『題名のない子守唄』

原題:“La Sconosciuta” / 英題:“The Unknown Woman” / 監督:ジュゼッペ・トルナトーレ / 脚本:マッシモ・デ・リタ、ジュゼッペ・トルナトーレ / 製作総指揮:ラウラ・ファットーリ / 撮影監督:ファビオ・ザマリマン / 美術:トニーノ・ゼッラ / 編集:マッシモ・クアッリア / 衣装:ニコレッタ・エルコーレ / 音楽:エンニオ・モリコーネ / 出演:クセニア・ラパポルト、ミケーレ・プラチド、クラウディア・ジェリーニ、ピエラ・デッリ・エスポスティ、アレッサンドロ・ヘイベル、クララ・ドッセーナ、アンヘラ・モリーナ、マルゲリータ・ブイ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ / 配給:Happinet Pictures

2006年イタリア作品 / 上映時間:2時間1分 / 日本語字幕:吉岡芳子

2007年09月15日日本公開

公式サイト : http://www.komoriuta-movie.com/

ニッショーホールにて初見(2007/09/04) ※特別試写会



[粗筋]

 イタリアに、ひとりの女性が姿を現した。イレーナ(クセニア・ラパポルト)と名乗る彼女は、老朽化して大きな車が眼下を通りすぎただけで崩落しそうなアパートの一室を借り、大量のへそくりで身の回り品を揃えると、借りたアパートからほど近い高級住宅に仕事の口を求める。管理人を務めるマッテオ(アレッサンドロ・ヘイベル)は苦い顔をするが、給与から一定額を紹介料として渡す、という条件を提示されて口を利き、掃除婦の仕事を斡旋するのだった。
 イレーナが働き始めた高級住宅は、大半が“アダケル”という貴金属商の工場と、経営者の住居として借りられていた。イレーナはそこで働くジーナ(ピエラ・デッリ・エスポスティ)に接触、買い物に付き合ったりして交流を図り、一緒に遊びに行く仲になる。ジーナを映画に誘い出したイレーナは、その鞄から密かに働き先の鍵を抜き取り、彼女に気づかれる前に合鍵を作る。住人たちが出払った隙にイレーナは住居部分に潜入し、家捜しをするが、目的は果たせなかった……

 彼女の目的のためには、やはり雇われ人として潜入する方がいい。しかし、アダケル家では長年勤めるジーナの他に雇い入れる意志はなかった。そのためにイレーナは罪悪感を押して、強硬策に出る――エレベーターを嫌い階段ばかりを使っているジーナを偶然を装って突き落とし、マッテオの口利きでその後釜に就いたのである。

 アダケル家の主婦ヴァレリア(クラウディア・ジェリーニ)は家政婦としての技術を遺憾なく備えたイレーナを喜んで雇い入れるが、最初の日、ちょっとした手違いから彼女に怪我を負わされたひとり娘のテア(クララ・ドッセーナ)ははじめのうちイレーナに対して敵意を示す。しかしイレーナは誠心誠意テアに尽くした。極端に防衛本能が弱く、転んだときに大きな怪我を負いがちで学校でも縮こまって過ごしているテアに助言を施し、次第に親しくなっていく。

 だが、そうしてアダケル家に受け入れられながらも、イレーナには影がつきまとい、素行には不穏な気配がまとわりつく。彼女の目的はいったい何なのだろうか……?



[感想]

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督といえば出世作ニュー・シネマ・パラダイス』にしても、『海の上のピアニスト』『マレーナ』にしても、洒脱なストーリーテリングに美しく叙情的な映像、心理描写こそ持ち味と捉えられてきた。本編は、そういう監督の従来の作品からしてみるとかなり意外な新作である。

 本編は仮面を被った複数の女たちが、電車の爆音に揺れる廃屋で、覗き穴から眺める何者かに対して裸を晒して品定めをされている衝撃的なひと幕から始まる。その中に、今とは髪の色も質も異なるイレーナの姿があるが、この出来事と現在の彼女が何の為に動いているか、との関連は示されない。そのまま、イレーナの素性も目的も定かでないまま、彼女の謎めいた行動を本編は追っていく。

 まるで感情移入を拒む作りのように聞こえるかも知れないが、しかし観客は知らず知らずのうちにヒロインに肩入れしてしまう。それは、謎めいた展開の端々にスリリングな局面を挿入して、物語に緩急を齎しているからだ。たとえば、ジーナの鞄から掠め取った鍵を短時間で複製しようと鍵屋に駆け込むが混雑で非常に危うい状況に追い込まれたり、留守宅に侵入した際には、思わぬ人物と危うくはち合わせかけるといったトラブルが生じる。要所要所でそうした事態を折り込み、緊張を演出してくるので、その目的が不明なままにも拘わらず引きこまれ、知らず知らずのうちに感情移入させられてしまう。やたらと説明したがったり単純化したりしたがるサスペンスやアクションが多いなかで、本編のこういう成熟した語り口は、親しみやすくも深い見応えを醸成している。

 ヒロインを巡る謎については話を追うごとに次第に明らかとなっていくが、実のところ謎自体は決して複雑なものではない。ちゃんと考えながら鑑賞していれば理解は出来るし、仮に漫然と眺めていたとしても、終盤に畳みかける新事態に合わせてきちんと説明がなされていくので、どういうスタンスで鑑賞していようと戸惑うことはない。そして確実に、ヒロインを巡る過酷な運命と、そのために彼女が体験してきた辛苦に打ちのめされるだろう。

 終盤に来て感心させられるのは、設定の奥行きの深さと、それを披露する上での匙加減の絶妙さである。ヒロインが置かれていた境遇だけでもかなりの大河ドラマが構築できそうなものを、本編はある目的に絞り込むことで簡略化し、同時に世界の強度を高めているのだ。まさに熟達の手捌きであり、観終わったあと、そのドラマの厚みに打ちのめされながら、構成の巧さにも感嘆を禁じ得ない。こうすることで、ヒロインの真摯な想いだけを克明に見せることにも成功しているのである。

 そして何よりも、ラストシーンが素晴らしい。広告で“衝撃のラスト”と打たれるものは数あれど、偽りなし、と感じるものは決して多くなく、本編は珍しい成功例と言えよう。実のところ、その意図するところを予想するのは決して難しくなく、かくいう私自身、恐らくここに触れて終わらせるのだろう、と想像してラストシーンを迎え、その通りであったことで溜飲を下げた口である。だが、そこに至るまでの着実な道程と、決して多くを語らず、最小限かつ的確な道具立てによって、映画的に最高の形で披露したこのラストシーンには、痺れずにいられなかった。きちんと作り込んでいるからこそ実現できる、静かで饒舌な余韻に包まれた結末。凄惨なそれまでの出来事を文字通り癒してしまうこのワンシーンを目撃するためだけに、2時間を費やす価値が充分にある。

 わたしが映画道楽に嵌った初期に鑑賞した『マレーナ*1も大傑作であったが、本編もまた、方向性こと違えど、映画であることの矜持に満ちあふれた大傑作である。


*1:初期すぎるためにブログに移行するどころか、まだ単独でページを用意しておらず日記へのリンクという始末である。