『デュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜』

『デュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜』

原題:“Duplicity” / 監督・脚本:トニー・ギルロイ / 製作:ジェニファー・フォックス、ケリー・オレント、ローラ・ビックフォード / 製作総指揮:ライアン・カヴァノー / 撮影監督:ロバート・エルスウィット,ASC / プロダクション・デザイナー:ケヴィン・トンプソン / 編集・共同製作:ジョン・ギルロイ / 衣装:アルバート・ウォルスキー / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:クライヴ・オーウェンジュリア・ロバーツトム・ウィルキンソンポール・ジアマッティ、デニス・オヘア、トーマス・マッカーシー、キャスリーン・チャルファント、ウェイン・デュヴァル、カーン・ベイケル、デヴィッド・シュブリス、オレグ・ステファン、キャリー・プレストン / 配給:東宝東和

2009年アメリカ作品 / 上映時間:2時間5分 / 日本語字幕:栗原とみ子

2009年5月1日日本公開

公式サイト : http://duplicity-spy-spy.jp/

TOHOシネマズみゆき座にて初見(2009/05/28)



[粗筋]

 冷戦終了と共に、スパイたちは急速に活躍の場を失っていった。まだ職場に未練を持つものもあっただろうが、多くは民間に引き抜かれていった――熾烈な新製品開発合戦を繰り広げる企業の諜報合戦に、新たな居場所を求めたのである。

 ここに、2つの会社がある。一方は老舗、バーケット&ランドル(B&R)、もう一方は新興エクイクロム。いずれもトイレタリー業界に属し、B&RのCEOハワード・タリー(トム・ウィルキンソン)とエクイクロムのCEOディック・カーシック(ポール・ジアマッティ)は互いを目の敵にし、熾烈なシェア争いを繰り広げている。

 そんななかで、両者の争いに大きな節目が訪れた。エクイクロムがモグラ(二重スパイ)として、B&Rの対敵情報部に潜入していた元CIA職員クレア・ステンウィック(ジュリア・ロバーツ)が、ある文書をエクイクロムの諜報部門に齎したのである。

 その文書とは、タリーが内部向けに用意したスピーチの原稿だった。そこには、内容を具体的に明かしていないものの、B&Rが久しぶりに――そして業界に一石を投じるレベルの新製品を発売することが示唆されていた。B&Rに敵愾心を燃やすカーシックは、B&Rが新製品のプレスリリースを行うと思しい10日後に先駆け、9日後に開催される自分たちの株主総会で同じ製品を公表してしまうことを目論んだ。

 カーシックの命を受けて、エクイクロムの諜報部門は行動を活発化させる。諜報部門では、B&Rの開発部門自体はほとんど形骸化していると判断、ここ最近に吸収合併した企業が新製品のヒントを齎したと推測し、B&R幹部の行動を探るべく、同社の旅行部門への侵入を計画した。

 目覚ましい成果を上げたのは、僅か3週間前にエクイクロム諜報部門に加わったばかりの元MI6職員レイ・コヴァル(クライヴ・オーウェン)という男である。彼は旅行部門のバーバラ・バフォード(キャリー・プレストン)をあっという間に“たらし込む”と、同僚が踏み込む手筈を整えたのだ。結果、幹部が最近ジョージア州に頻繁に渡航していることを確認される……

 ……そうしてじわじわと、B&R社の新製品情報に肉迫していくかに見えたエクイクロム諜報部門であったが、この諜報合戦において本当に重要な役割を担っているのは、レイ・コヴァルとクレア・ステンウィックの秘められた関係であった。ふたりは本職のスパイであった時分、いちどだけ因縁含みの遭遇を果たしていたかのように見せかけていたが、実はその後も繰り返し接触しているのである。幾度も、人目を盗んで……

[感想]

フィクサー』は緻密なプロットと絵画的な構図を駆使し、クライマックスまで異様な緊迫感の漲った優秀なサスペンス映画であった。本篇はそれを監督したトニー・ギルロイの監督第2作にあたる。

 もともと優れた脚本家として注目を集めていた人物だけに、本篇も実によく練られたプロットと、洒脱な台詞が光っているが、そのわりにどうものりきれないテンポの悪さを感じる。

 その原因は、色々な要素について焦点がぶれたまま物語を進行せざるを得なかったことにある。……こう書く私自身も、ネタばらしの危険を考慮するとあまり詳しく触れることが出来ないのだが、本篇は序盤から意図的に、エクイクロムが狙うB&Rの新製品とはどんな代物なのか、誰が誰を騙そうとしているのか、について伏せ、その不明瞭なものの周辺を右往左往する姿自体を物語におけるいちばんの注目点として描いている。それ故に感情移入出来るほど行動原理の明確な人物が設定できず、サスペンスとしての牽引力を欠く結果となったのは、発想そのものが孕むジレンマだったと言えるだろう。これをクリアするのは、誰であっても難しい。

 本質的にこの作品は、ごく冷静に眺めればそう目を血走らせて追いかけるほどでないもののために、スパイたちが猜疑心に駆られながら生真面目に騙し合いを繰り返す、その滑稽さを描くことが主題と解る。だが、予備知識なしで鑑賞したとき、それにいつ気づけるかによって、観客がどの程度楽しめるか、どう評価するかも大幅に違ってしまう。割り切って、中心であるクレアとレイの会話の洒脱さと、裏腹に何処か間の抜けた諜報活動の滑稽さを楽しむつもりになればまだ堪能できるだろうが、素直にスパイ同士の駆け引き、騙し合いに注目して鑑賞しようとした人は、その焦点の曖昧さに苛立つ可能性もある。

 だが、いざ観終わってから改めて全体を見渡すと、やはりよく考え抜かれたシナリオに感嘆するはずだ。緻密な伏線によって予め真相を見抜くことが出来る、という類ではないが、決してアンフェアにならぬよう、予防線を張り巡らせたうえで、一部の登場人物と観客とをミスリードする技は絶妙を極めている。騙し合いの構造さえも孕むように築きあげられた全体像は、いちど理解したあとで改めて個々の描写を反芻したとき、1回目とは違った面白さを味わうことが出来るだろう。

 サスペンスや、アイディアの入り組んだ構成を除いても、絵画的感覚に彩られた画面作りにドバイ、ロンドン、ニューヨークなど世界経済の中心地をうまく鏤めたタイムリーな舞台選びは充分に魅力的だ。何より秀逸なのは会話の洒脱さ、言葉選びのセンスである。ポール・ジアマッティ演じるCEOが披露するスピーチの迫力は本当のカリスマ経営者さながらだし、レイと同僚たちの、相手の出方を予測し策を巡らせる事務的なやり取りから品のない雑談まで、台詞の一つ一つが洒落ている。とりわけ主人公であるクレアとレイの会話が魅力的なのは言わずもがなだが、彼らの場合、ひとくさりの会話の流れが幾度か反復され、その都度違った捉え方が出来るように仕組まれているのにはただ唸り、笑うしかない。

 観終わったあとでないと中盤の台詞を本当の意味で理解するのは難しく、過程の表現で観客を充分に引っ張ることが出来ていないのは残念だが、プロットがよく作り込まれ、言葉遣いのひとつひとつに至るまで練り込まれた、センスのいいスパイ・コメディに仕上がっている。前作同様、1回観ただけで味わい尽くしたい人には向かないが、何度も観て味わえてこそ、という価値観をお持ちの方は是非2回、3回と鑑賞してみることをお勧めする。たぶん、2度目のほうが面白いはずだ。

 しかしこの映画、コメディとしてのいちばんの笑いどころは、仕掛けられた罠の持つ意味だろう。なぜこの罠でなければいけなかったのかというと、いちばん大きな反応を記すであろうあの人物の設定にその理由が隠されていて……と、ネタばらしを避けるためにはひたすら曖昧に書かざるを得ないのがもどかしい。

関連作品:

フィクサー

ザ・バンク 堕ちた巨像

バーン・アフター・リーディング

消されたヘッドライン

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