『GOEMON』

『GOEMON』

監督・原案・撮影監督:紀里谷和明 / 脚本:紀里谷和明、瀧田哲郎 / 製作:一瀬隆重紀里谷和明 / 撮影:田邊顕司 / 照明:牛場賢二 / 美術・ヴィジュアルコンセプト:林田裕至 / セットデザイナー:平井淳郎 / 装飾:西尾共未 / 美術プロデューサー:赤塚佳仁 / 衣装デザイン:ヴォーン・アレクサンダー、ティナ・カリヴァス / 編集:紀里谷和明横山智佐子 / VFXスーパーヴァイザー:野崎宏二 / VFXプロデューサー:藤田卓也 / 音響効果:伊藤瑞樹 / 殺陣:森聖二 / 音楽:松本晃彦 / 主題歌:VIOLET UK『ROSA』 / 出演:江口洋介大沢たかお広末涼子、ゴリ、要潤玉山鉄二チェ・ホンマン佐藤江梨子戸田恵梨香鶴田真由、りょう、藤澤恵麻佐田真由美、深澤嵐、福田麻由子広田亮平、田辺季正、佐藤健蛭子能収六平直政小日向文世中村橋之助寺島進平幹二朗伊武雅刀奥田瑛二 / 配給:松竹×Warner Bros.

2008年日本作品 / 上映時間:2時間8分

2009年5月1日日本公開

公式サイト : http://www.goemonmovie.com/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2009/04/21) ※試写会



[粗筋]

 本能寺の変織田信長(中村橋之助)は明智光秀(紀里谷和明)の手で暗殺された。そののち、光秀を討伐した豊臣秀吉(奥田瑛二)が天下を平定、世は火種を留めながらもしばしの平和を取り戻した。

 ここに、太平の世を騒がせる人物がいる。その男の名は石川五右衛門(江口洋介)――金持ちから財宝を盗み、貧しい人々に分け与える義賊だ。

 その夜も彼は、紀伊国屋文左衛門(六平直政)の屋敷に侵入し、盗みを働いていた。そこで何気なく発見した、舶来品と思しき絡繰り細工を施した箱。折しも何者かが大挙して屋敷に訪れたため、その場を逃げ出した五右衛門は、花火見物の観衆に収穫をばらまくついでに箱を放り捨ててしまった。

 一方、五右衛門に踏み荒らされた紀伊国屋の屋敷では、別の男が苦々しい表情を浮かべていた。その男――石田三成(要潤)は側近の忍び・霧隠才蔵(大沢たかお)に紀伊国屋の屋敷の者を皆殺しにしたうえ、すぐに箱を盗んだ五右衛門という男を捜し出すよう命じる。

 あくる朝、自分を慕って仕事を手伝っている猿飛佐助(ゴリ)から、昨晩の屋敷を襲った災厄と、“賊”が箱を捜していた事実を知った五右衛門は、興味本位で箱探しに赴く。

 箱を拾ったのは、小平太(深澤嵐)というスリの少年であった。貧民街で病弱な母(鶴田真由)と暮らしていた小平太だったが、五右衛門が立ち回った晩に財布を掠め取った男(玉山鉄二)に見つけられ、母を殺されてしまう。偶然に通りかかった五右衛門は、いつになく激しく男を痛めつけた。

 そこに忽然と現れたのは、やはり箱を捜していた才蔵。一触即発の状況で、五右衛門は機転を利かせて箱もろとも逃亡を図る。かくて、城下町の上空で、大泥棒と忍びの死闘が繰り広げられた――

[感想]

 本篇で描かれている戦国末期の日本は、実際の当時の史実とかなり食い違っている。そもそも美術からして、過剰に煌びやかな意匠を施した建物やミニスカートのように裾の短い衣服を着けた花魁といった具合に突き抜けているうえ、言葉遣いも現代的であり、時代考証を意識的に無視しているきらいがある。従って、そこで目くじらを立てるようなら、まず本篇は避けた方がいい。

 だが、そのあたりを予めわきまえ、むしろそういう破天荒さを好むほうだ、というつもりのある私でも、正直本篇はあまり許容できなかった。問題は史実から大幅にはみ出していることではなく、構築した虚構のなかで人物像や価値観にブレがあることだ。

 そもそも五右衛門という人物が、何故ああいう来歴で“義賊”になったのかがよく解らない。中盤あたり、若い頃のエピソードのなかで「自由になりたい」云々の発言があるが、そこから何故義賊になる道を選んだのか。戦乱の世にあって、五右衛門の持つ技術や知識は軽視できるものではなく、仕官の話はあっただろうし彼の存在を前々から危ぶむ者もあっただろう。特に存命である彼の師匠あたりはなおさらだ。

 そのあたりは観る側に憶測するための幅と許容しても、作中での言動、心情の変化、最終的な結論があまりにぐらつきすぎていて、真剣に鑑賞して解釈を施すほど納得がいかなくなる。けっきょく彼は何を望んで行動に及んだのか、最後まで傍目には判然としない。結末の成り行きに感動する人もいるだろうが、よく考えて欲しい。中盤での迷いと彼の最後の行動は本当に筋が通っているか。ああいう煩悶を繰り返した人間の行動として、あれは本当に相応しかったか?

 他の人物にしても同様だ。作中で誰よりも悪人ぶりを示す人物は、暗殺計画を影武者によってしのぐのだが、わざわざ影武者を用意するほど警戒している、という描き方なのに、そのわりに人前での行動が無防備すぎて不自然さが際だつ。

 人物描写のブレは、そのまま物語としての主題のブレにも繋がっている。別のある人物は途中、自らを襲った悲劇の現場で、五右衛門に向かって「お前が勝手に自由を謳歌した結果だ。ちゃんと見ろ」と訴えるが、しかしそう言った当人の行動にしても、彼自身が幸せを追求しているだけ、という指摘も出来る。そういう二重基準の理不尽さを描く意図があっての発言ならいいのだが、そのあとで反復する機会をいちども設けず、そう言われた五右衛門自身の行動も更にぶれているあたり、ほとんど無自覚にやっているようだ。

 また終盤のある場面では、出来事のひとつひとつから論理的に考えれば、訊問などせずとも誰が裏切っているのか解ったはずなのに、誰もその矛盾について言及せず、その後の話の中でも無視している箇所がある。こういう場面を描きたい、という想いばかりが先行しすぎて、全般にツメが甘くなっているのだ。

 美術の絢爛さには唸らされるものがあり、映像を魅力的に見せることが出来ればまだ評価は違っていたのだが、生憎と本篇はその意味でも失敗している。構図が画一的、しかもカメラワークも安易なので、まるで3DCGを習ったばかりの素人が作った映像のように感じられるし、アクション場面では逆に視点を振り回しすぎ、五右衛門が複数の敵と戦っている見せ場を障害物で隠してしまっている。激しいアクション場面では全般に人間の描き方がぎこちなく、フィルムを何枚か抜いてしまっているのでは、と疑問を抱くような箇所があった。冒頭、CGのみで描いた激しいアクションの場面で、キャラクターと役者が一致するよう図ったのか、動きながらいちいち台詞を挟むところでも、口の動きを見せたり、発言と同時に相応しい動きを付け加えて音と映像が繋がるような工夫を一切していないために終始不自然だったが、その違和感が最後まで残っている。

 まったくいいところがなかったわけではない。CGにしたときの不自然さは色濃いが、コンセプト・デザインのユニークさは印象に残る。また、江口洋介大沢たかおら、中心人物を演じた俳優はみないい仕事をしている。個々の場面だけを切り取れば、その台詞や表情の説得力は秀逸なのだ――ただ、先行する描写と矛盾したり辻褄が合わなかったり、また裏打ちするような描写を用意していないから、活きていなかったり良さを潰されているのである。物語としてきちんと構成していれば、名場面として光っただろう、と思われる箇所もあった。

 欠点と美点とを並べてみると、どうもこの監督は原案とコンセプト・デザインぐらいに参加を留めて、アイディアの整頓や編集、カメラワークの考案などは、別の人に委ねるべきではなかったかと思う。CGの扱いの拙さはどうしようもないが、日本伝統の衣裳や建築をメタリックに、サイケデリックに彩った美術には個性が感じられるし、恐らくは台詞や見得を始めに考えたと思しき場面は、そこに至る話の流れを第三者が整頓していれば、ずっと光るものになったはずだ。

 私自身は、あまりに多い拙劣な描写や矛盾のある言動にツッコミを入れるのを楽しんでいたので、ある意味堪能したとも言えるのだが、しかし決して他人様にお薦めはしたくない。その場その場の演技や映像に素直に感激できる人なら歓喜するかも知れないが、正直保証はしかねる。

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