『終着駅 トルストイ最後の旅』

『終着駅 トルストイ最後の旅』

原題:“The Last Station” / 原作:ジェイ・パリーニ(新潮文庫・刊) / 監督&脚本:マイケル・ホフマン / 製作:クリス・カーリング、イェンス・モイラー、ボニー・アーノルド / 製作総指揮:アンドレイ・コンチャロフスキー、フィル・ロバートソン、ジュディ・トッセル、ロビー・リトル / 撮影監督:セバスティアンエドシュミット / プロダクション・デザイナー:パトリツィア・フォン・ブランデンスタイン / 編集:パトリシア・ロンメル / 衣装:モニカ・ジェイコブス / 音楽:セルゲイ・イェチェンコ / 出演:ヘレン・ミレンクリストファー・プラマージェームズ・マカヴォイポール・ジアマッティアンヌ=マリー・ダフ、ケリー・コンドン、ジェフ・セッションズ、パトリック・ケネディ / 配給:Sony Pictures Entertainment

2009年ドイツ、ロシア作品 / 上映時間:1時間52分 / 日本語字幕:牧野琴子 / PG12

2010年9月11日日本公開

公式サイト : http://www.saigo-tabi.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2010/09/11)



[粗筋]

 ワレンチン・ブルガーコフ(ジェームズ・マカヴォイ)は舞いあがっていた。信奉するレフ・トルストイ(クリストファー・プラマー)の秘書として採用されたのである。トルストイの友人であり、その価値観を広めるべく活動しているウラジミール・チェルトコフ(ポール・ジアマッティ)が現在政府によって軟禁状態にあり、彼の代理として送りこまれたのだ。

 トルストイの暮らすヤースヤナ・ポリャーナへと赴いた彼は、“トルストイ主義”の信奉者が集まる村に部屋を与えられ、そこからトルストイの邸宅に通い、仕事を手伝うことになった。

“現代の聖人”と崇められるトルストイはしかし、ワレンチンの想像以上に気さくで捌けた人柄だった。ワレンチンの論文に目を通し、その聡明さを認めたトルストイは初対面から彼に心を許し、率直に接する。自らの提唱する思想とは裏腹な過去も(著書には散々記されているが)サバサバとした態度で語るトルストイに、ワレンチンは驚きと戸惑いを覚える。

 だが、彼を更に驚かせたのは、トルストイと妻ソフィヤ(ヘレン・ミレン)との関係だった。世界的にその名を知られたトルストイは常にマスコミによって同行を追われており、その報によるとふたりには不仲というイメージが強い。確かに、富の放棄と共有を訴え著作権を手放そうとしているトルストイに対し、ソフィヤは業突に著作権を守ろうとし、食卓であっても激しい口論を起こすことがあるが、間近で見るふたりは深く理解し合い、愛しあっているのが明瞭だった。

 何より、妻は決して欲に駆られているのではなく、彼女自身も携わった創作物を守り、その利益で家族が平穏に暮らすことを願って、必死の抵抗を繰り返しているのだと知り、ワレンチンはソフィヤにも共感を覚える。そして、トルストイもそんなソフィヤの心情を理解しているがゆえに、著作権の放棄に踏み切れずにいたのだ……

[感想]

“世界三大悪妻”などと言われる女性が存在する。思想家ソクラテスの妻クサンティッペ、音楽家モーツァルトの妻コンスタンツェ、そして文豪トルストイの妻ソフィヤの3人である。本篇はその3人目に焦点を当てたドラマとなっている。

 だが、そういうイメージで鑑賞すると、プロローグでいきなり度胆を抜かれるはずだ。何せ、眠る夫を起こしに行って、甘えるような素振りを見せるソフィヤの姿から始まっているのだから。およそ“悪妻”という印象はない。

 この作品から濃厚に匂い立つのは、長い間夫婦として暮らしてきた男女の複雑な愛憎を、トルストイ主義に心酔し純粋を保つ青年の目から観察した、異色の恋愛ドラマというイメージだ。自らの思想を飄々と語りながらも、妻の苦悩を理解し、自らの若い時分に重ねた不品行もあって決断に踏み切れないトルストイ。ひたすら自分たちの子供の幸せを願い、思想のために著作権を放棄しようとする夫を罵り、決断を急かせる取り巻きを憎みながらも、夫に対する愛との板挟みで苦しむソフィヤ。出逢って数日の激情に彩られたものとはまったく異なる、長い年月を経てなお愛情を繋ぐ夫婦だからこそ滲み出る苦悩と喜びに満ちた、実に滋味深い恋愛ドラマである。

 ふたりの味わう苦しみもまた、彼ら以外にはあり得ないであろう種類のものであり、そのことがいっそう興味をそそる。トルストイがまったく売れていない、世間に影響力のない作家であれば、どれほど素晴らしい理想を唱えたところであれほど多くの信奉者は現れなかっただろうし、そういう夫を支えてきた妻の発言権のほうが格段に大きくなったはずだ。トルストイが早くから“文豪”の名をほしいままにし、ロシアのみならず世界的に多大な影響力を持ってしまったから、トルストイとソフィアにとってある意味で悲劇的な溝が生まれてしまった。その繊細かつ狂騒的なやり取りに着目した本篇の備える雰囲気は、ほとんど類例のないものと言っていいだろう。

 そうした精妙な駆け引きを、本篇は舞台的な手法で、しかもユーモアを交えて描いているのがまた面白い。冒頭もそうだが、幾度か描かれるトルストイとソフィヤの甘いやり取りは、どうにも“年甲斐もない”と言いたくなる代物だが、巧みなユーモアがその生々しさをうまく緩和していて、文字通りの微笑ましさを添えている。終盤、旅先で死の床に就いた夫をソフィヤが訪ねる場面でも、深刻な状況と彼女の性格とが織り成すやり取りが、彼らの関係に似合った優しさを醸しだしているのだ。

 視点人物として、トルストイ主義の影響を色濃く受けた青年・ワレンチンを使い、彼がこの地で経験する初めての恋愛と重ねているのも絶妙だ。曇りのない彼の眼差しが、自身の経験とトルストイ夫妻の有様とを比較することで、自由や愛と、信念とのあいだの均衡を保つ難しさを克明に描き出す。

 先に“舞台的な手法”と記したが、その白眉が序盤、ワレンチンが初めてトルストイ一家や弟子たちと初めて食卓を囲む場面だ。僅かなシークエンスだが、この駆け引きで彼らの関係がほとんど完全に理解できる。

 特異な題材に、複雑で深刻な人間関係を、巧みな会話と洒脱なユーモアで彩ったユニークな語り口は唯一無二の魅力を放っている。ロシアの自然を捉えた映像とも相俟って、苦くも不思議な余韻を残す逸品である。

 それにしても驚くべきはヘレン・ミレンだ。彼女は先日、『クイーン』でアカデミー賞主演女優賞を獲得しているが、あちらではすべての挙措に気品を宿し、イギリスの国民に対する責任を負った女性を凜と演じているが、本篇ではどちらかと言えば平凡な主婦としての価値観を持つ女性を、気品を留めながらもコミカルに愛らしく演じきっている。年齢相応でありながらここまで活き活きとした輝きを放つことの出来る女優など、そうそういるものではない。主要キャストのほとんどが賞レースに頻繁に名を連ねる名優ばかりだが、その中でもヘレン・ミレンの存在感は際立っていた。

関連作品:

クイーン

消されたヘッドライン

Dr.パルナサスの鏡

ウォンテッド

つぐない

デュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜

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