『この世界の片隅に』

TOHOシネマズ西新井、スクリーン1入口に掲示されたチラシ。

原作:こうの史代(双葉社・刊) / 監督、脚本&音響演出:片渕須直 / プロデューサー:真木太郎 / 企画:丸山正雄 / 監督補&画面構成:浦谷千恵 / キャラクターデザイン&作画監督松原秀典 / 美術監督:林孝輔 / 色彩設計:坂本いづみ / 動画検査:大島明子 / 撮影監督:熊澤祐哉 / 編集:木村佳史子 / 音響効果:柴崎憲治 / 録音調整:小原吉男 / 音楽:コトリンゴ / 声の出演:のん、細谷佳正尾身美詞稲葉菜月牛山茂新谷真弓小野大輔岩井七世潘めぐみ小山剛志津田真澄京田尚子佐々木望塩田朋子、瀬田ひろ美、たちばなことね世弥きくよ、澁谷天外 / 製作統括:GENCO / アニメーション制作:MAPPA / 配給:東京テアトル

2016年日本作品 / 上映時間:2時間9分

2016年11月12日日本公開

公式サイト : http://www.konosekai.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2016/12/19)



[粗筋]

 すずさん(のん)は広島市の海苔農家で育った。少しぼんやりで、何かと空想に耽ってしまうすずさんは、お遣いに出かけては街をスケッチし、見慣れた街にいつもとは違う出来事を想像するのが好きだった。

 日本はこの頃、急速に戦争への機運が高まりつつあった。がさつだった兄が兵隊に取られると、これで虐められることも少なくなる、と安心していた矢先に、すずさんに嫁入りの話が持ち上がる。何でも、どこかですずさんを見初めた人が彼女を捜し歩き、是非に、と呼びかけてきたらしい。こうしてすずさんは、いちども会わないまま、夫となる北條周作(細谷佳正)のもとへと嫁いだのだった。

 すずさんの新しい家は呉市の山腹にあり、日本最大級の軍港が望める場所だった。周作さんは海軍の文官として軍港に勤め、義理の父も海軍工廠で装備を扱っている。しかしすずさんは、夫の仕事よりも、突然放り込まれた見知らぬ土地での暮らしに慣れるのに懸命だった。幸いに義理の父母はよい人で近所の覚えも早かったが、困ったのは義理の姉である黒川径子(尾身美詞)との関係だった。

 かつてはモガとして鳴らし、働き口も嫁ぎ先も自分で決めてしまった利発な義姉は、ぼんやりのんびりで要領の悪い嫁が気にくわないらしく盛んに突っかかってくる。どういうわけか頻繁に実家に滞在するので、すずさんは義姉との付き合い方に悩まされることになった。ただ、義姉の娘である晴美(稲葉菜月)は母とは対照的にすずさんに懐いてくれた。

 そうこうしているあいだにも、戦争はいよいよ激しさを増していく。配給が乏しくなるのはもちろんのこと、戦艦大和も入渠する呉の軍港には頻繁に空襲が来た。苦しい日々の中で、いつしか夫婦らしくなっていた周作さんも派兵を想定した訓練を受けることになり、北條家の生活は次第に、ぼんやりのすずさんが支えることになっていったのだった……。

[感想]

 時代を描いたドラマ、と曖昧に捉えてもいいのだが、はっきりと“戦争ドラマ”と言い切ってしまっても差し支えないだろう。しかも、超一級のクオリティの、である。

 主人公は、その時代に生きた、ごく普通の女性だ。いまのひとには信じがたいが、ろくに交流したこともない男性のもとに嫁ぎ、そこが日本屈指の軍港である呉であったために、恐らく他の土地に暮らす者よりも生々しく、戦争のある一面を覗きこむことになったが、あくまで当時の標準的な生き方、価値観を持つひとりの女性の立場、経験を本篇では描いている。

 決して特異な切り口ではないのだが、本篇が際立っているのは、“ぼんやり”したヒロインの視点を借りることで、彼女の生き方に明確な目的意識を与えなかったことで、普通なら他に現れる目的や動機を排除し、戦争に影響されて変化していく暮らしをシンプルに剔出することに成功している。次第に乏しく、貧しくなっていく配給をいかにやりくりするか。軍港として栄えた町であるがゆえに頻繁に空襲の危機に晒されるさま。文官である夫の立場の変化や、海軍工廠に勤める義父の働き方にも、その影響は如実に窺える。すず自身はあくまでひとりの嫁として家を守ることに懸命であるだけだが、彼女が一所懸命であればあるほどに、戦争の影はくっきりと落ちる。

 今となっては重苦しいだけの時代に思えてしまうが、しかし実際にその時代に生きる人にとっては、迫りくる戦争も単純に社会の現実であり、そこで何とか暮らしていくしかない。鬱ぎこんだり考えこむよりも前に、食糧を如何に確保するか、身近な人間の無事をどのように確保するか、のことのほうが重要だし、そういう状況だからこそあえて現状を受け入れ、ときには笑い飛ばしたりもする。そうした姿を、本篇はほとんど気負いなしにそっと織り込んでくる。

 たとえば、絵を描くのが好きなすずは、畑から見える軍港に入渠する戦艦の姿を何気なくスケッチしてしまう。その行為が、たまたま通りかかった官憲によって見咎められ家族の前で吊し上げを食うのだが、このときの家族の反応が印象的だ。家族からしてみたら、すずが間諜行為などするはずも、出来るはずもないのはよく解っている。それが疑われていることが可笑しくて、しかしまさか官憲の前で笑うことも出来ずにずっと辛抱しているのだ。たまらず笑いころげる姿は、そこまで不穏な影が広がる現実を忘れてしまうくらい暖かな気分にさせてくれる。キャラクターだけでなく背景にも浸透した柔らかなタッチも、その優しさ、温もりが行き届いているかのようだ。

 だが、そんな彼女でさえも心をへし折られてしまうような出来事が終盤で起きる。それまでの、戦争であっても己の生活を守るべく穏やかに奮闘する描写も秀逸だが、そうした経緯を経て描かれる終盤の重みが凄まじい。

 私自身、本篇に対する予備知識として、広島県が舞台ながら広島市からは少し離れているがゆえの描写が特徴的である、というのがあった。実際、誰もが知るあの出来事の描写も月並みではなく語る価値があるのだが、しかし本当に優れているのは、その前後の描写だろう。一連の出来事を経たあとで、あののんびりのすずさんが口にする変心とも思える呟きと、ある場面での激昂。そしてそのあとにある、過酷でありながらも天佑のような温かい結末。

 どんな状況であっても、ひとはただ生きていくしかない。その姿を押しつけがましくなく、そして繊細に描き出したからこそ辿り着きうる結末とその余韻はいつまでも胸に残る。

 終幕まで辿り着いたとき、ヒロイン・すずの絵を描くのが好き、という個性が本編において極めて重要であったことが解るはずだ。観終わったあと、果たして彼女はふたたび絵を描くだろうか? という疑問が首をもたげるが、それは決して重要ではない。絵を描いたことを含む記憶と経験にこそ、本篇の想いが深く刻まれているのだ。エンドロールで流れる曲が『みぎてのうた』と題されているのも、当然のことなのである。

 繰り返して断言したい。これは優秀な戦争映画である。そして、アニメでしか描き得なかった傑作だ。もちろん、うまく処理すれば実写でも表現は出来るだろうが、この味、そして苦しくも快いエンディングの余韻は、アニメーションでなければ不可能だっただろう。

 2016年の邦画は、『シン・ゴジラ』の成功に加え、記録を塗り替える勢いで快進撃を続ける『君の名は。』が話題を占拠した感がある。しかし、それと共に本篇という、今後語り継がれるであろう傑作が生まれた年として記憶されて然るべきだ。

関連作品:

心が叫びたがってるんだ。』/『ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ』/『Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!!

仁義なき戦い』/『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』/『終戦のエンペラー

シン・ゴジラ』/『君の名は。

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