『麦子さんと』

TOHOシネマズ錦糸町、劇場前に掲示されたポスター。

監督:吉田恵輔 / 脚本:吉田恵輔、仁志原了 / エグゼクティヴプロデューサー:小西啓介 / プロデューサー:木村俊樹 / アソシエイトプロデューサー:姫田伸也 / ラインプロデューサー:向井達矢 / 撮影:志田貴之 / 美術:吉村昌悟 / 照明:佐藤浩太、岡田佳樹 / 編集:太田義則 / スタイリスト:荒木里江 / ヘアメイク:清水美穂 / 劇中アニメ演出&絵コンテ:川崎逸朗 / 劇中アニメキャラクターデザイン&作画監督:八尋裕子 / 劇中アニメキャラクター原案:たけはらみのる / 劇中アニメ制作:Production I.G / 録音:小宮元 / 音響効果:佐藤祥子 / 音楽:遠藤浩二 / 挿入歌:松田聖子赤いスイートピー』 / 出演:堀北真希松田龍平麻生祐未ガダルカナル・タカふせえり岡山天音田代さやか温水洋一余貴美子 / 声の出演:喜多丘千陽、萱沼千穂 / 制作プロダクション:ステアウェイ / 配給:PHANTOM FILM

2013年日本作品 / 上映時間:1時間35分

2013年12月21日日本公開

公式サイト : http://mugiko.jp/

TOHOシネマズ錦糸町にて初見(2014/01/08)



[粗筋]

 小岩麦子(堀北真希)の前に突然、母親が現れた。自分が幼い頃に離婚した母・赤池彩子(余貴美子)の記憶は全くなく、麦子は戸惑うばかりだったが、兄・憲男(松田龍平)はこっそり生活費を振り込ませていたらしく、同居させてほしい、という頼みを、最初ははねつけていた憲男だったが、けっきょく折れてしまう。しかも同居間もなくして、憲男は交際中の恋人と同棲を始める、と言い出してマンションを出ていき、麦子は母とふたり暮らしを余儀なくされた。

 母とはいえ、生きていることさえ知らなかった相手との同居は、麦子にとって迷惑なだけの状況だった。生活習慣がまるで異なり、趣味嗜好も把握していないために、彩子はしばしば麦子の癇に障るような行動に及ぶので、なおさら苛立ちは募る。

 それでも数日、暮らしを共にしているうちに、初めて口にする手料理の嬉しさや、影ながらに面倒を見てくれていた彼女に対する感謝の念が湧き始めた麦子だったが、如何せんまったく接点のなかった母親との交流の仕方も解らず、話をすれば思わずきつい言葉を口にしてしまう。

 そして、来たときと同じように唐突に、彩子は逝った。末期の肝臓癌だった、ということだが、麦子には最期までそんなことはおくびにも出さなかった。

 四十九日を迎えると、麦子は赤池家の墓に納骨するため、彩子の郷里に赴く。憲男は「仕事が忙しい」と言って、旅費だけを受け持ち、法事を麦子に丸投げした。仕方なく長い旅を経てきた麦子を出迎えたのは、ろくに言葉も交わさず逝ってしまった母の、意外な過去だった……

[感想]

 観ながら私が終始感じていたのは、ちょうど本篇の公開の少し前まで放映され、一大ブームとなっていた朝ドラ『あまちゃん』との類似だった。

 母親の郷里に向かう、という導入に、その母親がかつてアイドル的存在で、歌手を目指して上京した、という過去があること。主人公・麦子には“声優になりたい”という夢があり、母親の過去との符合がある。鍵として用いられているのは、母親の世代にとってアイドルの象徴であった松田聖子赤いスイートピー』。

 しかし、そのつもりで比較すると、本篇は恐ろしく地味だ。『あまちゃん』のように、本格的にアイドルとして活動するパートはなく、母・彩子はいっさい表舞台に出ることなく夢を諦めている。既に父親を亡くし、どうにかマンションの家賃を工面して生活する小岩兄妹の暮らしぶりも地味だし、郷里に向かったあとでさえ、そこには『あまちゃん』の舞台・北三陸の海女や第三セクターの鉄道、といった名物名所もない――或いはまったく触れられていない。そもそも撮影に選んだのが山梨県であるが故に、海さえもほとんど見えないのだが。

 とはいえ、これは『あまちゃん』より劣っている、という話ではまったくなく、たまたま想起させるポイントが多いだけだ。本篇は『あまちゃん』にあったファンタジー的な要素を取り除き、より実感的に、身近に組み立てた内容と言える。

 登場人物の暮らしぶりや言動には、超人じみたところはもちろん、カリスマ的要素も一切ない。その代わり、いずれもほんのりと見覚えのある親近感と、それ故にちょっと滑稽な魅力が添えられている。たとえば麦子の兄・憲男の屈託のない無神経さと、時折ちらりと覗かせる優しさ。憲男と同様に少々無神経だが、麦子に何を言われても怒らず笑顔で接し、恐らく自らを蝕んでいた病魔の影を隠し通そうとしていた母・彩子。麦子の郷里では、かつて彩子に想いを寄せていたタクシー運転手井本(温水洋一)が“ストーカー”呼ばわりも宜なるかな、の憎みきれない奇行を見せ、かつての彩子の面影を麦子に重ねるひとびともほどほどに無神経で、心優しい。

 だが何よりも、他ならぬ麦子の造形が絶妙だ。ずっと生活を、兄を介して母に依存してきたが、そういう自覚もなく彩子の存在を疎んじ、けれど同時に今まで知らなかった母の細かな振る舞いに驚かされ、そして微かに喜んでいるその佇まい。麦子を演じている堀北真希は、生き写しだったという麦子の母・彩子の若き日も自ら演じているが、その“身近なアイドル”っぷりが頷ける可憐さもちゃんと体現している。どこにでもいそうで、しかし唯一無二の雰囲気を醸し出せるのは、近年珍しい“清純派”の透明感を備えた彼女ならではだろう。

 そして彩子のかつての友人で、すぐに帰れない事情の出来た麦子を受け入れる古里ミチル(麻生祐未)との交流が、麦子に自然に、母親というものを考えさせ、実感させていく。終始緩やかな日常のなかで繰り広げられるやり取りが、次第に麦子の中で膨らみ、もう触れ合うことの出来なくなった母親の温もりをもたらす。

あまちゃん』との類似をあげつらったが、狙っているところはまるで異なる。コメディ色もあるにはあるが、緩やかな笑いが生む微温的な世界のなかで描こうとしているのは、あくまで母子の姿だ。不運な経緯はあったが、確かに関係が結ばれていたふたりの繋がりを、少しずつ確かめていく物語なのである――同様のテーマは『あまちゃん』のなかにもあったが、本篇は尺が短く、そして夾雑物が少ないぶん、じっくりと味わえる。

 ただ、ほんとーに地味なのだ。架空の田舎町、として描かれているらしい彩子の郷里には本当になんの名物もないので、馴染み深い光景を美しく切り取ってはいるが、決して特徴はない。堀北真希はとことん可愛いが、『あまちゃん』のように頑張って歌っているわけでもないので、やはりあのような鮮烈さはない。それでも、全篇に漂う優しさは、しばらく浸っていたい快さがある。

 多くのひとを虜にするようなパワーはないが、時折思い出して、そっと振り返りたいような好篇である。最終的にはアテ書きになった、という監督の弁通り、堀北真希の魅力を嫌味なく引き出している点でも、私は高く評価したい。

 ちなみに本篇、もうひとつ『あまちゃん』との共通点がある。作中に、オリジナルのアニメが挿入されていることだ。しかもこの点だけは、鉄拳単独によるパラパラアニメであったあちらよりも、業界大手のProduction I.Gに委ねた本篇があちらよりも豪華と言いきれる。

 監督は、本篇で麦子の設定や振る舞いを引き立てるためだけのこの小道具に、2クール分の構想を用意した、と豪語し、スピンオフの話も受ける、と言っているようだが……正直、断片だけだと、どーいうふうに面白いのかさっぱり解らないので、具体化は難しそうな気がする。

関連作品:

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