『初恋のきた道』

※htmlでアップしていた記事の再掲・追記版です。

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン2入口に掲示された案内ポスター。 初恋のきた道 [DVD]

原題:“我的父親母親” / 英題:“The Road Home” / 原作&脚本:パオ・シー / 監督:チャン・イーモウ / 製作:チャオ・ユイ / 編集:チャイ・ルー / 撮影:ホウ・ヨン / 音楽:サン・バオ / 出演:チャン・ツィイースン・ホンレイ、チョン・ハオ、チャオ・ユエリン / 配給&映像ソフト発売元:Sony Pictures Entertainment
2000年中国作品 / 上映時間:1時間29分 / 日本版字幕:太田直子、水野衛子
2000年12月2日日本公開

午前十時の映画祭7(2016/04/02〜2017/03/24開催)上映作品

2007年5月30日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

DVDにて初見(2003/12/30)

TOHOシネマズ日本橋にて再鑑賞(2017/1/16)



[粗筋]

 父が死んだ。時代から取り残されたような村で子供相手に40年以上に亘って教鞭を執り、古くなった校舎改築の資金繰りのために吹雪くなかを歩き回っているうちに倒れたのだ。誰も気づかなかったが父は心臓病を患っており、発見されたときには手の施しようもなく、そのまま病院で亡くなったという。

 父の弔いのため数年振りに故郷を訪れた私(スン・ホンレイ)は、母(チャオ・ユエリン)が父の遺骸を担いで村まで運ぶことに固執していると聞かされて驚いた。町から村までは相当の距離があり、いまや子供と年寄りしかいないこの村の人手では大変な話だった。母は隣村から人手を雇ってでも、トラクターではなく自分たちの手で父を我が家に連れて帰りたい、という。母がそこまでこだわる理由も、解らないではなかった――

 若き日の父――ルオ・チャンユー(チョン・ハオ)はこの村の人間ではなかった。町で学問を修めたあと、村の募集に応じて初めての教師としてやって来た人間だった。村人と共に彼を迎えた若き日の母チャオ・デイ(チャン・ツィイー)は、そんな父に一目惚れをしたらしい。村では新しい建物を建てるとき、その村でいちばん美しい娘が織った布を梁に巻く風習があり、このときその役割は母にあてがわれた。母は心をこめて織ったという。

 少しでも父のそばにいたかった母は涙ぐましい努力をした。学校作りのために駆り出された村人の食事は、村の女たちが持ち寄る決まりになっており、常に人よりあとに皿を取る父の手に自分の料理が渡るよう、いちばん後ろに自分の食器を置いた。学校が出来たあとは、父が子供達に向かって朗読する声を聴くために、毎日そのそばを歩いた。遠くに住む子供を送ることがあると聞くと、その道筋から遠くない場所に佇んで彼の姿を見届けた。新たに掘られた新しい井戸ではなく、学校が見える高台にある古い井戸で水を汲むようにした。

 そんな切実な想いはやがて父にも届いた。ひとり暮らしの父のために、村人は持ち回りで彼を家に招き食事を提供することになっている。はじめて父が食事のために母の家を訪ねたとき、戸口で迎える母の姿が、父には一幅の絵のように見えたという。

 だが、想いが通じたという喜びも長くは続かなかった。町では時代の変化が怒濤のように押し寄せており、母たちには与り知らぬ理由で父は町に連れ戻されてしまったのだ……

[感想]

 まあ、なんとシンプルな話か。

 舞台はひとつの村に限定され、母=デイと父=先生の恋慕以外に作品を支配する感情はない。彼らの関係の成就には村人が、そしてラストシーンには村の外にいる人々が助けとなっているが、その大半は名前もなく画面上での描写もなく、“私”のナレーションや村長の台詞などから窺い知れるだけである。

 つまり語られているのは見事なまでに主人公の恋愛感情だけ――それも、基本的に母・デイの視点で描かれている。ここまでシンプルというかストイックというか、余分な要素を排除した話も昨今珍しいのではないか。

 一方で、ただ成就した恋愛を描いて良しともしていない。その相手が死んだという事実から、ふたりの息子である“私”が数年振りに帰郷するという陰鬱なエピソードで物語をはじめており、終盤でその顛末を描いて物語を締めくくっている。

 ただ、エピソードの扱いはすべて淡々としていて、すんなりと感情移入できればいいが、そうでないと「あれあれ?」と思っている間に話が終わってしまう(何せたった89分だし)。虚飾をゼロに近いくらいに排除しているため、普遍的でふくらみはあるが、決定的なポイントに欠くという一面もある。

 が、それで大きな物足りなさを感じないのは、色彩感覚とカメラワークのなせる技だろう。地方の四季折々のさま、特に後半、引き裂かれたふたりの心象を映すように凍てつく雪に包まれた姿が清澄で美しい。過去を天然色でみせながら、現代をモノトーンで表現するという転倒した感覚も、過去の物語により力強い華を添えている。

 しかし本編における最高の見どころは何と言っても――若き日のデイを演じるチャン・ツィイーの途方もない愛らしさだろう。一歩間違うとストーカー的な行為(本当は安易にそー決めつけること自体間違いなのだけど)も、彼女がすると実にけなげで微笑ましく映る。寒い土地での話ゆえ、厚手の服を纏ってぶくぶくとした外見になっても、その歩く後ろ姿がペンギンみたいに見えて、もー抱きしめたいくらいに可愛いのである。

 感動のラブストーリー、と言われるほど簡単に泣けない人も多いだろうが、チャン・ツィイーの存在感のためだけにでも一見の価値はある。

 ――というのが、DVDにて初めて鑑賞した当時の、私の感想である。

 鑑賞後に自分で書いたこの文章を読み直して、基本的な印象は初見のときと変わっていなかったのだが、あえて付け加えると、やはりこれも大きなスクリーンで観るべき作品だった、という点だ。

 色彩の美しさ、カメラワークの巧みさには言及したが、しかしこれらが大スクリーンに乗せられたときの美しさは、自宅の小さな画面で観たときの比ではなかった。様々な出来事が計算されたカメラアングルで捉えられることで、時間や感情の変化さえ表現しきっている。

 そしてやはり、そんな中にあってもチャン・ツィイーの愛らしさは際立っている。構成の都合もあったのだろう、一連の感情の変化をいちどの芝居で表現するような堂々たるくだりこそないものの、細かく切り取られた多彩な表情は、それだけでも満腹感を味わわせてくれる。

 既に7年目となり、2017年1月現在で既に8回目の開催も発表済となって、定着してきた感のある午前十時の映画祭だが、こうしたリヴァイヴァル上映企画そのものが増えた、とはまだまだ言い難い。名作でさえ再上映の機会は貴重なので、もしリアルタイムでこの文に接している方が本篇に関心を抱いたのであれば、何とか時間を設けて、最寄りの上映館に足を運んでいただきたい。こんどはいつ観られるか解りませんから。

関連作品:

HERO 英雄』/『LOVERS

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