『グリーン・ホーネット(字幕版)』

『グリーン・ホーネット(字幕版)』

原題:“The Green Hornet” / 原作:ジョージ・W・トレンドル / 監督:ミシェル・ゴンドリー / 脚本:エヴァン・ゴールドバーグ、セス・ローゲン / 製作:ニール・H・モリッツ / 製作総指揮:セス・ローゲンエヴァン・ゴールドバーグ、オリ・マーマー、マイケル・グリロ、ジョージ・W・トレンドルJr. / 撮影監督:ジョン・シュワルツマン,ASC / プロダクション・デザイナー:オーウェン・パターソン / 編集:マイケル・トロニック,A.C.E. / 衣装:キム・バレット / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:セス・ローゲンジェイ・チョウキャメロン・ディアスクリストフ・ヴァルツエドワード・ジェームズ・オルモス、デヴィッド・ハーパー、トム・ウィルキンソン / オリジナル・フィルム製作 / 配給:Sony Pictures Entertainment

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間59分 / 日本語字幕:松崎広

2011年1月22日日本公開

公式サイト : http://www.greenhornet.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2011/02/02)



[粗筋]

 ロサンゼルスの地元紙デイリー・センチネルの経営者ジェームズ・リード(トム・ウィルキンソン)が、ハチの毒によるアナフィラキシー・ショックで亡くなった。

 家族経営であったため、唯一の息子であるブリット(セス・ローゲン)が新聞社を継ぐことになったが、この男、厳格な父に育てられた反動で、無類の放蕩息子になっていた。突然会社を任せられても何も出来ず、ただ途方に暮れるほかない。

 自宅の使用人も大半を解雇してしまったその翌日、ブリットはある変化に気がついた――コーヒーが不味く、素っ気なくなった。今まで、目醒めたとき彼の枕元に用意されていた、葉っぱの模様をあしらったカフェラテではなくなっていたのである。残した使用人の言葉から、ブリットはそれが父の運転手であるカトー(ジェイ・チョウ)の手によるものであることを知り、彼を家へと招く。

 整備工場で働いていたところをジェームズ・リードに拾われたカトーは、機械工作の天才だった。ブリットの愛するカフェラテは無論、父の要請で送迎用の車を堅固に武装することまでやってのけている。この改造車を披露されたブリットの頭に、あるアイディアが閃いた――この装備で、悪人から市民を守ることが出来るんじゃないか? かつてヒーローものをこよなく愛していたブリットの提案に、密かにブルース・リーやコミックを愛するカトーも共鳴し、ふたりは改造車で夜の町へと繰り出す。

 すっかり舞いあがったブリットは、まず父親の銅像のクビを切り落としに行っていたまさにそのとき、ふたりはカップルを襲撃する集団に遭遇した。絶体絶命――かと思いきや、ここでカトーは優れた格闘センスまでも披露して襲撃者をすべて倒し、追ってきた警察までも振り払って逃走に成功する。

 結果、ブリットたちが市民を救ったことは無視され、銅像を破壊し警察を翻弄した犯罪者として報じられてしまった。しかしブリットはこの状況を逆に利用することを思いつく。ヒーローでござい、とばかりに自己主張するのではなく、犯罪者の姿を隠れ蓑に、本物の犯罪者を退治するヒーローがいてもいいのではないか?

 この、深慮遠謀を張り巡らせたように見えて適当な思いつきこそ、“グリーン・ホーネット”の始まりだった……

[感想]

 かのブルース・リーが出演し、人気が出たあとで彼の活躍シーンを中心に再編集したものが劇場公開される、という特殊なエピソードでも知られる、往年のテレビシリーズ『グリーン・ホーネット』は、だが実はその更に前にラジオドラマの形態で登場しており、アメリカのヒーローものの中ではとりわけ歴史が古い部類に属するのだという。従って、描かれる要素のあちこちがあの映画やこのヒーローに似ている、という指摘は、本来あまり正しくない――あらゆるフィクションが多かれ少なかれ同系統の先行作品などに影響されてしまうのは避けられないところなので、そもそもあからさまなパクリならまだしも、似ている似ていない、などと議論になる程度の類似を否定材料に用いること自体が軽率なのだが。

 しかしそれでも、本篇は不運な時期にリリースされてしまった感は否めない。この作品でやろうとしていることの多くは、日本でほぼ相前後して公開された『キック・アス』で、ほぼ完璧な形で描ききってしまっているからだ。1、2ヶ月程度の間隔で鑑賞してしまえば、厭でも比較してしまう。自らの財産を用いて正義を行使する、というヒーロー像も、少し遡るとはいえまだまだ『ダークナイト』の衝撃が新しく、正統派の娯楽作としても『アイアンマン2』がある現時点では、どうしても不利を被るのは避けられまい。

 仮にこうした傑作群がなかったとしても、率直に言えば本篇のシナリオはあまり成功しているとは言い難いところだ。

 いちばんの原因は、人物像の掘り下げがとことん浅い、ということに尽きるかも知れない。まず主人公のブリットにしてからが、軽薄な放蕩息子、という部分は徹底されているが、父親に対する感情の変化や、根本的に自分は役立たずのまま進む“正義の味方”としての仕事ぶりに対する想いもまったく見えてこない。終始この調子が続くので、感情移入がしにくく、観ていて苛立ちさえ覚える。恐らくはコメディで評価を獲得してきたセス・ローゲンが自らの持ち味を活かすべく組み立てた人物像なのだろうが、笑いの面でもさほど効果を上げていなかった。

 相棒となるカトーも、どうも魅力が充分に表現できていないきらいがある。ブリットとは対照的に、機械工作のみならず格闘にも精通し、人柄もずっとチャーミング、というのは漠然と描かれているが、それが周囲に与える影響がほとんど見えてこないし、何より彼自身の意志があまり垣間見えてこないのが問題だ。ブリットの我が儘さを際立たせ、最終的に彼の感情を動かすための基点として用いるため、徹底して意思も感情も窺わせないキャラクターとして描くつもりだったのならそれも解るが、本篇ではブリットの目を盗んで秘書レオーネ(キャメロン・ディアス)にアプローチをしたり、仲違いを起こす終盤では彼の心情が鍵となってくるだけに、もう少し序盤で人物像を固める工夫が必要だったろう。恐らく、本来はそうしたところで役立てるべき尺を、ブリットの軽薄な言動で埋めてしまったことが問題であり、しかもそうしたブリットの面白さも、物語と調和が保てず、浮いているばかりか全般にあまり笑えない。はっきり言えばセス・ローゲンとパートナーによる脚本は、この物語の主題をうまく表現し切れていない。

 そのうえ、ミシェル・ゴンドリーという監督の良さも充分に活かしきれない、という結果に終わっている。ゴンドリー監督は非常に独創的な趣向を用いたPVを幾つも発表して評価を得ており、その知的でシュールな映像にこそ持ち味だが、本篇はごく部分的にしか彼の奇想が用いられていない。初めて暴漢と遭遇した際、カトーが披露するアクションの一風変わった表現や、敵役がグリーン・ホーネットに賞金をかけた際の連鎖反応を、差ながらアメーバのように増殖する分割画面で見せるくだりなどにその持ち味が確認できるだけで、その意味でも物足りない。

 マイナス点ばかり掲げたが、決してまるっきり見所がないわけではない。前述のように、ごく一部ではあるがミシェル・ゴンドリー監督らしい外連味のある映像が盛り込まれているし、細かなガジェットに漂う遊び心にも監督のらしさが滲み、個性は確かに感じられる。シナリオの構成には不満があるが、アクション・シーンの構成には配慮が施されていて、クライマックスでなかなかに唸らされる。特に、カトーが窮地で披露する、敵の所持する凶器の場所を一瞬で把握し、相手の獲物を利用して一掃する、というアクションの手法が最後の最後で効いてくるあたりは、コメディ要素のあるアクション映画としては理想的な組み立てになっていた。

 ヴィジュアル・センスに富んだ監督の指揮下で制作されているので、映像に統一感があり、絵的に見応えがあるのも美点だ。決して脚本との相性がよくない中で、ミシェル・ゴンドリー監督らしい趣向を組み込んでいる誠実さも評価出来る。

 思うに本篇は、ここからシリーズを立ち上げるぐらいの意図で作られたのかも知れない。過程ではなかなか己の分をわきまえず観客を苛立たせるブリットも、最後にはある程度自分の無力さを認めた上で、ようやくヒーローとしての自覚を手に入れた。コンビに新たなメンバーも加わって、行き当たりばったりではない、計画的な行動も可能になったここからが『グリーン・ホーネット』のスタートなのだろう。完成品を鑑賞するのではなく、最初の第一歩に寄り添うつもりでスクリーンに向かい合うと、自然と楽しむことが出来るかも知れない――もっとも、続篇が作られるという保証はない昨今の映画界においては、1回できちんと纏める技術も求められるわけで、そこを疎かにしてしまったのは拙かった。捲土重来の機会があることを願いたい。

関連作品:

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