『猫は知っていた』

本格ミステリ作家クラブ10周年記念企画『美女と探偵〜日本ミステリ映画の世界〜』

原作:仁木悦子 / 監督:島耕二 / 脚本:高岩肇 / 製作:永田秀雅 / 企画:米田治 / 撮影監督:小原譲治 / 美術:仲美喜雄 / 音楽:大森盛太郎 / 出演:仁木多鶴子、石井竜一、北原義郎、花布辰男、平井岐代子、八木沢敏、品川隆二、坂倉春江、高松英郎穂高のり子浦辺粂子金田一敦子 / 大映東京作品

1958年日本作品 / 上映時間:1時間25分

1958年5月7日日本公開

本格ミステリ作家クラブ10周年記念企画『美女と探偵〜日本ミステリ映画の世界〜』(2011/6/4〜2011/7/1開催)にて上映

神保町シアターにて初見(2011/06/16)



[粗筋]

 音大生の仁木悦子(仁木多鶴子)は、箱崎医院の現院長・箱崎兼彦(花布辰男)の幼い長女・幸子(坂倉春江)にピアノを教えるため、兄の雄太郎(石井竜一)とともに箱崎医院の病室に転居することになった。

 だが、悦子たちが引っ越してきて早々、箱崎家に奇妙な出来事が起きる。兼彦の母チヨと、盲腸の手術の予後が悪いと無理矢理入院していた平坂勝也(高松英郎)が相次いで行方をくらましたのだ。院内が騒ぎになるなか、電話がかかってきて、勝也と名乗る男が名古屋にいると告げて切ってしまうが、電話を取った悦子はどうも納得ができない。

 翌る日も、箱崎家の人々がチヨの行方を探して右往左往するなか、悦子は幸子と共に飼い猫の行方を捜していて、防空壕に潜りこんだ。横穴から奥へ、奥へと進んでいった先でふたりが発見したのは――チヨの亡骸であった。

 チヨはなぜ死んだのか、勝也は何故行方をくらましたままなのか? 探偵小説ファンでもある悦子は兄と共に、事件の謎解きに挑む――

[感想]

 初めての公募による江戸川乱歩賞受賞作、のちの人気女流ミステリ作家のデビュー作、筆名とヒロインの名前を一致させた発想など、原作は日本の推理小説史においてかなり重要な地位を占める作品なのだが、その辺について触れると煩雑になるので省略したい。

 原作を読んだ者として映画版で気になるのは、日本におけるコージィ・ミステリの極めて早い作例でもある本篇の、血腥い事件を扱いながらも基本的には明るいトーンをどこまで再現しているか、だ。特に日本ではどうもコージィ風のタッチはなかなか定着せず、ドラマでもどちらかというとコントのようなものが多いだけに尚更である。

 そういう意味では、半世紀も前にこれだけきちんと“軽さ”を表現していることに驚きさえ覚える仕上がりである。

 さすがに事件の核心に触れる出来事の周囲では暗さを禁じ得ないものの、それ以外の場面では全般に重々しさを感じさせない。原作同様に、探偵役である兄妹の、陽性な振る舞いがいい具合に作品の暗さを拭い、手触りは軽快だ。

 それでいて、謎解きの風味も損なっていない。実のところ、原作のトリックには一部、“本当にこんなにうまく行くのか?”という疑いを覚える部分もあるのだが、そういうところまできちんと映像で再現しているあたりにはむしろ感服する――それだけに、犯人の行った殺人以外の悪事が、一部の人にとっては非常に腹立たしく感じられる可能性もあるのだが。

 他方で、こうした映画化作品にありがちな、ロマンスの増量を行っていない点に、ミステリ愛好家としては好感を覚えるはずだ。音楽を学ぶうら若き女性を主人公にするなら、折角だから、と誰かの立ち位置を変更して色恋を組み込んでしまいそうなものだが、ほとんどぶれることなく謎解きに徹している。最後に少しだけ大仰になっている感はあるが、そこまで堅実に積み上げた上での、映画的な見せ場作りと思えば決してやり過ぎではない――いま観ると、特殊効果やセットの組み立てに稚拙な印象を禁じ得ないのも確かだが。

 基本的に原作通りであるがゆえに、事件の真相は暗く、その顛末もいささか暗澹としている。だがそのわりに後味が決して苦いばかりでないのは、物語のトーンが終始明るく、そして探偵役である悦子の気遣いが、そのまま観客にも快い気遣いとして感じられるからだろう。この当時はまだコージィ・ミステリの書き手もほとんど存在しなかったはずだが、そういう状況にあって、コージィの持つ暖かさ、端整さをよく押さえた、優秀なミステリ映画である。半世紀も前の日本でこの質の作品が発表されていたことに、驚きを禁じ得ない。

関連作品:

三本指の男

本陣殺人事件

死の十字路

乱れからくり ねじ屋敷連続殺人事件

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