『127時間』

『127時間』

原題:“127 Hours” / 原作:アーロン・ラルストン(小学館文庫・刊) / 監督:ダニー・ボイル / 脚本:ダニー・ボイル、サイモン・ビューフォイ / 製作:クリスチャン・コルソン、ダニー・ボイル、ジョン・スミッソン / 製作総指揮:バーナード・ベリュー、ジョン・J・ケリー、フランソワ・イヴェルネル、キャメロン・マクラッケン、リサ・マリア・ファルコーネ、テッサ・ロス / 撮影監督:アンソニー・ドッド・マントル,B.S.C.,D.F.F.、エンリケ・シャディアック / プロダクション・デザイナー&衣裳デザイン:スティット・アン・ラーラーブ / 編集:ジョン・ハリス / キャスティング:ダナ・イサッコソン,C.S.A. / 音楽:A・R・ラフマーン / 出演:ジェームズ・フランコアンバー・タンブリンケイト・マーラ、リジーキャプランクレマンス・ポエジー、ケイト・バートン / クラウド・エイト/デシベル・フィルムズ/ダーロウ・スミッソン製作 / 配給:20世紀フォックス×GAGA

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:林完治

第83回アカデミー賞作品、脚色、主演男優、編集、音楽、主題歌部門候補

2011年6月18日日本公開

公式サイト : http://127movie.gaga.ne.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2011/06/18)



[粗筋]

 ブルー・ジョン・キャニオンはアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)にとって第2の故郷も同然だった。あらゆる道程を知悉しており、地図に頼る必要もほとんどない。その日も週末を利用して、アーロンはこの地に赴いていた。

 目的地であるビッグ・ドロップに向かう途中、アーロンは道に迷っていたミーガン(アンバー・タンブリン)とクリスティ(ケイト・マーラ)と遭遇、道案内を買って出る。ふたりをドームと呼ばれる空洞へ案内し、しばらく一緒に戯れると、彼女たちと別れ、ふたたびひとりで渓谷を練り歩いた。

 特に困難などないはずだった。その谷に到着したときも、さほど深く考えず、引っ掛かっていた岩に手をかけた。だが、その岩は微妙なバランスを失って転落、共に滑落したアーロンの右腕は、岩に挟まれ、彼を釘付けにしてしまう。

 押せども引けども腕は抜けない。携帯していた万能ナイフは安物で、刃渡りは短く切れ味も鈍い。食糧は皆無に等しく、残されたのは自宅で汲んできた400mlの水道水だけ。ここからアーロンの壮絶な時間が始まった――

[感想]

トレインスポッティング』でのブレイク以降、様々なジャンル、題材に取り組んでいるダニー・ボイル監督だが、実は幾つか固有のテーマがあるように感じられる。一貫して音楽を多用したリズミカルで力強い演出を試みている、というのはこれらの作品を観てき人なら感じている点だろうが、もうひとつ、すべてが基本的に“脱出”の瞬間へと突き進んでいく物語だ、という部分が一致しているように思う。

 ダニー・ボイル監督の作品の中で登場人物を閉じ込めるのは、迷宮や密室といった解りやすいものではない。狭い人間関係が構築した悪循環であったり、人間性を蝕む疫病であったり、劣悪な生活環境であったり、といった心理的なものだ。物語の中で主人公がその軛を強く意識し、或いは抜け出すためにもがく過程こそがボイル監督の最も描きたい素材であり、それをきっちり描ききったときに強烈なカタルシスが演出される。そういう観点からは失敗している、と感じる作品も幾つかあるが、これが達成された作品は間違いなく傑作として認められている。それがブレイクのきっかけでとなった『トレインスポッティング』であり、アカデミー賞作品部門含む8部門に輝いた最高傑作『スラムドッグ$ミリオネア』だった。

 オスカー獲得後初となる長篇であるこの作品でも、その主題を選んでいる。ある意味ではこれまで以上に徹底して描いている、と言えるかも知れない。

 現状からの脱出、という観点からすると、そもそも岩に腕を挟まれる、という明白に物理的な束縛を受けているので、ごく解りやすい、と感じられる。しかしこれは、あくまで取っかかりに過ぎない。岩に縫い止められた結果、主人公であるアーロンが向き合うのは、己がこれまで生きてきた人生、辿ってきた選択肢そのものなのだ。

 岩に腕を挟まれ、身動きのならない状況で、岩を削りザイルで引き上げようと悪戦苦闘を繰り広げながら、主人公アーロンは何故こんな事態に陥ったのかに思いを馳せずにいられない。確かに岩が落ちてきたのは不運だが、そもそも渓谷にある自然物はすべてが微妙なバランスで成立していることは知識として把握している――実際、事故に遭う直前、出逢った女性達に向かってそういう趣旨の発言しているのだから、迂闊に触れたことは完全な彼の奢りだ。そして、誰も助けに来る可能性がないのは、在宅中にかかってきた電話を無視し、離れて暮らしている家族にも職場にも行き先を告げていないからに他ならない。

 つまり、岩によって行動を制約される、という出来事から本篇は、アーロンにそれまでの生き方を顧みさせ、そこからの脱却を示す物語になっているのだ。岩はその象徴に過ぎず、決して憎むべき敵でさえない。彼のそうした実感は、クライマックスでの言動にもよく表れている。

 こうした主題を、抽象的でなく解りやすく伝えるために選んだ表現が、またダニー・ボイル監督らしい。プロローグ部分で画面を横に3分割して、その後の描写と繋がる場面をスタイリッシュにちりばめていく。基本的に単独行を好んでいたアーロンだからこそ常備しているビデオカメラを、岩に縫い止められて以降の“話し相手”として用いることで、その都度の心情を巧みに織りこんでいく。極限状態故に随所で現れる“幻覚”も、アーロンの葛藤を明快に伝え、そのあとにある一種の悟りの境地へと綺麗に導いている――ビデオカメラの存在や幻覚などは実在するアーロンの体験談に基づいているのだろうが、それが自らの好む表現手法と合致する、と判断したからこそダニー・ボイル監督は余計に、この物語に惹かれたのかも知れない。

 そして、そうしたダニー・ボイル監督一流の手法と、彼が好む主題がきっちり噛み合い、主人公アーロンの想いが明白に伝わるからこそ、本篇は極めて壮絶なクライマックスにも拘わらず、ラストシーンが清々しい。目に留まるものすべてに感謝を捧げ、救出にやってきたヘリコプターの巻き上げる砂埃がさながら恩寵のように映る。ようやく心ゆくまで浴びることの出来た陽光の下で、生命の輝きに触れたアーロンの昂揚感に、観る者も共感せずにいられない。

 実はもうひとつ、ダニー・ボイル監督の作品には特徴的な要素がある――どこかで汚物まみれになる描写がかなりの率で含まれているのだ。探せばほとんどの作品に見られるはずだが、しかし特に記憶に残るのは『トレインスポッティング』のトイレに潜ってドラッグを回収するくだりと、『スラムドッグ$ミリオネア』のスターにサインをしてもらいたいがために肥溜めに飛び込むシーンである。そして本篇にもこうした、普通に考えれば生理的な嫌悪感を呼び覚ましそうな、しかしその状況ゆえにいっそ清々しいインパクトをもたらす場面がある。前述した2作品がダニー・ボイル監督の代表作となったように、本篇もまた彼の作品を語る上で重要な1本となることだろう。

関連作品:

トレインスポッティング

28日後…

ミリオンズ

サンシャイン2057

スラムドッグ$ミリオネア

スパイダーマン3

告発のとき

ミルク

明日に向って撃て!

[リミット]

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