『それでも恋するバルセロナ』

『それでも恋するバルセロナ』

原題:“Vicky Cristina Barcelona” / 監督・脚本:ウディ・アレン / 製作:レッティ・アロンソン、スティーヴン・テネンバウム、ギャレス・ワイリー / 製作総指揮:ハウメ・ロウレス / 共同製作:ヘレン・ロビン / 撮影監督:ハビエル・アギーレサロベ / 美術:アラン・バネ / 編集:アリサ・レプセルター / 衣装:ソニア・グランデ / 出演:ハビエル・バルデムペネロペ・クルススカーレット・ヨハンソンレベッカ・ホールパトリシア・クラークソンケヴィン・ダンクリス・メッシーナ / ナレーション:クリストファー・エヴァン・ウェルチ / 配給:Asmik Ace

2008年スペイン、アメリカ合作 / 上映時間:1時間36分 / 日本語字幕:古田由紀子

2009年6月27日日本公開

公式サイト : http://sore-koi.asmik-ace.co.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2009/07/23)



[粗筋]

 ヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)は非常に気の合う長年の親友だが、ひとつだけ噛み合わないところがある。

 それは、恋愛観。安定と平穏を求めるヴィッキーは、堅実な仕事に就いているダグ(クリス・メッシーナ)と間もなく結婚する予定だが、対するクリスティーナは自ら望んで危険な恋を選ぶタイプだった。ガウディに憧れ、カタルーニャの国民性に関する論文を執筆する、という明確な目標のあるヴィッキーに対し、クリスティーナのほうはスペインらしく情熱的で魅力的な芸術家とのロマンスを夢見ている。

 クリスティーナの親戚であるジュディ(パトリシア・クラークソン)とナッシュ(ケヴィン・ダン)のもとに身を寄せたふたりは、間もなくひとりの男と出逢った。その男――前衛画家のフアン・アントニオ(ハビエル・バルデム)は、最近妻との泥沼の離婚騒動で新聞の紙面を賑わせたことのある、噂の人物である。

 展覧会ですれ違った程度のふたりを、たまたま同じレストランで見つけるなり、「君たちをオビエドに招待したい。街を歩き、食事を愉しみ、セックスをしたい」と極端なほどストレートに誘ってきたフアンにヴィッキーは嫌悪感を覚えるが、危険な恋に憧れるクリスティーナは彼に激しい魅力を感じた。すっかり乗り気の親友を前に、ベッドインの提案はともかく、お目付役がてら、ヴィッキーはフアンの誘いに乗る。

 だが、少なくともオビエドの街がとても魅力的で、色っぽい話題抜きのフアンが一緒にいて愉しい人物であることは、ヴィッキーも認めないわけにはいかなかった。それでも夜が更けて、さっそく直截なアプローチを仕掛けてきた彼を前に、ヴィッキーはそそくさと部屋に引き上げる。

 結局、ひとりでフアンの部屋を訪ねたクリスティーナだったが、あろうことかベッドでキスしている真っ最中に吐き気を覚え、寝込んでしまった。もともと胃の弱かったクリスティーナは、飲み過ぎたのがいけないのか、それとも望み通りのロマンスを手にしつつあることに緊張してしまったのか、胃潰瘍を患ったのである。

 静養が必要、との診断を受けたクリスティーナを残し、ヴィッキーはフアンとふたりきりで観光に向かう羽目になった。クリスティーナが体調を崩したことも彼のせいにして憤っていたヴィッキーだったが、行く先々でフアンが示す優しさや気遣い、自分の婚約者にはない優れた感性に接するうちに、次第に印象を改めていく。

 そして、ふたりしてスパニッシュ・ギターの演奏に耳を傾けた夜、とうとうヴィッキーは流されるように、フアンと一夜を共にしてしまった……

[感想]

 説明に難儀する映画である。丁寧に粗筋を書こうとすると、情報や関係の変化が多すぎて始末に負えなくなる。ペネロペ・クルスは本篇の演技でアカデミー賞助演女優賞を獲得したが、彼女がちゃんと登場してくる場面まで記そうとすると、最低でもこの1.5倍の文章量が必要になるだろう。

 女性2人が観光地に赴き、現地に住む同じ男性に恋してしまう――とごくざっくりと記すと、有り体の三角関係を題材にしたラヴ・ロマンスでしかないが、上記粗筋に目を通していただければそんな単純な話でないのはご理解いただけるはずだ。

 強いて言うなら、“恋愛は本人の信条や願望通りには進まない”というのが本篇の主題なのだが、そこが如何にもウディ・アレン監督らしい手捌きと言おうか、実に込み入っている。堅実な恋愛を望み、既に理想的な婚約者もいるというのに、危険で知的な薫りをさせる男フアンと一夜の関係を持ってしまうヴィッキーに、そんなフアンこそ理想的な恋人像としながら最初はアヴァンチュールに失敗、のちに首尾よく同棲まで漕ぎつけるが、そのあと更に予想外の人間関係に組み込まれてしまうクリスティーナ、このふたりの表情を主に追いかけつつ、物語は別の関係者の恋愛観も巻き込んで発展していく。最終的にはいったい何画関係なのか、どうなるのが彼らにとって最善だったのか訳が解らなくなるほどだ。

 話が進むにつれ、恋愛映画としても現実だと想像しても異様な関係性に発展していくのだが、その経緯がさほど不自然に感じられず、またそういう事態に直面した登場人物たちの心情に不思議と共感できてしまうのがまた面白い。男としては、複数の女から同時に想いを寄せられるフアンに嫉妬するのが普通のはずだが、羨ましさ以上に、ある意味切羽詰まった状況にある彼に対して憐れみさえ覚える。物語の半ばあたりから“戦列復帰”する元妻マリア・エレーナに罵られるくだりなど、どうやらかなり的を射ていると思えるだけに心底気の毒に思えるほどだ。

 このマリア・エレーナを演じているのがペネロペ・クルスなのだが、なるほど圧巻の演技である。自由奔放で如何にも芸術家肌の女を思わせるが、安易に表面だけ繕っているという印象はなく、その言動や仕草が堂に入っている。日本では同じ2009年に公開された『エレジー』と比較すると解るが、人物像の見事な演じ分けには唸らされる。作中、特にユニークな人間関係を構築する鍵はこのマリア・エレーナが握っていると言えるだけに、尚更ペネロペ・クルスの名演が光っていた。

 そんなマリア・エレーナ自身もそうだが、当事者たちは極めて真剣に悩み深刻な表情を見せているのに、客観的にはその状況も立ち居振る舞いもことごとく滑稽で、爆笑することはなくとも、観ていて終始口許が緩みっぱなしになる。激しい紆余曲折を経てアメリカに帰国する直前のヴィッキーとクリスティーナが見せる、「結局あたしらはスペインくんだりまで何をしに来たんだ」と言わんばかりの表情までが実に可笑しい。

 この映画のジャンルは、と問われれば、たぶんラヴ・コメディということになるだろう。だが、その単語から普通に想像できる内容を期待して観ると、多少ダメージを受けるかも知れない。洒落ていて甘い雰囲気もある、でもいざ試してみたら口のなかに毒が拡がってくる、それでいて不思議と爽快感がある、実にユニークな後味を残す映画である。仮に、観る前にどんなイメージを持っていたとしても、不満を抱くことはまずないだろう。

 ……しかしこの話、あとで考えてみると、よくもまあ死者が出なくて済んだものだ、と思う。成り行きからして、誰も死ななかったとしても、けっこう酷い事態に発展しても不思議はなかった。つくづく、こういう話はフィクションの世界だけにしておいて欲しい。

関連作品:

タロットカード殺人事件

ノーカントリー

エレジー

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コメント

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