『狼の死刑宣告』

『狼の死刑宣告』

原題:“Death Sentence” / 原作:ブライアン・ガーフィールド / 監督:ジェームズ・ワン / 脚本:イーアン・マッケンジー・ジェファーズ / 製作:アショク・アムリトラジ、ハワード・ボールドウィン、カレン・ボールドウィン / 製作総指揮:アンドリュー・シュガーマン、ニック・モートン、ニック・ハムソン、ラース・シルヴェスト / 撮影監督:ジョン・R・レオネッティ,ASC / プロダクション・デザイナー:ジュリー・バーグホフ / 編集:マイケル・N・ヌエ,A.C.E. / 衣装:クリスティン・M・バーク / 音楽:チャーリー・クロウザー / 出演:ケヴィン・ベーコンケリー・プレストンジョン・グッドマンジョーダン・ギャレット、スチュアート・ラファティアイシャ・タイラーギャレット・ヘドランド、エディ・ガテギ、マシュー・オリアリー、リー・ワネル / 配給:Happinet

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:岡田壯平 / R-15+

2009年10月10日日本公開

公式サイト : http://www.ookami-sikei.jp/

シアターN渋谷にて初見(2009/11/04)



[粗筋]

 ニック・ヒューム(ケヴィン・ベーコン)は投資会社でリスク管理を担当する取締役として成功した人生を歩んでいた。誠実な妻ヘレン(ケリー・プレストン)、アイスホッケーの選手として有望視されている長男ブレンダン(スチュアート・ラファティ)、兄といがみ合っているがぐれることなく育っている次男ルーカス(ジョーダン・ギャレット)と、家族にも恵まれ、順風満帆の日々を送っている――はずだった。

 ブレンダンの所属するチームが勝利を飾ったその日、ニックを悲劇が襲う。ブレンダンを乗せて帰る途中、車のガソリンが切れてしまい、立ち寄ったガソリンスタンドで、ギャングの襲撃に巻き込まれたのだ。ちょうどニックが給油しているあいだ、店内で飲物を購入していたブレンダンは、運悪くギャングの手にかかり殺害されてしまう。

 犯人は間もなく逮捕された。ジョー・ダーリー(マシュー・オリアリー)という若者の犯行動機は強盗ではなく、ギャングに加入するための通過儀礼だった、と聞かされて憤りを新たにしたニックだったが、彼にとって更に衝撃的だったのは、人ひとり殺したにも拘わらず、ジョーが懲役5年程度の罪にしか問われないことである――目撃者はニックひとり、他の証拠物件のないこの事件では、裁判が長引くほど検察側に不利であり、求刑を抑えて確実に有罪を勝ち取るしか術がない、というのだ。

 法廷でもろくに罪の意識を窺わせないジョーの態度を見ているうちに、ニックの胸にある想いが滾っていく。そして、いざ証言台に立たされたとき、ニックは証言を後退させた――ジョーが犯人である、という確信がない、と。

 ジョーは即刻釈放された。裁判所の前でギャングの仲間たちから喝采を浴びるジョーを物陰から窺っていたニックは、彼らを車で追い、ジョーがひとりになる瞬間を見計らう。お祝いにあてがわれた女と共にジョーがアパートに入っていったのを見届けると、ニックはいったん家に戻り、錆びたナイフを携えてアパートの前でジョーがひとり現れるのを待ち――自らの手で、復讐を成し遂げた。

 だが、それですべてが決着したわけではなかった。ジョーはギャング・グループの頭であるビリー(ギャレット・ヘドランド)の弟だったのだ――一人前の仲間になったばかりの弟を殺され逆上したビリーが、ニックの仕業だと嗅ぎつけるのに、長い時間は必要としなかった。むしろ事態は、悪化していた……

[感想]

 ヴィジランテ映画、というジャンルが存在する。法に頼れない、法はあてにならない、と考えた一般市民が自ら武器を携え、悪や脅威に立ち向かっていく映画を言う。代表格は本篇と同じブライアン・ガーフィールドの小説に基づく『狼よさらば』や、クリント・イーストウッドの代表作『ダーティハリー』シリーズが挙げられ、1980年代ぐらいまでは盛んに作られていたという。最近は主流から外れたものの、『ダークナイト』や『グラン・トリノ』といった名作にその影響が色濃く窺える。

 ……というのはパンフレットからの受け売りである。未だ劇場でリアルタイムに観ることを優先している私は、本篇が強く影響を受けた作品群にはあまり馴染みがない。だから従って、私にとって本篇は『SAW』で斯界の注目を集めた監督ジェームズ・ワンの新作というイメージのほうが色濃い。

『SAW』は強烈なワン・アイディアを完璧に活かすため状況を集約していく作り方が強烈なインパクトを示していたが、ワン監督は本来、ジャンルや表現手法に対して敬意を示した作り方をするクリエイターなのだろう。本篇に先行する作品『デッド・サイレンス』では、脚本を『SAW』でも組んだリー・ワネルとふたりで担当したためか、クライマックスで驚きを演出していたが、全体ではホラーの王道とも呼ぶべきガジェットを無数にちりばめ、これぞオカルト・ホラーという雰囲気を醸成している。本篇もまた、家族を守るため、復讐のために本来戦い方を知らなかった男が武器を手に取り立ち上がる、というスタイルの王道を辿っていることは想像に難くない。

 しかし表現の仕方、緊張感を演出する手管は、どちらかと言えばホラー寄りの印象がある。すべての端緒であるガソリンスタンドでの出来事は、直接表現と間接表現を巧みに織り交ぜて戦慄を演出しているし、特にクライマックス、ギャングたちのアジトでの駆け引きやその見せ方は、クリーチャーもののホラー映画の趣だ。どちらが化物か解らない、というぐらいしか大きな意識の違いは感じない。

 それでも本篇が、手に馴染んだ表現方法の応用に終わっていないのは、主人公の肉付けや感情の描き方にリアリティが備わっているからだ。主人公ニック・ヒュームは間違いなく成功者の部類に入るが、だからこそ我が身が危険に晒されることを本気で想像はしておらず、当然強いわけでも多少なりとも鍛えているわけでもない。そんな男が復讐を試みたとして、どうなるのか。絵空事のように巧みに果たせるはずもなく、事後も爽快感より虚しさを味わう。そしてあっさりと痕跡を嗅ぎつけられ、逆に追われる身となる。ケヴィン・ベーコンの演技も相俟って、その過程は説得力充分だ。

 この説得力がそのまま、終盤の彼の変化と畳みかけるようなヴァイオレンスをいっそう強烈なものにしている。更なる悲劇に襲われたあと、ニックは周到な準備を整えてふたたび敵に挑むが、このとき購入した銃器を最初はおっかなびっくりいじっていたのが、次第に慣れ、構えも形になっていくくだりは、壮絶な状況ながら男としては胸の高鳴りすら覚える場面だ。依然としてどこか腰は引けているものの、傷つきながらも敵を倒していく終盤も、そうした過程を踏まえているからこそ素直に見惚れていられる。

 そうして丁寧に構築しているから、見せ場がその持ち味を発揮できる。やはり物語としてのハイライトはクライマックスの銃撃戦だろうが、映画として最大の見所は、ギャングに追われたニックが逃げこんだ高層パーキングでのひと幕であろう。カメラを自在に移動させ、追う者と追われる者とをワンカットで同時に捉えていく。ニックが敵を攪乱するための策略と、間近に迫ったギャングたちの行動とが生々しい距離感を以て描かれるこのくだりだけでも一見の価値がある。

 もうひとつ、個人的に出色と感じた見せ場はクライマックスの手前、ニックと闇の武器商人とのやり取りである。ニックが武器を選ぶあたりはいわゆるヴィジランテ映画愛好家、ガン・アクション愛好家にとっても見せ場となるだろうが、そのあとの会話も極めて味わい深い。この短いシークエンスに、表の世界で生きてきた者と裏の世界にどっぷり浸かってきた者の価値観の違い、親子観の違いが凝縮されている。ニックはほとんど無言、目線を動かすことさえしないが、その表情は恐ろしく饒舌だ。

 非常に堅実な仕上がり、強引に見せ場を設けていないので、単純にアクション映画として鑑賞しようとするとやや物足りなさを感じるだろう。だが、救いを残しつつも善悪どちらにも偏らない重みのある結末といい、虚無的だが不思議な爽やかさを留める余韻といい、味わいのある佳篇である。

関連作品:

SAW

デッド・サイレンス

ダークナイト

グラン・トリノ

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