『ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー』

『ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー』

原題:“Street Fighter : The Legend of Chun-Li” / 監督:アンジェイ・バートコウィアク / アクション監督:ディオン・ラム / 脚本:ジャスティン・マークス / 製作:パトリック・アイエロ、アショク・アムリトラジ / 製作総指揮:辻本晴弘、稲船敬二、徳丸敏弘 / 撮影監督:ジェフ・ボイル / プロダクション・デザイナー:ミシェル・Z・ハナン / 編集:デレク・G・ブレシン、ニーヴン・ハウアー / 音楽:ステファン・エンデルマン / 出演:クリスティン・クルックマイケル・クラーク・ダンカン、ニール・マクドノー、タブー、クリス・クライン、ロビン・ショウ、エドムンド・チェン、ムーン・ブラッドグッド / アショク・アムリトラジ/カプコン製作 / 配給:GAGA Communications

2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:伊東武

2009年2月28日日本公開

公式サイト : http://streetfighter-movie.gyao.jp/

ヒューマントラストシネマ文化村通りにて初見(2009/03/13)



[粗筋]

 チュンリー(クリスティン・クルック)は、仕事の都合で転勤の多い父シアン(エドムンド・チェン)について各国を回りながら、しかし優しい両親と誠実な使用人たちに囲まれて幸せな日々を送っていた。だがあるとき、突如としてチュンリーの家を男たちが襲い、シアンを拉致して行ってしまう。

 以来十数年、行方知らずの父の身を案じながらも、チュンリーは有望なピアニストとして成長した。そんな彼女のもとに、ある日ひとつの巻物が届けられる。チュンリーにも読めないほど古い中国の言葉で記されたそれが、チュンリーには父からのメッセージのように感じられた。

 一緒に父の帰りを待ち続けた母が病没すると、チュンリーは巻物を読み解いてもらうべく、中華街の占い師に接触する。占い師はチュンリーに、“元”という人物の存在を教えた。かつては悪人だったが、いまは弱い者の味方として戦っている。バンコクに潜伏している彼が、チュンリーを導いてくれるだろう……

 占い師の助言に従い、チュンリーは住み慣れた邸宅と親しい使用人たちに別れを告げ、僅かな手荷物だけを提げてタイ・バンコクに渡った。都市伝説のような存在の“元”とはなかなか巡り逢うことが出来ず、優しい人々の施しに縋って食いつないでいく日々の中で、チュンリーは貧しい人々を苦しめる悪人たちを目にし、次第に正義感を目醒めさせていく。

 ――同じ頃、バンコクの裏社会では大きな動きが生じていた。各国の実力者たちによって結成された組織“シャドロー”において、ベガ(ニール・マクドノー)が叛乱を起こして他の実力者を暗殺、全権を掌握した。ベガはある人物を手中にして、そのコネクションを利用、世界規模で“シャドロー”、ひいては自分自身の権力を拡大していたのである。その人物こそ、シアン――チュンリーの父であった……

[感想]

 日本、というより世界的に見ても、“格闘ゲーム”というジャンルの草分け的位置づけにあるのが、『ストリートファイター』というシリーズである。それだけに、実写化やアニメ化も何度か経ているが、第1作から20周年という節目に製作された本篇は、ゲームの製作元であるカプコンのスタッフが早い段階から携わっており、従来のものよりもオリジナルに近い構想で作られている。

 ……はずなのだが、原作ゲームは昔にちょっと囓っただけの私でも、あちこち違和感を覚える仕上がりである。

 問題は、あれほど服装や姿形によってくっきりと際立たせたキャラクターを用いているのに、そのまま再現した場面がないことだ。タイトル・ロールのチュンリーはお団子のようにまとめた髪型に、チャイナ・ドレス風の道着をつけた姿でお馴染みだが、映画の中では1回もそれを彷彿とさせるような格好を見せていない。演じているクリスティン・クルックが、アジアの血は入っていると言っても北欧的な顔立ちをしていることに目をつむっても、そうした部分を外しているのはちょっとサービス精神に欠く、と言う気がする。彼女のみならず、ゲームと同じ名前や肉付けをした登場人物は多く、チュンリーよりもイメージとしては近い人物もいるのだが、ほとんどがゲームとはあまり共通点のない服装をしており、どうも物足りなさを感じてしまう。

 しかしいちばん拙いのは、ストーリーに整合性が乏しいことだ。ベガの悪事とその手段があまりに非現実的であるのはまだいいとしても、そこにチュンリーの父親が絡んでいく理由付けに、何故チュンリーなら助けられるのか、そしてその後の彼女の行動との拘わりなど、いちいち強引で腑に落ちないものが多い。とりわけクライマックスで重要な意味を持つ“荷物”については、あんな運び方をしていること自体が不自然で、見せ場のために無理矢理結びつけられたような印象が強かった。

 その分、というか原作が格闘ゲームなのだから当然ではあるのだが、アクション・シーンはかなり充実している。監督であるアンジェイ・バートコウィアクは『電撃 [DENGEKI]』でスティーヴン・セガールと、『ロミオ・マスト・ダイ』と『ブラック・ダイヤモンド』でジェット・リーと組み、格闘をヒップホップに乗せてスタイリッシュに描き出す技を充分に確立している。出演者もスタッフもまるっきり入れ替わってはいるが、そのあたりのセンスは決して鈍っておらず、質量ともに充実している。旧作のような目の醒めるようなアイディアは盛り込まれていないし、ゲームを意識したと思しい必殺技が浮いてしまっているが、そのくらいはご愛敬だろう。

 観る側として考慮しておかなければいけないのは、実はこの『ストリートファイター』というシリーズはアメリカにおいて、コミックとして独自に成長を続けていた、という点である。ゲームしか知らない日本人には違和感を覚えるような描写も、アメリカのファンには馴染みのあるエピソードに基づいている、ということがあるようだ。

 少なくとも、この作品の見せ場が“格闘”にある、ということは十分承知した作りであるし、容貌や服装はいまいち一致していなくとも、雰囲気は感じられる。あまり様式に拘りすぎなければ、ヒーローものアクション映画の一種として楽しめるだろう。

 ちなみにこの作品、日本での上映においては、本篇上映後にオマケとして、春日野さくらを主人公としたショートアニメが付け加えられている。映画本篇とは関係なく、タイミングを合わせて家庭用ゲームとしてリリースされる『ストリートファイターIV』のPRとして作られたような趣だが、正直、日本のファンにとっては映画本篇よりもこちらのほうが受け止めやすいだろう――映画が原作の方向性を汲みつつも独自に展開してしまったことへのお詫びの意味を籠めたもの、と捉えるのは穿ちすぎか。

 何にしても、個人的にはこちらの作風で、ある程度の尺と充分なアクションを盛り込んだものを観てみたい、と思った。

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