『天使の分け前』

銀座テアトルシネマ、1階ホール壁面の大看板。

原題:“The Angels’ Share” / 監督:ケン・ローチ / 脚本:ポール・ラヴァティ / 製作:レベッカ・オブライエン / 製作総指揮:パスカル・コシュトゥー、ヴァンサン・マラヴァル / ライン・プロデューサー:ピーター・ギャラガー / 撮影監督:ロビー・ライアン / プロダクション・デザイナー:ファーガス・クレッグ / 編集:ジョナサン・モリス / 衣装:キャロル・K・フレイザー / キャスティング:カーリーン・クロフォード / サウンド編集:ケヴィン・ブレイザー / 録音:レイ・ベケット / 音楽:ジョージ・フェントン / 出演:ポール・ブラニガン、ジョン・ヘンショウ、ガリー・メイトランド、ウィリアム・ルアン、ジャスミン・リギンズ、ロジャー・アラム、シヴォーン・ライリー、チャーリー・マクリーン、ギルバート・マーティン、スコット・カイル / 配給:Longride

2012年イギリス、フランス、ベルギー、イタリア合作 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:太田直子

2013年4月13日日本公開

公式サイト : http://tenshi-wakemae.jp/

銀座テアトルシネマにて初見(2013/05/07) ※同館クロージング作品



[粗筋]

 札付きのチンピラだったロビー(ポール・ブラニガン)も、そろそろ年貢を納めるときが来た。恋人レオニー(シヴォーン・ライリー)の出産が迫っていたのだ。キレやすく始終揉め事を起こしていたロビーもこれを機にまっとうな仕事に就いて家族を支えねばならないが、しかし昨今の不況下では、前科のある不良に働き口などそうそう得られるわけではない。

 レオニーの父親マット(ギルバート・マーティン)は裕福な経営者で、ロビーがレオニーと所帯を持つことをまったく歓迎していなかった。出産の報を受けて病院へと駆けつけたロビーはマットたちレオニーの家族から袋叩きに遭わされてしまう。反撃に出ようとしたロビーを制止し、治療を施してくれたのは、ロビーたち犯罪者の社会奉仕活動の監督をしているハリー(ジョン・ヘンショウ)だった。ハリーは友人宅を転々としていたロビーに、自宅を提供さえしてくれた。

 かつて自分が暴行した被害者やその家族との面談を経て、今後誰も傷つけない、と心に誓ったロビーだが、彼を縛っていた“社会の底辺”という軛は依然として彼を離そうとはしなかった。宿怨の相手であるクランシー(スコット・カイル)からは未だつけ狙われ、マットはロビーに金を与えてでも娘と引き離そうとする。いっそ、マットの勧めに従って、金を受け取りひとりでロンドンに移ったほうがみんな幸せになるのではないか、と考えもした。

 しかし、そんなロビーに意外なものが光明をもたらした。ハリーがロビーたち、社会奉仕活動中の連中を連れていった、スコッチの蒸留所である。はじめ、ハリーからとっておきのスコッチを飲まされてもろくに味も解らなかったロビーは、だがこの蒸留所訪問を境ににわかにスコッチの魅力に目醒めさせたのだ……

[感想]

 貧困や犯罪の多発する要因には、当人の資質以上に、環境が大きく関わっている、と言われる。当人にその意志があったとしても、金銭的な事情であったり、交遊する層が犯罪に染まっていれば、脱却するのは難しい。本篇の描写はそうした実態が巧みに織りこまれて、非常にリアルだ。

 酔っ払って線路に転落したアルバート(ガリー・メイトランド)や、盗癖が捨てられないモー(ジャスミン・リギンズ)には別の問題があるような気はするが、本篇の主人公であるロビーはそういう、抜け出せない類の弱者の典型と言える。ややキレやすい傾向にはあるが、あの程度なら恐らく貧困層でなくても少なからずいるだろうし、彼にはそれを抑え、まともな暮らしを営みたい、という意志がはっきりと窺える。だが、以前から宿怨のある相手は彼を逃がそうとせず、ロビーを支えてくれる恋人の家族は、ロビーこそ彼女や、彼女の子供に悪い影響を与える存在だと断じて排除しようとする。環境の悪さと周辺の理解の乏しさ、という条件がシンプルに、しかし明瞭に浮き彫りにされている。

 こう書くと非常にシリアスな、重苦しい内容に聞こえそうだが、しかし本篇は背景こそ生々しいが、受ける印象は思いのほか明るい。ロビー自身はあまり多弁なほうではないが、彼を取り巻く、罪を犯して社会奉仕を課せられた仲間たちのキャラクターが、ロビー自身にとっても、内容にとっても救いとなっている。本来、ロビーひとりをウイスキーの講座に誘うつもりだったのに、他の面々が自分も、自分も、と名乗りを上げてきて断れなくなるハリーの姿であったり、終盤で始まる計画のために選んだ衣装や行動の滑稽さなど、細かな描写が楽しい。無理矢理コメディに仕立てよう、という強引さは感じさせず、自然に明るさと力強さを織りこんでいて、観ていて微笑ましいのだ。

 決して描写は多くないが、そんななかで、自らの置かれた苦境をどうにか脱しようとしゃかりきになるロビーの努力がきちんと感じられ、やけに応援したくなる。自らの暴力行為の被害者と接して以降、確かに自制していることが窺えるが、それでも怒りっぽさから抜け出せないあたりや、はじめはさほど関心がなかったのに、いざ開眼すると、もともと持っていたと思しい嗅覚、味覚の才能を発揮して進歩を見せるあたりには感激するほどだ。

 ただ、それだけに最後の逆転に用いる手段がもっと合法的であれば――とも思うのだが、それが難しい、という事実からも目を逸らしていない一方、あのクライマックスにはなかなか辛辣な諷刺の要素も含んでいる、とも読み取れる。見た目や境遇から人間性を決めつけてしまう安易さや傲慢さ、多くの人々を犯罪や貧困に縛りつけているものは案外、ほかの世界や価値観が関わるだけであっさりと突き抜けてしまうのではないか、という問題提起めいたものを汲み取ることも出来よう。

 と、ちょっとひねた見方もしてみたし、“社会派”と言われるケン・ローチ監督であるから、そうした深い意図も多少なりとも籠めているのだろうが、しかし本篇はそういう小理屈などどうでもいい、と思えるような爽快感がある。自ら見つけた突破口を、自らが手にした才能でくぐり、先へと進んでいくロビーや、その仲間たちの姿には、イギリスの若者たちが直面している失業率の高さ、貧困といった問題をも乗り越えてしまいそうな逞しさ、希望を感じられる。

 何より素晴らしいのは、そこにちゃんと“優しさ”が存在することだ。ロビーが最後に見せた気の利いた振る舞いこそ、本篇の爽やかさ、飛び抜けた後味の良さの決め手だろう。

 本篇を観ながら思いだしたのは、ダニー・ボイル監督が、土地は異なるがやはりイギリスの貧困や犯罪に囚われた若者たちを題材にして描いた『トレインスポッティング』だ。あちらもユーモアやテンポの良さ、明るさで彩られているが、しかしその結末にはどこか不安がつきまとっていた。本篇には、その不安がほとんど感じられない――それは、あの作品よりももっと強い救いが求められている、という哀しい現実の反映とも読み取れるが、あの作品よりも地に足の着いた、そして芯のある逞しさは、間違いなくそうした、救いを欲する声に応えてくれる。観終わったあと、きっと活力が湧くのを感じるはずだ。

関連作品:

SWEET SIXTEEN

それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60周年記念製作映画〜

麦の穂をゆらす風

トレインスポッティング

サイドウェイ

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