『奇跡の人』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン2入口に掲示された案内ポスター。 奇跡の人 [DVD]

原題:“The Miracle Worker” / 原作戯曲&脚本:ウィリアム・ギブソン / 監督:アーサー・ペン / 製作:フレッド・コー / 撮影監督:アーネスト・カバロス / 編集:アラム・アヴァキアン / 音楽:ローレンス・ローゼンタール / 出演:アン・バンクロフトパティ・デューク、ヴィクター・ジョリー、インガー・スヴェンソンアンドリュー・プライン、キャスリー・カムジーズ、ベア・リチャーズ、ジャック・ホランダー / 初公開時配給:東和 / 映像ソフト発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン

1962年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:古田由紀子

1963年10月26日日本公開

午前十時の映画祭7(2016/04/02〜2017/03/24開催)上映作品

2017年1月20日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2017/1/30)



[粗筋]

 その日、まだ生後数ヶ月のヘレン・ケラーは発熱した。医師の手当てによって快方に向かったかに見えたが、医師が去ったあとで、母のケイト(インガー・スヴェンソン)はヘレンの反応がおかしいことに気づく。目の前で指を弾いてもまったく反応しないのだ。指の動きを眼で追うことも、大声に怯えることもない――ヘレンは、視力と聴力とを失っていた。

 8歳になったヘレン(パティ・デューク)はさながら獣のようだった。意思の疎通は出来ず、ただ衝動に任せて動き回り、手掴みで食事をする。父のケラー大尉(ヴィクター・ジョリー)は家に安息の場がないことに苛立ち、先妻の息子ジェームズ(アンドリュー・プライン)はまるで他人事のような物言いしかしなかった。

 環境が劣悪な施設に入れるには忍びなく、ケラー一家は盲学校に対応を相談する。この話を受けて盲学校は、ひとりの卒業生を家庭教師としてケラー家に派遣した。

 その家庭教師、アニー・サリヴァン(アン・バンクロフト)は、手術で一定の視力を得たが、もともとは盲目だった人物である。まだ若く、教壇に立った経験さえない彼女に大尉やジェームズは疑いの目を向けるが、サリヴァンは構わず、ヘレンの観察から始める――

[感想]

 日本ではヘレン・ケラー=奇跡の人、という捉え方をされがちで、実際は彼女に教育を施したアニー・サリヴァンがそう呼ばれていた、というのはときどき耳にするトリビアだが、本篇を観ればそういう誤解は抱かないはずだ――というより、原題を見れば一目瞭然だ。“The Miracle Worker”、つまりは“奇跡の働きをした人”なのだから。

 ゆえに本篇では、タイトル・ロールであるサリヴァン先生に焦点を当て、彼女のモノローグと共に、随所で彼女自身の体験をオーバーラップさせて、ヘレンに対する“教育”を綴っていく。

 序盤、視力聴力のないヘレンの暮らしぶりの描写が生々しいことにも衝撃を受けるが、しかしこの作品の凄みはそのあと、教育のくだりにこそある。

 いわば閉じた世界で、本能の赴くままに近い生活を送ってきたヘレンに、文字通りぶつかり合うようにしてサリヴァン先生はマナーを教え、ものの意味を理解させようとする。ヘレンのまるで動物じみた行動に、同様の荒々しさで接しつつも、人間として暮らすために必要な節度を教え込む姿は、ほとんど格闘だ。

 その過程において、いちおうサリヴァン先生の独白というかたちで意図や心情が表現されているが、しかし肝心のヘレンとのやり取りにはいっさい言葉がない。表情と動きのみで描かれる一連の“授業”のあまりの迫力に、観る者はいつしか目を奪われているはずだ。視覚と聴覚に障害を持つ人物に教育を施す、という過程がリアルであることは勿論だが、その凄まじさは同時に演じる者の熱量をも濃密に伝えてくる。モチーフに対して誠実たらん、とする描き方もさりながら、このモチーフだからこそ、の演技対決もまた本篇の大きな見所と言えよう。

 サリヴァン先生の懸命の指導によって、次第に行儀を学んでいくヘレンだが、しかしその一方で先生は終始、自らが教える行動の意味をヘレンがきちんと理解しているか、それを量る術がないことに悩みつづける。彼女のしていることは“躾”に過ぎず、その“躾”がどうして必要なのか、という“教育”には達していないからだ。

 サリヴァン先生の回想を随所に織り交ぜながら描かれるこうした無力感は次第に閉塞感となっていく。その感覚は、ヘレンと同じような境遇に置かれたかのような錯覚をサリヴァン先生自身にも、観客にももたらしていく。そして、そうした共感が生まれるからこそ、本篇のクライマックスは強烈で、感動的なのだ。ものに名前がある、ということを知った瞬間の喜びを共有できるのだから。

 本篇はもともと戯曲であり、舞台において演じられていたという。映画化にあたってサリヴァン先生役には大スターの起用が検討されたが、スタッフは舞台において彼女を演じたアン・バンクロフトにこだわったらしい。その主張が通ったことに合わせて、ヘレン役も舞台版で演じていたパティ・デュークが続投したそうだ。作中のヘレンは8歳、それに対して演じたパティ・デュークは当時16歳、と聞くと無茶な配役のようにも思えるが、もしサリヴァン先生をスターが演じ、ヘレンを役柄の年齢に近い少女が演じていたとしたら、果たしてここまでの熱量を称えた作品になっただろうか。

 本篇はサリヴァン先生という、“奇跡的な仕事を成し遂げた人物”を描く感動のドラマである。だがそれ以上に、この難しいシチュエーションに臨んだふたりの女優の熱い演技そのものが魅力の作品なのである。たとえ映像はモノクロで、題材が古くなってしまっていても、この演技の凄味はまったく色褪せていない。

関連作品:

冬の嵐』/『卒業

街の灯』/『レッド・ドラゴン』/『ヴィレッジ』/『武士の一分』/『それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60周年記念製作映画〜』/『まぼろしの邪馬台国』/『ブラインドネス』/『ドント・ブリーズ

きれいなおかあさん』/『キャタピラー』/『聲の形

コメント

タイトルとURLをコピーしました