『アイ・アム・レジェンド』

原題:“I am Legend” / 原作:リチャード・マシスン(ハヤカワ文庫・刊) / 監督:フランシス・ローレンス / 脚本:マーク・プロトスピッチ、アキヴァ・ゴールズマン / 製作:アキヴァ・ゴールズマン、ジェイムズ・ラシター、デイヴィッド・ヘイマン、ニール・モリッツ / 製作総指揮:マイケル・タドロス、アーウィン・ストフ、デイナ・ゴールドバーグ、ブルース・バーマン / 共同製作:トレイシー・トーメ / 撮影監督:アンドリュー・レスニー,A.C.S.,A.S.C. / 美術:ナオミ・ショーハン / 編集:ウェイン・ワーマン,A.C.E. / 衣装:マイケル・キャプラン / クリーチャー・デザイン:パトリック・タトポロス / 音楽:ジェイムズ・ニュートン・ハワード / 出演:ウィル・スミス、アリーシー・ブラガ、ダッシュ・ミホック、チャーリー・ターハーン、サリ・リチャードソン / ウィード・ロード&オーヴァーブルック・エンタテインメント製作 / 配給:Warner Bros.

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:林完治

2007年12月14日日本公開

公式サイト : http://www.iamlegend.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2007/12/15)



[粗筋]

 2012年、ニューヨーク。軍で医療関係の開発に従事していたロバート・ネヴィル(ウィル・スミス)はいま、この広大な都市にただひとり生活している。人の姿が消えた代わりに現れた獣たちを、唯一残された相棒である犬のサムとともに車と銃で追って狩り、タイムズスクエアに造成した畑から作物を収穫して口を糊し、躰を鍛えながらも夜は塒とした家のあらゆる出入口を閉ざしてただうずくまり朝が来るのを待つ。夜が明けると、すべてのAM周波数を駆使して、周囲にメッセージを放つ。

“毎日正午、私は橋のそばにいる。もし生きている者がいるなら、現れてくれ。お願いだ……”

 彼はこの哀しい営みを既に三年近く繰り返している。すべては2009年、急激に変わってしまった――ある女性医学者が考案した、ガン細胞に対抗する劇的な特効薬がきっかけだった。はしかのウイルスを応用し、治療に用いるシンプルながらも画期的な着想は、被験者すべての病状が改善するという驚異的な成果を上げたのち、今度は投与された患者が狂犬病のような症状を呈する、という奇怪な病を蔓延させた。

 空気感染するこの病は、発症すると身体能力が向上する代わりに理性を奪い思考を剥ぎ取り、感染していない人間を襲って食らう化物に変貌させてしまう。爆発的な感染力を発揮したこの新型ウイルスによって、ニューヨークは間もなく全面封鎖されたが、しかしもはや感染を押し留める術はなかった……斯くして、ごく稀に現れる免疫力の備わった人間であったネヴィルひとりを残して、ニューヨークは壊滅した。

 他の土地に生きている人間がいるかも知れない、というあてのない希望に彼は縋らなかった。化物と野生の跋扈するニューヨークに踏み止まり、自らの知識を頼みに、ネヴィルは治療薬の開発を続ける。ラットを利用した実験にようやく曙光を見出したネヴィルは、“感染者”を捕獲して投与を試みるが、未だはかばかしい成果は得られていない。

 いつまでも続くかと思われる暗い営み。彼に果たして、未来は訪れるのだろうか……?



[感想]

 スピルバーグ監督の出世作『激突!』や館ものホラーの金字塔『ヘルハウス』、近年にも『エコーズ』などが映画化されている、ハリウッドに多大な足跡を残す小説家リチャード・マシスンの代表作の、3度目の映画化となるのが本編である。

 SF小説王道のテーマを心理的に掘り下げ、発表当時から現在に至るまで圧倒的な存在感を誇っている作品ではあるものの、しかしそこで採り上げられたモチーフ自体は、もはや映画という表現媒体において定番となってしまっている。人類の死滅した都市にひとりだけ取り残された男。荒廃した街にひとりだけが彷徨うというヴィジュアル。ウイルスの蔓延によってゾンビを彷彿とさせる化物となった人間たちが闊歩する闇の世界。こうした空間に齎される、物語としてのカタルシス……実際にはマシスンの小説やかつての映画化作品からインスパイアされたのが始まりというが、私たちの目には既に『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『28日後...』で馴染みとなってしまったモチーフばかりで、率直に言って目新しさはない。

 また、人物も背景描写も最小限に絞っているせいで、物語としての拡がりに乏しいのが気に懸かる。何せ、幾つか回想は織りこまれているし、終盤には別の人物が介入してくるものの、大半はウィル・スミスのひとり芝居である。この状況で物語を構築するのが難しいのは解っているものの、たとえば放棄された家屋の痕跡などから住人のかつての生活ぶりや、如何にしてこの暮らしを捨てた、或いは失ったかを想像させるなどして、世界の拡がりを表現して欲しかったところであり、その点は物足りない。

 ただその分、ひとりで世界に取り残された男の生存術を丁寧に表現しているのは好感が持てる。各所に赴いて燃料や食糧を調達する傍ら、孤独に苦しむ自分を慰めるためにレンタル店にマネキンを配し、借り出しのために店員と会話する振りをしてみたり、佇む女性客に気のある演技をしてみせたりする。こういうユーモラスながらも、それ自体が悲しみを募らせる表現が巧妙だ。

 また、既に見慣れたモチーフであるとは言い条、それを深化し洗練させていることも事実である。荒廃し主人公しか存在しない都市、というシチュエーション自体は前述の作品にも登場しているが、本編ほど長尺で、しかも広範囲にわたって徹底して描かれている作品は稀であるし、クリーチャーと化した感染者の特性も、有り体ながらきちんと考察したうえで作りあげられている。一般の作品であればもっと大々的に採り上げられていいあるモチーフについて、仄めかすだけで特に説明もせず、主人公を取り巻く絶望的な状況のひとつとして織りこんでいるあたりの大胆さも評価したい。これといって強い主張をする箇所はないものの、終始惹きつけてしまう構成の巧みさも出色だ。

 目新しさはないものの、娯楽性に文芸的な深みをもきちんと与えた、完成度の極めて高い一本。少なくとも観ていて退屈することはない。