行動が、やがて訪れる未曾有の出来事において、彼女に思わぬ役割を演じさせるきっかけとなる……



[感想]

 本篇のオリジナルは1951年に製作された、ロバート・ワイズ監督『地球の静止する日』である。これには更に短篇小説が原作として挙げられているが、一部の固有名詞やシチュエーションを除いて大幅に書き換えられており、本篇は映画版の筋を踏襲しているそうなので、そちらを原作と呼ぶべきだろう。

 あいにく私はロバート・ワイズ監督版は未鑑賞だが、本篇はシチュエーションを現代的に造り替えた程度で、旧作の意図をほぼそのまま受け継いでいるらしい。だからなのだろう、表現そのものは洗練されているが、全般に登場するガジェットの根っこやテーマは古典的である。それゆえ率直に言って、この類の作品に馴染んだ者にとっては、予想を超える部分はほとんどない。宇宙からの使者が人類に突きつける選択肢の趣旨、それを翻心させるために用いられるのが特殊な関係にある母子であるということ、そしてクライマックスの筋書きにしても、ほぼ定番通りである。

 定番通りであるが故に、もう少しひねりや掘り下げが欲しい、という印象が全般に強かった。特に、クラトゥとヘレン&ジェイコブ母子の接点や、その交流のエピソードが少々乏しく、そのために終盤での変化が説得力を欠いている。先に潜伏していた“訪問者”の発言や、ヘレンとジェイコブの複雑な関係とその変化を匂わせる台詞のやりとりは巧いし、その伏線があるからこそクライマックスの出来事は必ずしも唐突ではないのだが、誰もがそう感じられるほどではないのだ。

 50年以上昔だっただけにとてもシンプルだったらしいオリジナルのSFガジェットをすべて新しく創造しなおしているそうだが、それとて必ずしも新味はない。シンプルであるが故に理解を超える球体、“訪問者”クラトゥが初めて現れた当初の装備、そして中盤以降に人類を襲う兵器のシステムなど、いずれもどこかで見たような代物か、その延長上に容易に想像できるものである。もう少し、こちらの予測を超えるようなアイディアが欲しかったところだ。

 だがいずれも、古典的名作のリメイク、という先入観から、予めハードルを上げたうえで鑑賞しているが故の嫌味であることも否定できない。古典的名作の基本的な主題やガジェットを踏襲しているのだから、それらに類型が認められるのは当然とも言える。むしろ、あまり珍奇な趣向を凝らすことなく、基本に忠実にしたうえで、その要素を現代的に洗練させたことは評価するべきだろう。

 個々の扱い、描写の仕方についても細かな技術が駆使されていて、観ていて退屈はさせない。途中で“ゴート”と名付けられる巨人の怪しげな挙動や、車・建物を襲撃するヴィジュアルのインパクトは秀逸だ。

 上では説得力を欠くと記したものの、クラトゥが態度を変えるに至る筋書きそのものは決して不自然ではなく、短い中に伏線をきちんと鏤めているのは間違いない。登場するのは1箇所のみだが、どうやらヘレンが親しくしているらしいノーベル賞を得た学者とクラトゥとのやり取り、そして一時的にヘレンとはぐれているあいだのクラトゥとジェイコブとの触れ合いは密度が高く、作品に滋味を齎している。また結末で、後日談などの余計な付け足しをしない潔さにも好感が持てる。

 如何せん、あまりに名高い傑作のリメイクを謳っているだけにどうしても高望みしてしまうが、個々の要素を丁寧に磨き上げ、ラストまで飽きさせないクオリティに仕上げた、ウェルメイドの佳作である。