『ダークナイト』

『ダークナイト』

原題:“The Dark Knight” / 監督:クリストファー・ノーラン / 原案:クリストファー・ノーランデヴィッド・S・ゴイヤー / 脚本:ジョナサン・ノーランクリストファー・ノーラン / 製作:チャールズ・ローヴン、エマ・トーマスクリストファー・ノーラン / 製作総指揮:ベンジャミン・メルニカー、マイケル・E・ウスラン、ケヴィン・デ・ラ・ノイ、トーマス・タル / 撮影監督:ウォーリー・フィスター,A.S.C. / 美術:ネイサン・クロウリー / 編集:リー・スミス,A.C.E. / 衣装:リンディー・ヘミング / 音楽:ハンス・ジマージェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:クリスチャン・ベールマイケル・ケインヒース・レジャーゲイリー・オールドマンアーロン・エッカートマギー・ギレンホールモーガン・フリーマンキリアン・マーフィ / 配給:Warner Bros.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:2時間32分 / 日本語字幕:石田泰子

2008年08月09日日本公開

公式サイト : http://www.dark-knight.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/08/09)



[粗筋]

 悪人たちの胸に恐怖を刻み込むことでゴッサム・シティに秩序をもたらしたバットマンの出現から、しばしの時を経て――この街に、新たな脅威が出没した。

 その男――ジョーカー(ヒース・レジャー)は、犯行現場にトランプのジョーカーを残していく劇場型犯罪の手口と、手下でさえも皆殺しにする容赦のなさを顕示し、バットマンと影で共闘するゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン)も手を焼いていた。

 一方で、バットマンの存在はゴッサム・シティに新たな英雄をも生み出した。潔癖な正義漢で鳴らし、法の枠を外れながらも秩序の回復に力を注ぐバットマンをも評価する柔軟さを示す地方検事ハービー・デント(アーロン・エッカート)である。彼はゴードンの部下でさえも腐敗していることを指摘しながら、強硬な策にも同意を示し、ゴードンとバットマン双方の新たな後ろ盾となっていく。

 バットマンの表の顔であるブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)にとっても、ハービーは無視の出来ない存在となっていた。それは彼が、いずれゴッサム・シティにとって必要であった、素顔で市民を守る新たな英雄となり得る資質を秘めていると同時に、ブルースの幼なじみであり、かつて想いを寄せ合っていたレイチェル・ドーズ(マギー・ギレンホール)のいまの恋人でもあるからだった。

 複雑な感情を禁じ得ないまま、ブルースは表と裏の双方からハービーを支援する。裏の顔=バットマンとしては、マフィアの資金洗浄に協力していた香港の企業のトップをわざわざ遠征してゴードンの元に“密輸”し、表の顔である、ゴッサム・シティ屈指の大企業ウェイン・カンパニーの会長としては、ハービーを資金面から援助するためのパーティを自らのペントハウスで催した。

 だがそのパーティの席上に、ジョーカーが乗り込んできた。参列者が恐懼するなか、ただひとり果敢に立ち向かったレイチェルがジョーカーに突き落とされそうになるが、ギリギリで登場したバットマンの手によって辛くも救われる。そして、これを機に、恐怖で悪を屈服させようとするバットマンと、世界をルール無用の混沌へと導こうとするジョーカーの、熾烈な戦いが本格的に幕を開けることとなった――



[感想]

 もともと期待は高かったのだ。同じクリストファー・ノーラン監督&クリスチャン・ベール主演による新生バットマン第1作『バットマン・ビギンズ』は、やもすると荒唐無稽に陥りがちであり、軽んじられていたアメコミ原作のヒーロー映画に現実的な視点を導入、善悪に明確に分けられない微妙な境界線を押さえながらアクション主体のドラマとして昇華し、『スパイダーマン』で提示されたアメコミ映画の新たな潮流をさらに一段上のステージに押しあげた作品であった。一歩早く日本で公開された『インクレディブル・ハルク』で主演と脚色に携わったエドワード・ノートンは“最高のアメコミ映画”と評価し、その作りに影響を受けたことを明言しているほどである。

 加えて、本国では公開直前から、撮影終了後に早逝したヒース・レジャーの驚異的な演技が話題となり、いざ公開されるや、アメリカの興行記録を立て続けに塗り替える大ヒットを遂げている。これでハズレということはないだろう確信に、以前から注目していただけにその死を本気で惜しんでいたヒース・レジャー最後にして渾身の演技を早くこの目で確かめたい、という思いで、まさに首を長くして待ち望んでいた公開であった。多忙のために観たい映画が残っているなか、すべてを脇に置いて鑑賞に赴いたのもご理解いただけるだろう。

 そしていざ、実際に鑑賞した本篇は――聞きしに勝る、大傑作であった。

 既に噂で耳にしていたが、まず冒頭からして度胆を抜かれる。悪役の存在感を示すために冒頭で事件を起こすのは決して珍しくないが、ここまで裏切りと暴力が繰り返される導入は恐らく類例がない。非情な悪逆の連鎖の果てに、忽然とジョーカーが出没する。この瞬間、稀代の悪役は一気に観客を飲みこみ、物語のクライマックスまで離さない。

 以降、異様な緊迫感が結末まで弛むことなく持続する。ブルースが新たな英雄ハービーと幼なじみ・レイチェルと並ぶ様子を、穏やかさを装った複雑な胸中で見つめているあいだでさえ、常に不穏な空気がまとわりついている。バットマンの側につくゴードン警部補とハービー・デント地方検事とのあいだにさえしばしば生じる緊張感でさえも、ジョーカーの掌の上にあるような感覚をもたらすのだ。

 そういう見方を抜きにしても、バットマン側のドラマ展開までもが極めて高い質を誇っている。幼なじみの女性を巡る三角関係という構図はありきたりではあるが、そこにそこはかとなく漂う希望と、入れ替わりに襲ってくる絶望とが、物語を追うごとに激しい落差を生じてくる。とりわけ、レイチェルとハービー・デントが巻き込まれる危難のくだり前後に示される絶望と運命の皮肉は圧倒的だ。ブルースの最大の理解者である執事アルフレッドと、更には技術面で支援してきたルーシャス・フォックス(モーガン・フリーマン)までも巻き込んだこの構図は、それぞれの切実な想いが巧みに織り交ぜられて著しい深みを備えている。

 ジョーカーという悪役の凄まじさは、そうした“善”の側に立つ人々の輻輳した感情を、まるで無造作と言ってもいい仕種で操ってしまうことだ。バットマンたちを策略家と嘲笑いながら、自らも間違いなく策を弄しているジョーカーだが、しかし細部にまで敢えて網を張り巡らせている様子は、実際のところ、ない。だというのにジョーカーは、巧みに他人の心の隙に潜りこんで、その罪悪感や復讐心といった負の感情につけこんで、意のままに動かそうとする。その変化自体はコントロールできないわけだが、金よりも権力よりも、退屈をしのぐことを至上命題とするジョーカーは、その嗅覚で隙を見つけると、巧みな弁舌で脆い部分を抉り取る。説明してしまえば簡単そうだが、これをこのレベルで達成した作品はそうお目にかかれるものではない。

 このジョーカーの凶悪さは、昨年の賞レースを席巻した『ノーカントリー』の、ハビエル・バルデム演じるシガーを彷彿とさせつつも、まるで対極に位置している。いずれも“純粋な悪”と表現されるが――『ノーカントリー』のハビエル演じる役柄について私は違った見解を持っているが、それはひとまず置いておく――、あちらが異様なまでに口数が少なく、自らの決めたルールに忠実に犯行に及ぶ様が不気味であったのに対し、こちらはひたすらに多弁で、ルールを破壊することに執着している。結果的に公開年がずれたために直接対決とはならなかったが、もし同年に公開されていたなら、稀代の悪役が並び立っての賞レースは相当に熾烈なものになっていただろう。

 と、ヒース・レジャー演じるジョーカーにばかり眼がいってしまうが、しかしヒースひとりが良くてもこの完成度にはならない。前述の通り、その掌の上にあるように見える“善”の側のドラマの複雑さと深みもさることながら、それらを支える俳優陣の健闘もやはり出色である。前作に続いてバットマンを演じたクリスチャン・ベールは、今回は流れの要請もあって素顔での登場がだいぶ限られてしまったが、その限られたなかで人として、闇の世界を跳梁する英雄としての苦しみと悲壮な決意とを見事に表現している。そんな彼を支えるゴードン警部補、アルフレッド執事、ルーシャス・フォックスらも、前作以上に深いところまで踏み込んだ感情表現を、貫禄の演技で実現している。結婚を機に引退したケイティ・ホームズに代わってレイチェルに扮したマギー・ギレンホールも、前任者のイメージを崩すことなく、異なる形で正義を示そうとするふたりの男のあいだで揺れ動く女性を繊細かつ力強く演じて好感触だ。

 とりわけ、ハービー・デントに扮したアーロン・エッカートがいい。ジョーカーのあまりのインパクトを前に霞んでいるが、潔癖であった正義漢が立て続けの失態と絶望の果てに変容していく様を説得力充分に演じきっている。

 もともとクリストファー・ノーランは緊迫感の演出に優れている監督であったが、本篇は緊密な脚本にも支えられて、よりその切れ味を増している。加えて今回は音楽も、その緊迫感をいっそう強めている。単純にスコアの精度に固執することなく、展開に沿った構成を取っており、作品と一体となって観る側を責め立ててくる。とりわけクライマックス、バットマンではなく市民に対して選択を強要するくだりの驚くべき臨場感に貢献している。

 強いていうなら、前作と比べて肉弾戦の迫力に乏しくなっている点が残念ではあるが、その分、飛行機を用いた前代未聞の脱出劇、破滅的なカーチェイス、直線的に転倒するトレーラーなど、合成ではない本物の迫力に満ちたアクションがふんだんに盛り込まれており、アクション映画としての強烈さは増している。また本篇はヒーローとしての強さよりも、その存在故の業というものを掘り下げることに重点を置いており、そもそもアクションは中心ではないのだ。

 あまりにジョーカーに食われっぱなしで、果たしてどうすればきちんと締めくくることができるのか、という不安さえ途中で抱くほどだったが、その点についても本篇は見事な答を示している。実際には存在しないヒーローというものの存在意義、そしてそれ故の悲痛な覚悟を剔出することで、安易なハッピーエンドとは一線を画する、重厚なカタルシスに結びつくラストシーンは圧巻だ。この結末の秀逸であるところは、まさにジョーカーが存在してこそ成り立つ点である――あの狂気に寒気さえ覚えた2時間半が、きっちりと昇華されているのだ。

 揺るぎない悪役の存在感を徹底して描き出し、哲学的な深みを添えながら、しかし娯楽映画としても緩みがない。前作でさえも、子供向けや安易さが目立つアメコミ原作による映画の中で異彩を放っていたが、本篇はここ10年程度にじわじわと質を向上させてきたそれらの中にあっても、金字塔と呼んで差し支えない完成度に達している。もし可能であれば、クリストファー・ノーラン監督とクリスチャン・ベール主演との組み合わせでの続篇が望まれるところだが、ヒース・レジャーを喪ったいま、この組み合わせでさえ超えられるか心許ない――それほどの高みに至った傑作である。観終わったあとで叫びたくなるほどの作品、そう何度もお目にかかれるものではない。