『妖術』

『妖術』

原題:“Magic” / 監督&脚本:ク・ヘソン / 製作:チョ・デウン / 撮影監督:キム・ジュニョン / 照明:シン・ミョンジン / 美術:パク・ジェワン / 衣装:チ・サンウン / VFX:ソン・スンファン / 編集:キム・ヒョク / 音楽:チェ・イニョン / 出演:ソ・ヒョンジン、キム・ジョンウク、イム・ジギュ / YGエンタテインメント製作 / 日本公開未定

2010年韓国作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:根本理恵

2010年10月26日・28日東京国際映画祭アジアの風部門にて上映

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2010/10/28)



[粗筋]

 音楽学校に通うミョンジン(イム・ジギュ)は、素質はあるが控え目な性分が災いして伸び悩んでいる。同じチェロ奏者である親友のジョンウ(キム・ジョンウク)は対照的に、技術も度胸もあり、同級生だが憧れでもあった。

 当然のようにジョンウはアメリカ留学を賭けたオーディションに選ばれるが、開催の前日、院長に請われて彼が推薦したのは、何とミョンジンだった。

 突然の出来事に心の準備も整わないミョンジンは、ジョンウと同じ“結婚記念日”という曲を選んだ。ピアノ伴奏も、ふたりの共通の友人であるジウン(ソ・ヒョンジン)に依頼する。院内の楽団で仲間同士だったが、初めての共演にミョンジンは浮かれていた。合格するかいなかは、二の次だった。

 しかし当日、ジョンウは突然、奇妙な提案を持ちかけてくる。オーディション最初に配されていたジョンウの出番で、代わりに弾け、と言うのだ。戸惑いながらも懸命に演奏したものの、途中で弓を落とし、結果が出る前から落選を確信するような有様に終わる。そして、当のジョンウはミョンジンの順番で代わりに登壇すると、チェロをギターのように構えて演奏し高らかに歌いあげ、見事に自ら落選を導いた。

 控えめに抗議するミョンジンに、だがジョンウは「自分と同じ曲、同じ伴奏者を選んだ時点で、演奏者としてのプライドを欠いている。お前は路上演奏でも、コーヒー1杯分稼ぐのが精一杯だ」と鋭く切り返す。的を射た指摘に、ミョンジンはしばらくまともに演奏することが出来なくなった。

 程なく、ジョンウやジウンの所属する楽団の演奏会が始まる。だがそこで、思わぬ事件が発生した――

[感想]

 冒頭から奇妙な空気の漂う映画である。朗読される詩を背景に、少女の姿を目で追い、煙草を吸う壮年の男。そして、学生服姿の青年の前に、血にまみれた少女が現れ、「ジョンウがいない」と告げる。静謐な雪景色に彩られながらも、何か不穏な気配をまとっていたものが、しかし煙草を吸いながらチェロを弾く青年の姿を映し始めると、不意に空気は柔らかになる。

 いまひとつ脈絡の掴めない流れだが、本篇は終始この調子で、全体像が掴みにくい。率直に言えば、上映中に物語の構造を完全に理解することは出来ないだろうし、観終わって解釈したところで明瞭なイメージをつかみ取ることは難しい。

 本篇は、題名のもとになっている詩が実在しており、それを筆頭に音楽や文学など、監督が愛するモチーフをふんだんに鏤める、という形で全体像が作られていったようだ。監督自身が“難解”と語る詩に基づき、その解釈の幅を尊重しながら構築していったのなら、理解しづらいのも当然だ。

 ただ、本篇のように、三者のあいだにある複雑な恋愛感情を扱った物語で、こういう表現手法を選択したのは誤りであったように思われる。そもそもどの視点で綴られているのか解らない、という語り口では、感情はある程度描けていても、場面ごとに区切られてしまい、全体での心情の変化が掴みづらい。その結果、いちおうの視点人物となっているミョンジン以外のふたりが何を感じ、どうしてあのような結末を迎えたのか、いまひとつ承服しづらくなっている。行動が必要以上に謎めき、感情を揺さぶりながらも、悲しみよりも理不尽さが強い。もし恋愛感情や友情とのせめぎ合い、心の揺れの結末として描こうという意図を持っていたのだとしたら、ここまで終始不明瞭、解釈に悩む終幕はそぐわない。

 殊に、いまひとつ本心の透け見えないヒロイン・ジウンの描き方はかなり微妙だ。それ故に謎めいた魅力は醸しているが、意味もなく男ふたりを翻弄してしまったようにしか見えず、どうも好感が抱きにくい。

 と、随分否定的な材料を並べたものの、しかし非常に清澄な雰囲気に彩られた、魅力に溢れる作品であることもまた間違いない。

 全体を通してみるとあまりに人物像がぐらついている嫌味はあるが、細かな描写や表情はメイン3人いずれも魅力的だ。こと、あまり飾り気のない、ピュアな色香を放つヒロインは、雪景色の中で素晴らしく映えている。

 とりわけ、ある意味で人物たちよりも主人公のように扱われている、音楽の表現は出色だ。ほとんどの場面で音楽の演奏は唐突に始まるが、それぞれの心象描写とのシンクロぶりは著しい。例えば終盤のあるシーンでは、食事をしているジウンの前にミョンジンが座り、チェロを演奏しはじめると、居合わせた客達がそれぞれ手にしていた食器や机を用いて伴奏しはじめる。ミュージカル映画などでしばしば用いられる手法だが、本篇はハンディカメラによる主観的な映像を主体としているだけに、奇跡的な演奏に立ち会っているかのような感動を演出する。実際の演奏と、映画のBGMとしての演奏がオーバーラップし、いつしか一体となっていく奇妙な扱い方が生み出す幻想的な味わいも鮮烈だ。舞台上で演者が血を吐いて倒れたあとで演奏を続ける、という奇妙なシチュエーションでさえ、音楽を奏でる、という空気の中で正当化しており、この独特なムードは非常に印象に残る。

 不幸な顛末に、少々無理矢理ではあるものの、暖かな余韻を添えた締め括り方も快い。意識して様々な解釈を可能にしようとした表現が、結果としてちぐはぐにはなってしまったものの、そのイマジネーションの豊かさや描写の華やかさは秀逸だ。

 思うに、第三者が脚本を書くか、構想を纏める役割を果たしていればもう少し親しみやすくなるか説得力のある内容に仕上がっただろうと思われるが、ここまで情熱を感じられる作品にならなかったかも知れない。処女作らしい粗さと清新さとが奇妙な魅力に繋がっている映画である――傑作とは呼びがたいが、不思議と魅せられてしまう。

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