『ピンク・キャデラック』

ピンク・キャデラック [DVD]

原題:“Pink Cadillac” / 監督:バディ・ヴァン・ホーン / 脚本:ジョン・エスコウ / 製作:デヴィッド・ヴァルデス / 撮影監督:ジャック・N・グリーン / プロダクション・デザイナー:エドワード・C・カーファグノ / 編集:ジョエル・コックス / キャスティング:フィリス・ハフマン / 音楽:スティーヴ・ドーフ / 出演:クリント・イーストウッドバーナデット・ピータース、マイケル・デ・バレス、ジェフリー・ルイス、ティモシー・カーハート、ジョン・デニス・ジョンストン、ジミー・F・スキャッグス、ビル・モーズリイ、マイケル・チャンピオン、ジェームズ・クロムウェルフランシス・フィッシャージム・キャリー / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video

1989年アメリカ作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:岡枝慎二

1989年11月11日日本公開

2003年10月3日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

DVD Videoにて初見(2013/02/17)



[粗筋]

 トム・ノアック(クリント・イーストウッド)は優秀な“追跡者”だ。保釈金貸付業者のバディ(ゲリー・バムマン)の依頼で、保釈金を借りながら逃亡した犯罪者を捕まえて警察に突き出し、その報酬で生計を稼いでいる。

 探すのに手間のかからないちんけな犯罪者よりは、歯応えのある相手を欲するような男だが、そんな彼でも組織だって破壊行動に及ぶような連中との関わりは避けたがる。白人至上主義を掲げる“純血団”が絡むとなれば、もってのほかだった。だが今回、バディが提示してきたのは、まさにその“純血団”に関係のある犯罪者だった。

 逃げた人物は、ルー・アン・マクグィン(バーナデット・ピータース)という。偽札の所持で検挙された女だが、実は彼女の夫ロイ(ティモシー・カーハート)が以前に収容された刑務所で“純血団”のメンバーと知り合い、最近になって仲間入りしていた。法廷でも、偽札の出所が“純血団”である可能性が疑われており、彼女の逃走にはきな臭いものがあった。だが、バディに懇願され、やむなくトムは腰を上げる。

 ルー・アンは姉のダイナー(フランシス・フィッシャー)夫婦に幼い我が子を預け、リノで短いヴァカンスを楽しんでいた。トムにとって彼女を探し出すことはごく容易だったものの、厄介なことに、ルー・アンが組織の偽札だから、と盛大に浪費していたのが、本物に入れ替わっていた。どうやら組織は資金を稼ぐために、時間をかけて偽札を本物に換えていたらしい――つまり、“純血団”は確実に、ルー・アンを探しているはずだった。

 急がねばならない旅路である、にも拘わらず、トムはルー・アンの懇願に負け、寄り道を許してしまう。そのあいだにも、“純血団”の追っ手は、ふたりとの距離をじわじわと詰めつつあった……

[感想]

 ワーナー・ホーム・ビデオの製品情報には“痛快アクション”と記されている。が、正直なところ、そういう惹句が似合っているようには感じない。こちらが昨今のど派手なアクションに慣れきってしまったことを差し引いても、本篇は“アクション映画”と呼べるほど、そこに重点を置いていないように思う――クライマックスに幾つか目を惹かれる趣向はあったが、そこを除けば終始、微温的なロード・ムービーといった印象のほうが強い。

 全体を俯瞰すると、そもそもどこに焦点を定めているのか、いまいち掴めない作品である。“純血団”との駆け引きをサスペンスフルに描く、というわりには接点が乏しく、いざ主人公たちと行動が交錯した際の緊迫感もいまひとつ乏しい。かといって、ところどころで窺えるユーモアからコメディ作品と捉えようとしても、更に無理がある。

 もうひとつ、本篇は主人公トムと、彼が護送する対象であるルー・アンとの関係が変化するさまも題材としているのだが、こちらも掘り下げが足りず、説得力にも欠いている。いったいどういうところをきっかけに距離を近づけていったのかが掴みにくいし、結局のところロマンスに発展しているものの、それがふたりの立場からすると大きな問題を孕んでいることに言及するどころか仄めかすこともしていないので、苦い味わいを醸す、ということも出来ていない。

 そうした予感や雰囲気だけを愉しむ、という作品と捉えれば理解は出来るのだが、それにしても突出した部分が皆無に近いのが引っかかる。ムードを主張するには、採り上げた要素が半端に強すぎ、それでいて個々の要素もうまく活かしきっていない。

 活用が不充分な要素の最たるものが、他でもない、クリント・イーストウッド演じる“追跡屋”である。プロローグ部分では逃亡者に対する一風変わったアプローチが目を惹くのに、いざルー・アンが話に絡んでくると、この手法を用いる場面がほとんどない。途中、ルー・アンを護送しつつ別の逃亡者を拾っていくくだりがあり、そこでちょこっと“仕事”の様子が描かれるが、プロローグで見せたほどの外連味もなければ工夫にも欠いていて、やっぱり印象が弱い。

 イーストウッド自体は、相変わらず彼の演じるキャラクターのパターンに収まっているものの、いつも以上にユーモアを覗かせる人物像はのびのびとしていて悪くない。ルー・アンのやけっぱちのようでいてどこか諦念を窺わせる表情もなかなかだし、そんな彼女に災厄をもたらす夫ロイの人物像も、実はけっこう味がある。

 そうした具合で、あちこちにいい要素があるのに、うまく膨らませることが出来ず、ことごとく半端に終わってしまった作品、というのが私の率直な評価である。いや、個人的にはこの緩さは決して嫌いではないのだけど、ひとさまにお薦めするにはもう1本、芯を通して欲しかった――というか、題名にある“ピンク・キャデラック”をもっと印象的に使えば良かったんじゃなかろうか。

関連作品:

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