『パコと魔法の絵本』

『パコと魔法の絵本』

原作:後藤ひろひと / 監督:中島哲也 / 脚本:中島哲也、門間宣裕 / 撮影監督:阿藤正一 / 照明:高倉進 / 美術:桑島十和子 / 装飾:西尾共未 / スタイリスト:申谷弘美 / ビジュアルエフェクツスーパーヴァイザー:柳川瀬雅英 / 編集:小池義幸 / 音楽プロデューサー:金橋豊彦 / 音楽:ガブリエル・ロベルト / 主題歌・出演:木村カエラ / 出演:役所広司アヤカ・ウィルソン妻夫木聡土屋アンナ阿部サダヲ加瀬亮小池栄子劇団ひとり山内圭哉國村隼上川隆也 / 配給:東宝

2008年日本作品 / 上映時間:1時間45分

2008年09月13日日本公開

公式サイト : http://www.paco-magic.com/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/10/02)



[粗筋]

 ――これは、妙な人たちばかりが集う病院でのお話。

 先生も患者も変わり者ばかりの中でひとり、激しく嫌われている爺さんがいた。その爺さんこと大貫(役所広司)は一代で会社を大きく成長させた傑物だけど、他人を信用しない偏屈者で、会議中に倒れたあと仕事から遠ざけるようにこんな奇妙な病院に押しこまれたことに不満を抱いている。だから大貫の口癖はこうだ、「お前が私を知ってるってだけで腹が立つ」――こんな爺さんを好いてくれる奴がいるはずがない。

 ある日、大貫は病院の中庭で、絵本を楽しげに読んでいる少女を目にする。パコ(アヤカ・ウィルソン)と名乗るその少女の絵本を「読んでやる」と取り上げて、いい加減で意地悪な内容にして読み聞かせてやったのに、しかし少女は気にするふうもない。よけい不機嫌になって、大貫はその場を立ち去った。

 だが更に腹の立つことに、大貫の大切にしていた純金のジッポーが無くなってしまった。花壇を荒らしてまで捜した大貫だが、見つからず苛々したままベンチで葉巻を吸おうとして、火がないことに気づいた彼に、例のパコという少女がまさに彼の捜していたジッポーを差し出したものだから――力一杯パコの横っ面を張り倒した。

 しかし直後、大貫は驚くべきことを知らされる。パコは両親と共に遭遇した事故により、一日以上記憶を保てなくなっているという。だから彼女は、両親が死んでいることも知らず、プレゼントとして渡された絵本を毎日、新鮮な気持ちで読み返している。

 さすがに今回ばかりは堪えた大貫、翌日はいつもより殊勝な態度でパコに接するが、ふと自分が引っぱたいた彼女の頬に触れたとき、予想もしなかったことが起きる。

「おじさん、昨日もパコのほっぺに触ったよね?」

 記憶を保てなかったはずのパコの身に起きた、僅かな変化。しかしそれが、大貫の心に、更には患者や病院の人たちの心に、大きな変化を齎すきっかけとなった……



[感想]

下妻物語』『嫌われ松子の一生』とユニークな演出、極彩色の映像で独自の地位を確保した中島哲也監督の最新作である。てっきりオリジナルかと思いこんでいたが、後藤ひろひと脚本による舞台に基づいているという。

 だが、作中の演出が芝居風に大仰になっているのは、そこに所以があるわけではない。初めて監督の作品をきちんと鑑賞することが出来た私だが、それでもこの監督が極めて純化された表現を好んでいることは解る。

 一見独特で極端、これを実行に移すには大胆さが必要とされるだろうが、しかしそれぞれの表現の狙いは極めて明瞭だ。3DCGと極彩色の大道具小道具、衣装類が実現した非現実的な映像は、やたらと個性の際立ったキャラクターや終盤における、陳腐な張りぼての芝居が3DCGを絡めた豪華絢爛たるファンタジーの世界と合流していく物語、それらを収めるための器として相応しいものになっている。どこかしら個性を強調された登場人物たちは、ユーモラスな話運びを正当化すると共に、人物像を把握しやすくしている。

 キーマンである大貫はその偏屈ぶり、嫌われ者っぷりが冒頭から明白であるし、対するパコは記憶が留められないが故の純粋さが最後まで光っている。元不良という設定の看護師はあからさまなタトゥーが躰の各所に残っているし、邪な狙いをもって親切にする看護師は牙を備えている、という具合に、脇役も外見や登場初手から発揮するユニークな言動によってその個性と立ち位置を明確にする。

 それにしても、リアリティを謳う映画にありがちな抑えた芝居から解き放たれた登場人物たちの、何と活き活きとしていることか。ある意味本篇の牽引役とも言える阿部サダヲを筆頭に、しばらく前から見せていたコメディアンとしての資質とシリアス演技とのメリハリを存分に見せつける上川隆也、意表をつくオカマ役を楽しげに怪演する國村隼あたりが特に出色だが、憎まれ役の大貫や、妻夫木聡演じるすっかり失意にある元子役の室町でさえも、その限界を振り切ったような演技は終始愉しげでさえある。そこへ更に、CGでキラキラとした輝きを施したり、場面転換と同時に唐突にアニメのかたちで表現したり、という趣向を加えて、いっそう派手に飾り立てる。泣くシーンでさえいっそ大袈裟なぐらいなのだが、それゆえに並の映画ではあり得ない共感をもたらしてくるのだ。

 しかも本篇の場合、そうした演技が世界観に嵌っているため、なまじ変に真面目くさって演じるよりも遥かにリアルなのである。こういう世界にとって必要な表現というものを、監督がよく承知したうえで役者たちを動かしていたことが実によく解る。

 加えて、そうした登場人物の設定や言動に緻密な伏線が張り巡らされており、物語の大胆さ、構成の妙もただ事ではない。ユーモアのために奉仕する伏線もあれば、終盤の展開で不可欠な要素も台詞や設定にさり気なく仕掛けられ、ちゃんと驚きと感動に結実していく。娯楽映画では当たり前なようでいて、そこを暈かしてみたり、様々な工夫を凝らしてごまかすことが多く、本篇のようにそれを惜しみもなく注ぎ込んで、終盤で明かされる、これもよく考えれば有り体な趣向を、すれた観客に対してもギリギリまで隠しおおせるという荒技を示している。

 本篇の秀逸なところは、最後までユーモアを損なわず、シリアスな流れのなかにも笑いを挟んできているのに、しかしそれが主題を傷つけることなく、きちんと感動を観る側に齎す点だ。書くのは簡単だが、決して容易な業ではない。そしてこのテンションと質を最後まで維持し、結末に確実な感動と、そして唯一無二の爽快感を残すことが出来る作品も、そう多くはない。エンタテインメントの精神に忠実でありながら、それゆえに突出した個性を備えた傑作である。