『ニッポンの大家族 Saiko! The Large Family 放送禁止 劇場版』

『ニッポンの大家族 Saiko! The Large Family 放送禁止 劇場版』

監督・出演:ベロニカ・アディソン / 企画協力:長江俊和 / 配給:Jolly Roger × Pony Canyon

2009年日本作品 / 上映時間:1時間36分

2009年7月11日日本公開

公式サイト : http://www.nipponnodaikazoku-movie.com/

池袋シネマ・ロサ2にて初見(2009/07/27)



[粗筋]

 国際的に高く評価されているカナダ人のドキュメンタリー映画監督ベロニカ・アディソンが今回、採り上げた題材は――日本の大家族。先進国で少子化問題が取り沙汰される昨今、敢えてその先進国のひとつである日本の、貧しくも力を合わせて暮らしている家族の姿を探ることで、何らかのヒントを得よう、という試みであった。

 ベロニカが選んだのは、埼玉県所沢に居を構える浦という一家である。いまこの家で暮らしているのは父・純夫と母・司以下、3男4女だが、しかしその背後には幾つかの不幸な事実があった。

 実は父・純夫は、五男と五女を除く子達にとって本当の父親ではない。7年前に実父・敬一郎が失踪したあとに母・司と知り合い、この家にやって来たのだ。子供たちと仲良くなれるよう努力を重ねてきた純夫だが、未だに充分に受け入れられておらず、長女・林檎は大学卒業後東京に出て、この半年ほど連絡が途絶えている。三女の梨枝に至っては、純夫が無抵抗なのをいいことに、ことあるごとに暴力を振るっていた。

 家族が抱える悩みはもうひとつ存在する。かつてはプロ野球選手になることを夢見ていた長男・豪毅であったが、7年前から素行が悪くなり、やがて更生したものの、以来ひきこもりの毎日を送っている。以前はパートタイムの仕事をしていた司は豪毅の世話のために家を出ることが出来ず、いま浦家の生活を支えているのは父・純夫と、看護師として働いている次女・蜜柑の収入のみ。この大家族を営むには心許なく、浦家の財政は火の車の状態にあった。

 カメラは、この山積する問題に、家族が立ち向かっていく姿を、克明に辿っていく……

[感想]

 実は私、この作品の趣旨を当初、誤解していた。フジテレビ系列の深夜帯にて6作まで不定期で放送されたのち、2008年には第6作の続篇という形で劇場版まで製作されるに至った人気シリーズ『放送禁止』の、テレビ版第2作にあたる『ある呪われた大家族』のリメイクである、と勝手に解釈していたのである。故に、実際に作品を鑑賞してみて、恐らくは製作者の意図していないところでまず驚かされた。リメイクなどではなく、紛う方無き続篇だったのである。

 描かれているのは『放送禁止2 ある呪われた大家族』から数えて7年後。そう気づいたうえで鑑賞すると、これは実に興味深い作品なのだ。あの“悲劇”を経て、家族がどう変わったのか。増えたメンバーに、大きく変わってしまった子供たちの姿、そして『放送禁止2』に鏤められた伏線やヒントを敷衍した、様々な小道具、事実の数々。意図したつもりもなく、たまたまつい1ヶ月ほど前に“前作”を観たばかりだった私には細かな繋がりがいちいち目について、それだけでも非常に愉しい体験であった。

 しかし惜しむらくは、『放送禁止2』を観ていない、或いはだいぶ前にいちど観たきりだ、という人にとっては恐らくちんぷんかんぷんの内容だ、ということである。人数が多く把握するのが大変だ、というのもそうだが、実父・敬一郎や三男・鷹治を巡る経緯が放り出されたままに感じられるだろうし、いきなり仄めかされただけでちゃんと言及されない“呪い”の部分に至っては意味不明でしかないだろう。折角、ベロニカ・アディソンという架空のドキュメンタリー作家を登場させ、新しい視点で描いているはずなのに、その着想が効果を上げていない。本当ならベロニカ・アディソンという“嘘”にも付き合って感想を書きたいところだったのだが、“前作”を観ていないと存分に楽しむことは出来ない、と言わざるを得ないのは残念だ。

 少しずつ本物のドキュメンタリーっぽく見せかける手管は洗練されており、『放送禁止2』と較べるとだいぶリアルに映るが、相変わらず細々と不自然なカメラワークが見出されるのも気になる。カメラを意識していない立ち居振る舞い、どう考えてもおかしなところに置かれ、普通なら拾えないだろう会話まで拾ってしまっている不自然さが随所に見受けられる。一部は“前作”から引き継いだ様式美と許容してもいいのだが、本来カメラの後ろに立っているべき“監督”ベロニカを中心にした映像が多いのは引っ掛かるところだ。常に同じファイルケースを抱えて、画面の隅にいたり、しばしばアップになったりしている姿は、監督というよりレポーターの趣だった。

 だが、そのあたりを“お約束”として受け入れることが出来、なおかつ前作についての情報をきちんと記憶していれば、非常に吟味しがいのある映画である。上に記した前夫のこと、亡くなった子供のこと、“呪い”の話などがちらつくのもそうだが、相変わらず画面の隅々に伏線やヒントを施しており、飽きるところがない。如何せん、劇場で鑑賞すると、あまりに画面が大きすぎて細部に却って目が行き届かず、もしかしたら観逃した点があるのでは、と不安になってしまうが、それが苦にならない人にとっては繰り返し観る楽しみを残すことにもなるだろう。

 かなり明快な結末が用意されていた『放送禁止2』と較べると、本篇の決着には曖昧な部分が残る。あの伏線は何だったのか、結局最後に何が起きたのか、すぐに納得できない人もいるだろう。しかしよくよく描写を反芻し、真実を推測していくと、背後で起きている出来事はいっそう凄惨になっていると気づくはずだ。結果生じる後味はかなり薄気味悪いものだが、細かい描写を紐解き、謎について思考を巡らせながら鑑賞する楽しみを備えた本篇は、かなり稀有な作品である。シリーズのファンか、せめて『放送禁止2』を観たあとでないと充分に味わえないが、その前提さえクリアすれば満足のいく1本であろう。

 ……ただ、個人的に何より残念に思われるのは、もはや“放送禁止”の映像、とは呼べない内容になってしまったことである。どちらかと言えば、あの家族のその後を描くことこそ最大の目的らしいので、あまり咎め立てするポイントではない、とは思うのだが。

 こういうアプローチで新作を発表してしまったからには、いっそ何年かあとにもう一度、この浦家のその後を描いて欲しいものである。きっと次あたりで、長女・林檎にでもおめでたがあるように思えるので……この想像が如何に悪趣味なものか、『放送禁止2』と本篇を観た方ならきっと解っていただけるだろう。

関連作品:

放送禁止2 ある呪われた大家族

放送禁止

放送禁止3 ストーカー地獄編

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