『転校生 さよなら あなた』

原作:山中恒『おれがあいつで あいつがおれで』(角川文庫・刊) / 監督・潤色・編集:大林宣彦 / 脚本:大林千茱萸山内健嗣、剣持亘、内藤忠司、石森史郎、南柱根、大林宣彦 / 製作:黒井和男 / 撮影監督:加藤雄大 / 照明:西表灯光 / 美術:竹内公一 / 録音:内田誠 / 音楽:山下康介學草太郎 / 主題歌:寺尾紗穂『さよならの歌』 / 出演:蓮佛美沙子森田直幸清水美砂、厚木拓郎、寺島咲、石田ひかり田口トモロヲ窪塚俊介犬塚弘古手川祐子長門裕之関戸優希高木古都斉藤健一 / 配給:角川映画

2007年日本作品 / 上映時間:2時間

2007年06月23日日本公開

公式サイト : http://www.tenkousei.net/

東商ホールにて初見(2007/06/07) ※舞台挨拶つき特別試写会



[粗筋]

 中学三年の斉藤一夫(森田直幸)は、両親の離婚をきっかけに広島県尾道から、幼い頃に暮らしていた長野県に引っ越すことになった。

 転校した学校で、担任の大野先生(石田ひかり)に紹介されていると、突如大きな声をあげた女子生徒がいた。開けっ広げに一夫の恥ずかしい過去を暴露してしまった彼女の名は斉藤一美(蓮佛美沙子)――名前が酷似していたこともあって、一夫と何かと共通する想い出を持つ幼馴染みだった。

 とはいえ、離れていた時間が長ければ、それだけ環境も変わる。一夫は未だ尾道時代に付き合っていた吉野アケミ(寺島咲)に心を残していたし、一美には山本弘(厚木拓郎)という彼氏がちゃんといた。哲学にかぶれた弘と一夫とはいまいち波長が合わなかったけれど、一美とはほどなく昔と同じような調子で話が出来るようになる。

 一美はさっそく一夫を自分の家である蕎麦屋に連れて行き、幼馴染みの帰還を告げると、慌ただしく彼を裏山へと導く。一美の家の蕎麦打ちに使っている“さびしらの泉”の水を飲ませてあげたい、という一心からだったが、長い柄杓を使って水をすくっているとき、誤ってふたり一緒に泉へと転落してしまう。

 どうにか泉から這い出た一夫は、朦朧とした意識のまま、転居先である閉店した居酒屋へと舞い戻る。何故か母(清水美砂)に罵られたことに困惑しながら浴室に赴き、濡れた服を着替えようとして、一夫は愕然とした――何と、鏡に映っているのは一美だった。

 慌てて一美の家に駆けつけてみれば、家族を相手に泣きじゃくる自分の姿がある。どういう力が働いたのかは謎だが、一夫と一美の心と体が入れ替わってしまったのは間違いないらしい。戻る方法など見当もつかない以上、とりあえずお互いの体に合わせて生活していくしかない……こうして、一夫と一美の奇妙な日々が始まった……



[感想]

 1982年に、大林宣彦監督が山中恒の小説をもとに撮った映画『転校生』は、現在も飄然とした演技派として活躍する小林聡美を輩出した、青春映画の定番的な位置づけにある傑作である。それを、舞台を尾道から信州に移し、時代設定も現代に置き換え、プロットにも大幅に手を加えたうえで、大林監督自らがリメイクしたのが本編である。第三者がリメイクするよりも、本来の雰囲気を損ねずに進歩させるこの形式のほうが一般的には理想と考えられるのだが……しかし、率直に言って、本編には当てはまらなかったようだ。あまり芳しい出来とは言いがたい。

 象徴的なのが冒頭の電車内、斉藤一夫と母親との会話である。スピード感はあるのだが、台詞の内容がいまいちで聞き取りづらくテンポが悪い。いちおう尾道から信州に引っ越している途中だ、というのは伝わるがどうも聞いていて耳障りが悪く、細かなニュアンスが入ってこないのだ。心持ち傾けたりやたらと動き回ったりする独特なカメラワークもさほど必然性が感じられず、集中力を削がれる。序盤は終始こんな感じで、肯定材料があまり見つからなかった。

 体が入れ替わってからの言動は、それまでに提示された設定に基づいたユーモアに多少の安定感が生まれてくるが、肝心の主人公ふたりの性格付けが序盤と比較して揺らいでいる印象が強く、根本的に生じた不自然が観ていて落ち着かない気分にさせられるのだ。特に一夫の心が入り込んだ一美は、それ以前の一夫の描写や背景と比較すると性格がどうも粗雑で無頓着になりすぎている。ピアノを嗜みコンクールでの入選経験もあり、尾道時代には付き合っていた少女の家でうどん打ちを学ぶ、殊勝で繊細な感性を備えた少年にしては、女性になってからの言動はあまりに乱暴なのだ。ユーモアを構築するにしても、きちんと個性や状況設定の裏打ちがなければ、痛々しさばかりが増してしまう。

 だが、今回のリメイクにあたって変更された中盤以降の趣向はいい。個人的にこのやり方は卑怯だと認識しているほうなのだが、心と体が入れ替わる、という基本発想を活かすためには有用であるし、青春の一過程である“恋愛”という“事件”を扱ううえでは、こういう趣向が極めてうまく合致することも事実だ。

 そのアイディアが提示される直前の、幾つかの描写にも出色の点がある。相手を心の底から慕っているのではなく、恋愛という“様式”に対する憧れを他者への思慕と誤解していた本心を貫く台詞はなかなか秀逸。ここでの出来事を敷衍して、山場になって主人公ふたりに意外な“理解者”が登場する発想も、オーソドックスながら巧い。

 しかしアイディアが良質であればあるほど、転換点にあたる状況展開の不自然さが勿体なく、肝心のアイディアの周囲にゴテゴテと話を付け足しすぎている無駄も目につく。青春ものとして徹底させることを思えば、主人公達のあいだに起きた出来事を知らない友人達との交流にもっと尺を費やすべきだったと思うし、恐らく終盤のくだりは長野の情景を極力作品に盛り込みたいという意識から追加されたものだと推測できるが、それで話運びをだらだらさせるくらいなら、後半を圧縮して序盤に尺を残し、心理描写を増やす、間をもう少しゆったりと持たせるなどの工夫を凝らして、登場人物たちの心情をもっとじっくりと染みこませるほうが有効だっただろう。

 そのあたりを敷衍していくと、序盤のやたらに凝ったカメラワークもまたやはり邪魔だ。角度を駆使したりやたらと動き回ったカメラワークが多い一方、物語の大きな節目が過ぎると急に落ち着く傾向にあるので、静と動を描き分けたい意図があったのかも知れないが、ならばなおさらに人物描写をもっと丹念に掘り下げて効果的に使うべきだっただろう。脚本の基本構成がなっていないので、凝ったカメラワークもまったく効果を齎していないのだ。

 細かな表現や台詞回し、意識的に風情のあるロケーションを選んだ映像など、惹きつけられる点は決して少なくない。まだまだ台詞は拙いが、それ故に雰囲気を良く醸し出していた若い俳優陣も決して悪くなかったが、他の部分が大半噛み合わず、また思慮に欠いたためにガタガタになってしまった。想像するに、監督がやたらと作家性を意識しすぎるあまり、自分の瞬発的な着想に頼り我を押しだしてしまったのが拙かったのではなかろうか。

 脚本を、もっと話の構成に長けたひとりの書き手に委ね、編集も監督以外の人物が手懸けていれば良くなったようにも思える。ただただ、勿体ない作品であった。