『恐怖城 ホワイト・ゾンビ』

恐怖城 ホワイト・ゾンビ [DVD]

原題:“White Zombie” / 原作・脚本:ガーネット・ウェストン / 監督:ヴィクター・ハルペリン / 製作:エドワード・ハルペリン / 撮影監督:アーサー・マルティネリ / 編集:ハワード・マクラーノン / 音楽:エイブ・メイヤー / 出演:ベラ・ルゴシ、マッジ・ベラミー、ロバート・フレイザー、ブランドン・ハースト、ジョセフ・コーソーン、ジョン・ハロン、ジョン・S・ピーターズ / DVD発売元:有限会社フォワード

1932年アメリカ作品 / 上映時間:1時間6分 / 日本語字幕:多紀香美 / 字幕監修:石田一

1933年6月日本公開

2009年4月24日DVD最新日本盤発売 [bk1amazon]

DVDにて初見(2009/05/05)



[粗筋]

 結婚を間近に控えたニール(ジョン・ハロン)とマデリーン(マッジ・ベラミー)は、旅先で出逢ったボーモン(ロバート・フレイザー)に誘われ、彼がハイチに構えた屋敷で挙式を上げることにした。移動中、道の真ん中に埋葬を行う異様な光景を目の当たりにし、路傍に佇む不気味な男(ベラ・ルゴシ)の視線に怯えるひと幕もあったが、ふたりとも幸せな日々の予感に胸をときめかせていた。

 しかし、ボーモンがふたりの挙式を計画したのには理由があった――彼は、マデリーンに横恋慕し、どうにか自分のものにする機会を窺っていたのである。挙式を名目に呼び寄せたその夜、ボーモンはあの不気味な男に接触し、とある薬を譲り受ける。ニールを心から愛しているマデリーンを自分のものにするためには、これしかない、と。

 翌日、ささやかな挙式のあと、晩餐の席で、ボーモンは行動に移した。マデリーンのワインに、針の先ほどのひとしずくを垂らす。ニールと愛を囁き合っていたマデリーンは、突如不吉な言葉を口走ると、そのまま息を引き取ってしまった。

 ニールが悲嘆に暮れるその隙に、謎の男とボーモンは墓地に赴き、マデリーンの遺骸を持ち去った。謎の男は、ハイチの呪術師に学び、屍体を蘇らせ操る方法を習得している。男はマデリーンの、ニールに捧げられた魂を殺し、生ける屍――“ゾンビ”として復活させることを目論んでいたのだ……

[感想]

 ジョージ・A・ロメロの諸作によって映画の一ジャンルとして定着し、『28日後…』に『バイオハザード』シリーズ、『プラネット・テラーinグラインドハウス』など多くの追随者を生んだゾンビ映画の、原点と言われているのが本篇である。ハイチにある“生ける屍”の伝説を最初に採り上げた、ということだが、果たして本当に最初であったかはさておき、のちの作り手が意識した作品であるのは間違いないらしい。

 だが、率直に言って、「“ゾンビ”というモチーフを映画界に齎した」という以外の価値はあまり見いだせない出来だった。既に77年も前の作品だ、ということを差し引いても、筋の通らない描写が多いのである。

 何故、それなりに身分の高そうな男女が、誘われたからとはいえ挙式を知り合いのいそうもないハイチなどという土地で催したのか。ふたりを招いたボーモンにしても、彼の目的からすると「自分の屋敷で挙式を上げて欲しい」などという以外に色々と取る手段はあっただろう。彼に花嫁を横取りする方法を示唆する謎の男も、終盤で口走ることが本音なら、明らかに余計なことをしすぎている。

 特にクライマックスは、あまり深く考えずに作っている印象が強い。舞台の位置関係がよく解らないし、彼らのあの行動は何の意味を為しているのか、というのも解りにくい。何より、悲劇のヒロインの身に起きた変化がろくに理由付けもされておらず、あまりに安直な印象を齎すのだ。1時間ちょっと、という短い尺のわりに冗長に感じられるテンポの悪さも、いくら古い作品とはいえ引っ掛かる。

 ゾンビの原点、という理由から鑑賞しても、物足りない仕上がりだ。中心人物が生者であり、ゾンビを生み出す秘術を花嫁を掠奪する手段として用いることが主題となっているため、ゾンビそのものの特徴をほとんど描写していないのである。自我はなく、銃弾を撃ち込まれても倒れない、という設定は用意されているが、前者はゾンビの不気味さを描写するために用いられていないし、後者などクライマックスの一箇所でちらっと描かれているだけなのでほとんど印象に残らない。むしろ、ジョージ・A・ロメロが如何に巧みにこの設定を膨らまし、後進を刺激する題材に成長させたのかを実感させるほどに、本篇でのゾンビは存在感が薄い。

 しかし、そのあたりを納得の上で鑑賞すると興味深く、楽しいところも多い作品である。最小限の描写でどう観客に恐怖感を味わわせるか、という工夫は随所に見受けられるし、新婦を失い懊悩する新郎の姿を、他の人物が影でしか映らない、という趣向で描く、現代ではあまりお目にかかれない表現が認められるのも面白い。今だからそう感じる、という部分も大きいが、ゾンビの行動の滑稽さもちょっとした見所である。クライマックスで彼らの取る行動など、正直笑ってしまうほどだ。

 とはいえ、ゾンビを扱ったホラー映画としても幻想ものとしても物足りない出来であることには変わりない。ゾンビ映画の原点という位置づけと、未だ語り草でありインスパイアされる俳優も少なくないベラ・ルゴシの怪演を味わえる、という点がなければ、あまり記憶されなかった作品だろう。その点を承知し、ホラー映画史の勉強のつもりで鑑賞すれば満足は出来るだろうが、ホラー映画・怪奇映画として純粋に楽しもうとするには、さすがに古びすぎている。

関連作品:

ゾンビ [米国劇場公開版]

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