『チェンジリング』

『チェンジリング』

原題:“Changeling” / 監督・音楽:クリント・イーストウッド / 脚本:J・マイケル・ストラジンスキー / 製作:クリント・イーストウッドブライアン・グレイザーロン・ハワードロバート・ロレンツ / 製作総指揮:ティム・ムーア、ジム・ウィテカー、トム・スターン / 撮影監督:トム・スターン,ASC,AFC / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・J・ムラカミ / 編集:ジョエル・コックス,ACE、ゲイリー・D・ローチ / 衣装デザイナー:デボラ・ホッパー / 出演:アンジェリーナ・ジョリージョン・マルコヴィッチジェフリー・ドノヴァンコルム・フィオール、ジェイソン・バトラー・ハーナー、エイミー・ライアンマイケル・ケリー、ガトリン・グリフィス、デヴォン・コンティ、ジェフリー・ピアソン、エディ・オルダーソン / マルパソ製作 / 配給:東宝東和

2008年アメリカ作品 / 上映時間:2時間22分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG-12

2009年2月20日日本公開

公式サイト : http://www.changeling.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2009/02/20)



[粗筋]

 始まりは1928年、アメリカ・ロサンゼルス。

 電話会社の交換台で主任として働くクリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は単身、9歳になる息子ウォルター(ガトリン・グリフィス)を育てるシングル・マザーだった。女性ながら職場での信頼も厚く、幸せな日々を送っていた。

 だがその幸せは3月10日、突然に覆される。クリスティンは急遽仕事に呼び出され、夕方急いで我が家に戻ると、ウォルターの姿は何処にもなかった。近所中を捜し回るが、その影すらも見つけだせなかった。すぐさま警察に縋った彼女だが、最初の通報は一笑に付された。警察は失踪後24時間以内に動くことはない。たいてい翌朝には戻るから、というのだ。

 しかし、ウォルターは戻らなかった。二週間経っても、三ヶ月経っても。

 事態は五ヶ月後、思わぬ形で動きはじめる。憔悴しながらも仕事に就き、空き時間に各地に連絡を取って情報収集に務めていたクリスティンの元に突然、ウォルター発見、の報が届いた。イリノイ州にて、男とふたり連れで食堂に現れ、置き去りにされたところを保護されたというのである。

 ロサンゼルス市警本部長のデイヴィス(コルム・フィオール)先導のもと、大勢の記者達が集い、母と子の再会は華々しく行われた。だが、記者から降り立った少年の姿を目にしたとき、クリスティンは困惑する。そこにいるのは、どう見てもウォルターではなかった。

 デイヴィス本部長は五ヶ月間離ればなれになったあとであり、身体的な変化に加え同様も手伝って混乱しているだけだろう、とひとまず家に帰るよう諭し、記者達の取材を受けたあと、クリスティンと“ウォルター”を家に帰した。戸惑いながらも“ウォルター”に接していたクリスティンだったが、幾ら時を経ても違和感は拭えず、むしろ確信に近づいていく。その“ウォルター”はあまりに肉体的特徴が違いすぎていた。柱に刻んだ成長の印と較べて7cmも身長が低く、施したはずのない割礼の痕跡がある。

 すぐさま青少年課で失踪児童の捜索の責任者を務めるジョーンズ警部(ジェフリー・ドノヴァン)に訴えたクリスティンだが、ジョーンズは専門家の鑑定を経てウォルターであると確認していると主張、むしろクリスティンを「母親としての責任から逃げようとしている」と非難する。警察から雇われた医師も、ウォルターを本人だと説明し、むしろクリスティンのほうが精神的に問題がある、と説いた。

 追い込まれていくクリスティンだったが、思わぬところから援軍が現れる。その人物、長老教会で牧師を務めるグスタヴ・ブリーグレヴ(ジョン・マルコヴィッチ)は、ロサンゼルス市警に長年不正が蔓延っている事実を告げ、今回の“偽”ウォルターの事件も彼らが失態を糊塗しようとした結果であろうと推測した。彼の言葉に力を得たクリスティンは、歯科医やかつての担当教師から“ウォルター”が偽者であるという証言を引き出していく。

 だが、そんな彼女に対して、ジョーンズ警部はとんでもない行動に出た――

[感想]

 題名の“チェンジリング”はヨーロッパにおける、子供がエルフやトロールなどの伝説上の生物と密かに取り替えられる、という伝承に基づいている。この伝承自体は空想や、悪意的な言いがかりに過ぎないのが大多数であったろうが、本篇で語られる出来事は、実際に起きたものであるという。

 クリント・イーストウッド監督や主演のアンジェリーナ・ジョリーも語っているようだが、こんな話が実話として示されたとしても、そう簡単に信じられるものではない。こんな、社会そのものが悪意によって現実を改竄するような出来事が本当にあり得るものか、と感じる人は少なくないだろう。

 だが、製作者がそこをきっちりとわきまえているからこそだろう、本篇の語り口はまさに真に迫っている。淡々としたタッチで綴られる平穏な日常が、まったく思いがけず、けれどはじめからその延長上に悲劇があったとでも言うようにするりと変転し、次から次へ予想外の出来事が起きる。トーンが不変だから、最初に示された有り体な現実と無数の悲劇が地続きとなり、悪夢のような出来事にリアリティを与えているのだ。

 主人公クリスティンの身に起きたことはまさに悲劇としか呼びようがないが、本篇の絶妙なところは、彼女の抱く疑念に、ほんの僅かだが違和感を漂わせていることである。必死に我が子ではない、と主張する彼女の姿にほんのりと狂気を滲ませ、曖昧な部分を残すことで、意識的に彼女の直感に疑いを抱かせる。そのことが、母としての信念と狂気とを同時に感じさせ、物語としての牽引力を強めているのだ。

 しかし実際には、クリスティンの疑念のほうに正当性がある。そもそもクリスティンが疑惑を抱いた理由自体頷けるものだし、警察や警察が協力を仰いだ医師たちの根拠が判然としない説明よりも、歯科医や教師からクリスティンの得る証言のほうが真に迫っている。だが、客観的に感じ取れる僅かな違和感が、クリスティンの人としての心の揺れ、ほのかな狂気、何よりも母親としての激烈な覚悟をくっきりと際立たせている。表現の匙加減が抜群にいい。

 ほとんどひとりで物語を支えているクリスティンに扮したアンジェリーナ・ジョリーは本篇の演技によって、間もなく受賞者が発表される第81回アカデミー賞の主演女優賞候補に挙げられているが、それもなるほどと頷ける。冒頭の穏やかな表情から失踪直後の混乱と不安に苛まれた表情、やがて警察が見つけてきた少年に対して抱いた疑念と、それに対する警察の不誠実な態度への動揺と憤り、様々な出来事を乗り越えた直後の虚脱した姿、そして終盤における、深い悲しみを漂わせながらもいっそ悟りの境地に達してしまったかのような凜とした佇まいに至るまで、極めて変化に富んだ人物像を見事に表現しきっている。ただ子供を取り戻したい、という一心を貫いた結果、体制すら揺り動かしてしまった女性であると、納得させるに足る素晴らしさだ。

 そして、そんな彼女が最後に辿り着いた境地を決して“狂気”ではなく、覚悟を持った母親の“気高さ”に昇華していることこそ本篇の出色な点である。解釈を弄したハッピーエンドではなく、安易にその不幸を強調するのでもなく、客観的に悲しむべき状況にあって、揺るぎない決意を示すクリスティンの姿に絶望はない。自らの選んだ道を歩むことに何ら躊躇いを見せない、その鮮烈な後ろ姿から滲み出す余韻は、哀しくも神々しくさえある。

 独特の色調のためにモノトーンと勘違いしそうになるが、本篇は色調を巧みにコントロールして、場面場面の統一感を絶妙に高めている。加えて、こちらもアカデミー賞候補に挙がっている、監督自らが手懸けたジャズ調の哀しげな音楽が、節度を以て情感を煽り、作品の力強さと品格とを同時に補っている。あまり細々と言及すると長引いてしまうため略すが、警察や、のちに登場する犯罪者に至るまで、脇役の作り込みも秀逸で、ひとりの母親の崇高なドラマをいっそう堅牢にしている。

許されざる者』でアカデミー賞を獲得して以降も着実に地歩を固めてきたクリント・イーストウッド監督であるが、それでもしばし緩みを感じさせることはあった。だが、『ミスティック・リバー』からのちはもはや隙さえ見いだせない作品ばかり発表しつづけている。本篇で改めて示したその映画作りの技は、大袈裟なようだが、もはや神の域に達している気さえした。

 その隙のなさが逆に憎らしくなるほど、まさに成熟しきった、大人の映画と呼ぶに相応しい1本である。

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