『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

原題:“Exit Through the Gift Shop” / 監督:バンクシー / 製作:ホリー・クッシング、ジェイミー・ドクルズ、ジェームズ・ガイ=リース / 編集:トム・フルフォード、クリス・キング / 音楽:ジェフ・バーロウ、ロニ・サイズ / ナレーション:リス・エヴァンス / 出演:ティエリー・グエッタ、デボラ・グエッタ、スペース・インベーダー、シェパード・フェアリー、ミスター・アンドレ、ゼウス、ロン・イングリッシュ、スウォーン、ボーフ、バフモンスター、バンクシー / 配給:PARCO×Uplink

2010年アメリカ、イギリス合作 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:川合美雪

2011年7月16日日本公開

公式サイト : http://www.uplink.co.jp/exitthrough/

シネマライズにて初見(2011/07/23)



[粗筋]

 ストリート・アーティストのなかでも特に著名なひとり、バンクシー

 だが彼の正体を知る者は少ない。この芸名以外に年齢、出身地などの情報はいっさい明かさず、メディアからの取材も受け付けていないために、伝説と化していた。

 そんな彼が、突如として映画を製作して世に問うた。しかも題材はバンクシー自身――ではなく、彼を取材した映像作家である。

「私自身の人生より、よほど面白いと思ったからだよ」

 物語は、バンクシーを取材した人物が大量に記録した、プライヴェートな映像群から始まる……

[感想]

 ……たぶん、このくらいの予備知識で鑑賞したほうが、本篇は面白い。

 色んな意味で興味深い内容なので、まだまだ綴れないことはないのだが、何も知らずに観たときに終盤で味わう感覚こそ、本篇の魅力のひとつだと思うのだ。いわゆるドキュメンタリー映画にありがちな冗長さ、退屈さはほとんどなく、巧みに惹きつけられ、驚きと複雑な余韻が本篇には存在する。

 それにしても、本篇を見ると、バンクシーという人物は本当はかなりの常識人ではなかろうか、と感じられる。基本的には犯罪行為である無許可での落書きなどをストリート・アートと称して展開するのは決して褒められたことではないが、当人もそれは重々承知で、だからこそすぐに消されることを考慮に容れて作品を“発表”している節があるし、だからこそ顔を見せることを拒み続けているのだろう、と考えられる。

 作品の完成度自体も、そのことを証明しているように思う。いわゆる前衛絵画のような意味不明の部分は、本篇には一切ない。ストーリー展開は実に論理的で平明、ストリート・アートにまったく興味がなくとも理解に支障はないはずだ。本篇で実質的な主人公となる人物が撮った映像はすさまじい量に上るはずだが、それをだらだらと垂れ流すことなく、不快にならない匙加減で組み込むバランス感覚も優れている。

 終盤での出来事は、芸術家が誕生するひとつの過程を見事に切り抜くと同時に、いったい芸術とは何なのか、という問いかけとしても成立する。不意にユーモラスになる語り口には、はっきりと毒を感じさせつつも決して対象を強く切りつけようとしない優しさや、自らの結論に対する疑いも滲ませる謙虚さがあって、やはり不快感はあまりない。テーマ性を掘り下げる能力がありながら、そこに慢心していないことにも驚かされるのだ。

 本篇を鑑賞して感じるのは、バンクシーというのは実は映像関連の著名人なのではなかろうか、ということだ。彼が芸術で収入を得るようになったのはわりと最近のことのように見えるが、だいぶ前から世界的に活動をしている節がある。そして、本篇で採り上げた映像の確かさと、決して前衛に走らない平易な編集の完成度からすると、映像の仕事であちこちに飛んでいるような人物ではないかと推測出来る――あくまでも憶測に過ぎないが、そう思わせるほどに本篇のクオリティは高い。

 ともあれ、ストリート・アートという法に触れるスタイルでの芸術に反感を抱いている人も、バンクシーという謎の人物が謎の仮面を被ったまま監督していることに抵抗を覚えている人も、いちど先入観を捨てて鑑賞してみるといい。他のストリート・アーティストはどうか知らないが、少なくともバンクシーという人物がはっきりとした意識を以て芸術に臨んでいることが解り、そして映画としての質の高さと、終盤の意外性に快い驚きが味わえるはずだ。

関連作品:

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