『ツリー・オブ・ライフ』

『ツリー・オブ・ライフ』

原題:“The Tree of Life” / 監督&脚本:テレンス・マリック / 製作:サラ・グリーン、ビル・ポーラッドブラッド・ピット、デデ・ガードナー、グラント・ヒル / 製作総指揮:ドナルド・ローゼンフェルド / 撮影監督:エマニュエル・ルベツキ,ASC,A.M.C. / プロダクション・デザイナー:ジャック・フィスク / 編集:ハンク・コーウィン,ACE、ジェイ・ラビノヴィッツ,ACE、ダニエル・レゼンデ、ビリー・ウェバー、マーク・ヨシカワ / 衣装:ジャクリーン・ウェスト / シニア・ヴィジュアルエフェクト・スーパーヴァイザー:ダン・グラス / キャスティング:フランシーヌ・マイスラー,C.S.A.、ヴィッキー・ブーン / 音楽:アレクサンドル・デスプラ / 出演:ブラッド・ピットショーン・ペンジェシカ・チャスティン、フィオナ・ショウ、ハンター・マクラケン、ララミー・エップラー、タイ・シェリダン、アイリーン・ベタード、ウィル・ウォレス / 配給:Walt Disney Studios Japan

2011年アメリカ作品 / 上映時間:2時間18分 / 日本語字幕:松浦美奈

2011年8月12日日本公開

公式サイト : http://www.tree-life.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2011/08/12)



[粗筋]

 ジャック(ショーン・ペン)は、空虚な日々を過ごしていた。社会的には成功し、高層ビルの一角にオフィスを構え、豪壮な邸宅を所有しているが、家族との関係は冷え切っている。そんな彼が思いを馳せるのは、幼い日の記憶であった。

 父・オブライエン氏(ブラッド・ピット)は3人の息子たちを厳しく育てた。音楽家を志しながら頓挫した自らと同じ轍を踏ませないよう、善人ではいけない、負けない人間になれ、と繰り返し説いた。母・オブライエン夫人(ジェシカ・チャスティン)は敬虔なクリスチャンであり、強さを求め他人を支配することの恐ろしさを教えられていたが、夫の頑強さに逆らうことは出来ず、怯える小さな子供たちを陰で慰めるのが精一杯だった。

 幼いジャック(ハンター・マクラケン)たちは、父を家族として愛しながら、しかし次第に嫌うようになっていった。子供たちには厳格な教えを説きながら、父の振る舞いはしばしば自らの言葉と矛盾していた。

 子供たち、とりわけ年長のジャックは、反抗期を迎えるとともに、父への反発を強めていく。その言動は、次第に過激なものに変容していった……

[感想]

 本篇は、映画を単純に娯楽として味わいたい人には、間違いなく向かない。じっくりと細部を掘り下げ、ラストにじんと沁みるような感動が待ち受けるようなドラマを求めていても同様だ。

 いや、決して手を抜いた作品というわけではない。きちんと鑑賞すると、その背景の確かさには唸らされるものがある。現在のジャックを演じるショーン・ペンと、過去のジャックの家庭の映像を説明もなく交錯させながら、切れ目がしっかりと理解できるのは、そのディテールの確かさ故だ。

 だがこの作品は、描写についての説明が一切ない。意識してリンクさせているのか、或いは繋がりあっていないのか、まったく判断が出来ないほどに、説明を放棄している。しかもその上で、主な視点人物であるジャックの姿やモノローグだけでなく、父や母のモノローグも挿入し、その背後では宇宙や、天地開闢の様子を思わせる光景、恐竜たちの生態のようなものまで描き出す。それぞれの意味するところをまったく明示していないので、映画はただ映像を眺め、会話を聞いていれば理解できる、程度に捉えている人は五里霧中のまま話が終わってしまう。

 たとえば、作品のかなり序盤で示される次男の死の背景、それが如何なる影響の元に起きたことなのか、そして現在のジャックにどのような影響を及ぼしたのか、などだ。シンプルに感動をもたらすドラマを、と志したのなら、この軸を中心にエピソードを構築するだけで充分すぎるほどだが、けっきょくこの映画のなかでは、以後積極的に触れられることはない。まるで、禁忌として言及を避けているかのようにすら映る。

 しかし、周縁の描写から、その意図を想像することはいくらでも出来る。本編で綴られる出来事から最も強く伝わるのは、暴力でさえある父の影響力と、その振る舞いに対する反発から歪んでいく子供たち、とりわけジャックの姿だ。ジャックの心の屈折は、身近にいた弟R.L.(ララミー・エップラー)に対して発露する。弟を傷つけたことに、ジャックは悔いてすぐに詫びているが、そのときの台詞をよくよく咀嚼すると実に意味深長だ。ジャックは、あとで自ら呟くとおり、父にとてもよく似ている。それが弟の死に影響しなかった、とはとうてい言い切れないだろう――他人にとってはどうあれ、ジャック本人がそんな想いに苛まれるのは当然だ。

 そして、そんなふうにジャックの心を引き裂くのは父と母がそれぞれに抱えた、本質的に正反対であるふたりの価値観だ。序盤、母がモノローグで呟く彼女の価値観は、夫の価値観を世俗的として忌避しようとする。だが、信仰を強く抱く母の価値観は、そんな夫の世俗的な願望、横暴さでさえも包みこもうとして、常に挫折を強いられる。ジャックはそんな母の姿にはっきりと感情を揺さぶられながら、言動にはむしろ、嫌っているはずの父の影響が色濃い。その二律背反が、長じて父親の望んだ人間になってしまったジャックを未だ苛んでいる――それが、現在のジャックの心象描写に繋がっているのだ。

 こんなふうに、読み解いていけば少しずつリンクしていく。それ以外にも、DDTの噴霧に突進していく子供たちの姿や、バーベキューの場でのオブライエン氏の振るまいといった端々に、色々なものを汲み取ることが出来そうだが、そこには恐らく歴史や、1950年代あたりのアメリカの文化に関する知識を要するだろう。それが更に、宇宙や太古の自然を描いたシークエンス、ミクロの世界を極大化したような映像についてまで考証を施していくと、どこまで掘り下げられるのか、何処まで掘り下げていけば行き止まりになるのか、気が遠くなるほどだ。

 観ているあいだは、率直に言って“退屈”という想いを禁じ得ない。それは恐らく仕方のないところだろう。だが、観ているあいだ、そして観終わったあとも、その表現の意味を考え、咀嚼するほどに本篇は味わいを増し、膨張していく。

 だから、安閑と座席に座って物語に身を浸していれば、最後には何も考えずとも感動で揺さぶってくれる、そういう作品を求めている方には決して向かない。ブラッド・ピットショーン・ペンといったビッグ・ネームに惹かれ、CGを駆使して構築された映像美は、そういう姿勢でも愉しめるだろうが、やはり本篇は、ただ“つまらなかった”“わけが解らなかった”で済ませるのではなく、その意図を積極的に探るように鑑賞して、初めて深く浸ることの出来る作品だ。何も知らずに呆然としてしまった方も、もういちど胸のなかで、その表現、演技の意味を咀嚼していただきたい。そのうえでもういちど、自分のなかで本篇の価値を判断してみるべきだろう。

関連作品:

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