『デッド・サイレンス』

原題:“Dead Silence” / 監督:ジェームズ・ワン / 原案:ジェームズ・ワンリー・ワネル / 脚本:リー・ワネル / 製作:グレッグ・ホフマン、オーレン・クルーズ、マーク・バーグ / 製作総指揮:ピーター・オイラタゲリー / 撮影監督:ジョン・R・レオネッティ,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ジュリー・バーゴフ / 編集:マイケル・N・ヌー,A.C.E. / 衣装:デニス・クローネンバーグ / アート・デザイン:アナスタシア・マサロ / 特殊メイク製作:AFXスタジオズ / 特殊効果:Mr.X.インク / 音楽:チャーリー・クロウザー / 出演:ライアン・クワンテン、アンバー・ヴァレッタ、ドニー・ウォルバーグ、ボブ・ガントン、マイケル・フェアマン、ジョアン・ヘネイ、ローラ・レーガン、ディミトリー・チェポヴェツキー、ジュディス・ロバーツ / 配給:東宝東和

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間29分 / 日本語字幕:高山龍一

2008年03月22日日本公開

公式サイト : http://www.dead-s.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2008/03/22)



[粗筋]

 仲睦まじい夫婦ジェイミー(ライアン・クワンテン)とリサ(ローラ・リーガン)のもとに、ある晩、誰からともなく腹話術用の人形が届けられる。怖れるジェイミーに対し、リサは無邪気に喜ぶが、中華料理のテイクアウトを買いに行ったジェイミーが戻ってみると、彼女は舌を切り裂かれた惨い骸となってベッドに横たわっていた……

 捜査を担当したリプトン刑事(ドニー・ウォルバーグ)は、発見前後についての証言に不審な点が多いことから、逮捕こそしないものの、あからさまな疑いの目をジェイミーに向ける。警察は頼りにならない、と確信したジェイミーは、自らの手で妻を殺した人物を捜し出す決意を固め我が家に戻った。不自然なタイミングで届けられた人形にこそ手懸かりがある、と直感したジェイミーが、人形の入っていた箱の内装を剥がしてみると――果たせるかな、そこには彼のよく知る町の名前と、彼の知る忌まわしい童謡に登場する者たちの姿が刻まれていた。

 刑事から町を出ないよう指示されていたジェイミーだが、無視して彼は一路、郷里であるレイヴンズ・フェアを目指す。地元の有力者である父エドワード(ボブ・ガントン)を訪ねると、久々に逢った彼は車椅子に乗り、傍らにはジェイミーが初めて逢う後妻エラ(アンバー・ヴァレッタ)の姿があった。狷介な人柄ゆえにジェイミーの母を自殺に追い込み、2番目の妻に逃げられるに至った父の変貌に驚きながらも、ジェイミーはその童謡の意味を質す。

“メアリー・ショウにご用心。子のない彼女は人形が好き。夢で逢っても叫んでは駄目――お前の舌を抜かれるよ……?”

 父は言を左右にしまともに答えようとしなかったが、確実に手懸かりがこの街にある、と信じたジェイミーはそのまま郷里に滞在し、妻の葬儀を催すこととした。葬儀屋のヘンリー(マイケル・フェアマン)に話をつけ、その晩のうちに遺体はレイヴンズ・フェアに運び込まれたが、リサの死にざまを目の当たりにしたヘンリーは恐怖に怯える……

 果たしてリサの身に何が起こったのか。父やヘンリーは何を知っているのか。そして、メアリー・ショウとはいったい何者なのか……?



[感想]

 2004年に公開された『SAW』の衝撃は未だに記憶に新しい。『セブン』などの知的なサスペンスの系譜を辿りながら、クライマックスに強烈極まりないワン・アイディアをぶつけてきて、あまりに無慈悲な主題と相俟って齎される余韻は類を見ない重々しさを備えていた。作品はシリーズ化され、特異な連続殺人犯“ジグソウ”の物語は未だに継続しているものの、きっかけを作った監督のジェームズ・ワンは製作総指揮のみ、脚本のリー・ワネルは『SAW2』では新監督のダレン・リン・バウズマンと共同で、『SAW3』ではふたたび単独で脚本を手懸けているが、現時点での最新作『SAW4』では遂に脚本を離れ、ふたりとも一定の距離を置いている。そうしてふたりが情熱を傾け作りあげていたのが、本編である。アメリカでは2007年に公開されていたが、約1年を費やしてようやく日本でも公開される運びとなった。『SAW』シリーズ1作目から追い続けている身としては、初日に馳せ参じる気持ちもご理解いただけるだろう。

 そうして期待に期待を募らせ鑑賞した本編だったが、正直に言えば、観終わった直後の印象は決して芳しくはなかった。雰囲気作り、緊迫感の演出の巧さは『SAW』に匹敵しているものの、最も期待を寄せていたシナリオの出来に首を傾げていたのだ。

 胆となるサプライズをかなり早い段階で見抜けてしまったのも一因だが、しかし話のなかで重要であり、緊密に構成されている結果であれば否定する要素にはならない。だが、私には当初、このサプライズがサプライズのために用意された代物であり、作品の本来の主題からいささか遊離しているように感じられたのである。

 だが、観終わったあと、日常の習慣をこなしながら検証を続けていった結果――辻褄が合ってしまった。当初は主題から切り離されているように感じた趣向が、その実主題と、作中で提示されている目的にきちんと嵌っていることがほぼ確信できてしまった。

 なにせあまりに描写が繊細なので、もういちど鑑賞しなおさないと断定しきれない部分もあるのだが、しかし極めて緻密に考え抜かれたプロットであることは否めない。とりあえず、既に鑑賞していて、私と同様の疑念を抱いたままほったらかしているという人には、よくよく状況を検証していただきたい、と申し上げておく。

 ここが肯定できてしまうと、あとはただ“傑作”と認めるほかない。強いて言うなら、中盤にもくっきりとした恐怖を齎す場面が欲しかった、というぐらいだが、それは観終わってから思うことで、その場その場では緊張を齎す描写がふんだんに盛り込まれており、たわむ部分が極めて少ない。むしろその随所で肩透かしを交えているからこそ、作品にリズムを形作っている。何より、こういう緩みがホラー映画には必須であることを承知してやっていることがよく伝わる、という意味では美点に数えることも出来るのだ。こういう呼吸の巧さは、終始緊張しっぱなしで観終わったあとに疲労の募る『SAW』よりも洗練されていると言えるだろう。

 もともと監督達が幼少の頃に怖れたホラー映画の空気を再現することに腐心していたそうで、本編には意図的にゴシック・ホラーを思わせるモチーフがふんだんに織りこまれている。朽ちかけた村に住む人の少ない豪邸、安っぽいモーテルに、廃墟と化して一部水没した劇場、そして何よりも中心に位置する腹話術師と人形、といったモチーフが、それ自体で異様な空気を醸成している。あからさまに思わせぶりな人物たちも、終わってみればそれぞれに作品にとって重要な役割が付与されており、よくよく検証するほどに唸らされるはずだ。

 個人的には、同じアイディアであれば更に派手な仕掛けと結末にも出来たのでは、という嫌味を覚えもしたが、しかし物語の中心にいる人物の目的が何処に集約されているのかを考えれば、やはりこれ以外に結末はあり得ない。

 実際に再度鑑賞して、改めてひとつひとつの描写を検討していくと、最終的に色々と瑕が発見できる可能性もあるだろうが、しかし少なくともそうして検証する価値のある奥行きを備えた、優秀なホラー映画であることは間違いない。『ザ・フィースト』と方向性は異なるが、古典作品に敬意を表して、自分なりに新しいものへと昇華させようとした、明確な志を感じさせる良品である。