『デトロイト・メタル・シティ』

『デトロイト・メタル・シティ』

原作:若杉公徳(白泉社・刊) / 監督:李闘士男 / 脚本:大森美香 / 撮影監督:中山光一 / 照明:武藤要一 / 美術:安宅紀史 / 編集:田口拓也 / 衣装:高橋さやか / 録音:都弘道 / 音響効果:斎藤昌利 / 音楽:服部隆之 / 出演:松山ケンイチ加藤ローサ松雪泰子秋山竜次(ロバート)、細田よしひこ大倉孝二岡田義徳高橋一生鈴木一真宮崎美子ジーン・シモンズ / 配給:東宝

2008年日本作品 / 上映時間:1時間44分

2008年08月23日日本公開

公式サイト : http://www.go-to-dmc.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/08/23)



[粗筋]

 大分県の田舎町から東京の大学に進んだ根岸崇一(松山ケンイチ)が志すのは、小沢健二コーネリアスカヒミ・カリィのような渋谷系オシャレサウンドを体現したミュージシャンになること。大学では同好の士に恵まれ、とりわけ憧れている相川由利(加藤ローサ)に演奏を褒められたことから、本格的にプロを目指すようになった。

 やがて大学を卒業した根岸は、だが何故かオシャレサウンドとは程遠いデスメタル・バンドのヴォーカル兼ギタリストとして人気を博していた。デトロイト・メタル・シティ=通称DMCヨハネ・クラウザーII世が扱う歌のテーマは殺人やレイプといった犯罪行為、暴力的な音を奏で、金の長髪に白塗りを基調とした悪魔的メイクとコスチュームで破壊的なパフォーマンスを繰り広げる彼には、いつの間にか無茶苦茶な噂が立てられるようになっており、インディーズながら世間の良識派からは既に眉をひそめられ、他方で熱狂的な“信者”を量産している有様だった。

 彼をこの道に引きずり込んだ張本人である“デス・レコーズ”の社長(松雪泰子)は人気の高まりに歓喜しながらも、メイクを取るとあっさり貧弱な坊やに戻ってしまう根岸に苛立ちを禁じ得ないらしい。彼女の目を盗むように、本来志向するオシャレ・サウンドをストリートで演奏しながら、根岸は悶々としていた。

 そんななか根岸は、卒業以来連絡を取り合っていなかった相川と、DMCのイベントが行われるレコード店で偶然に再会する。少し話をする機会が得られたものの、そんな相川がDMCの音楽を忌み嫌っていることを知って、根岸は正体がバレないよう気づかいながら相川と接する。

 どうにかこうにか、代官山のお洒落な店でのデートまで漕ぎつけたが、その店をプロデュースするアサト(鈴木一真)という有名なオシャレ四天王のひとりに、根岸としての演奏を腐され激しいショックを受ける。その上、相変わらず生活態度が軟弱な彼を歯痒く思った社長に部屋を蹂躙され、押し倒され服装を“正されている”ところを、根岸を気づかって家を訪ねてきてくれた相川に目撃されてしまい、更に落胆するのだった。

 だが、そんな根岸の負の感情を注ぎ込んだ新曲『恨みはらさでおくべきか』が大ヒットを飛ばし、DMCの人気はいよいよ絶頂を迎える始末。根岸の苦悩の日々は続く……

[感想]

 著名人たちも嵌っていることで一挙に売り上げを伸ばした同題漫画の実写映画化である。原作は未だ手をつけていないが、同時期に製作・発売されたアニメ版の先行廉価版を観たり、おおまかに情報を収集したうえで鑑賞した。

 そもそも観ようと思ったきっかけは、若手では屈指のカメレオン俳優として存在感を示しつつある松山ケンイチが、本来はオシャレなポップスを志向しているのに、成り行きで凶悪な歌詞と悪魔風のメイクによるデスメタル・バンドで売れてしまう、という役柄を演じる、という点に惹かれたからだった。この若い才能の演技の振り幅を楽しむには格好の素材だ、と感じたのだが、その意味ではまったく期待を裏切っていない。やたらとナヨナヨした根岸のキャラクターが、メイクをし衣裳を着てステージに立つと一転して乱暴な物言いをするクラウザーさんに変貌し、かと思うとふとしたきっかけで気持ちのほうは根岸本来のものに戻ってしまい、メイクはクラウザーさんのままで表情が根岸に戻ってしまう、そのあたりのメリハリや趣向は絶妙だった。どちらも演技の中でキャラクターが確立されているからこそ活きてくるもので、いまこの作品を映画化するためには他に考えられない適役だっただろう。

 だが一方で、本篇の評価はちょっと難しいものがある。個人的にはとても楽しんだ、と言えるのだが、果たして誰しも受け入れられるかどうか。

 原作ファンにしてみれば、やはり松山ケンイチクラウザーさんというのはどうも、というレベルから首を傾げたくなる場合もあるだろう。それ以上に、作中で魅力的に描かれているはずのDMCによる楽曲や、痛々しさの代名詞のように扱われているはずの根岸本人の楽曲の、映画の中で登場する“実物”に違和感を禁じ得ないかも知れない。

 この点については、原作を知らない私も、事前にリリースされていた楽曲を部分的に聴いて危惧を抱いていたほどだった。DMCの楽曲は、率直に言ってデスメタルとしては力が弱い。三人組の編成にしては音の数が多すぎるし、メイン・ヴォーカルはデスメタルにしては迫力に欠ける。他方で、作中で「お遊戯はよそでやってくれ」などと罵られる根岸の楽曲が、どう聴いても普通に完成されていて批判されるほど酷くない、と感じるのも微妙だ。とりわけ後者は、作中で根岸の演奏に関心を示さない人々や、やたらと嫌悪感を示す様子に不自然さをもたらしてしまっている。

 そうした楽曲の出来もそうだが、原作を知らなくとも首を傾げる部分がある。様々な事件やイベントの構成要素に頻繁に無茶が覗いているのだ。インストア・イベントの最中に一番重要な出演者がああも何度も抜け出せば、それがクラウザーさんのキャラクターに合致しているとはいえさすがに不自然さが際立つし、社長の根岸に対する酷い仕打ちと、終盤での言動がいまいち一致していないのも気になる。そして何よりヒロインである相川由利があまりにも天然過ぎることだ。根岸が社長に暴行されている現場を目撃したときの反応もそうだし、明らかに彼女に色目を使っているアサトへの対処も世間知らずすぎる。特にクライマックスでのあの行動は、まがりなりにも音楽を中心に扱っている記者のそれではない。

 しかし、要は本篇は、人物の個性や状況をことごとく極端に研ぎ澄ましたファンタジーなのであり、ファンタジーであることを活かしたコメディなのだと、考えれば先に挙げた部分のほとんどは、格別批判するべきポイントとはならない。事実、クラウザーさんもそうだが、彼を創造したといっても過言ではない社長の破天荒なキャラクターやユニークなDMCのメンバーたち、また非現実的なレベルに達している相川さんの天然ぶりも、加藤ローサの容姿と雰囲気とうまく溶け込んで愛嬌として成立している。とりわけ、登場する場面は多くないが根岸の母親の包容力を表現する手管はただ事ではない。

 だが、そう踏まえた上でも問題はある。リアリティとファンタジーをどこで切り分けているのかがいまいち明瞭でないことだ。終始シュールなおかしみを狙ったコメディであれば不明瞭でも構わないが、原作はいざ知らず、この実写版では終盤の展開に明確なテーマが示されている。そこで社長らやDMCの信者たちが口にする真情と、どうやら原作を下敷きにしたらしい途中の出来事とで、主張が食い違っているように映るのである。なまじその主題が作品の題材と絶妙に合致しているように見受けられるからこそ、どうしてももったいなく感じられる。

 本篇の主題は、作中序盤で根岸が口にするフレーズ、「No Music, No Dream」に集約されている。要するに、すべてを夢という名のお約束だと承知しているからこそ成立するのである。そこを納得できなければ、まず楽しむこと自体難しいに違いない。

 それでも、この一線は許容するけどここは守りたい、という規則がいまいち明確でなかったのは失敗だろう。そこさえもっとはっきりしていれば、クライマックスの爽快感もいっそう高まっていたはずだ。松山ケンイチによる根岸=クラウザーさんを筆頭とする人物造型が見事であり、コメディ部分の形成やライヴの臨場感が素晴らしかっただけに、やはり惜しまれる。

 だが、そうしたところに強く拘りすぎなければ、きっちり組み上げられたキャラクターやユーモア、そして臨場感を充分に味わえるライヴ・シーンなどを虚心に楽しめることは請け合いだ。――むしろ、そういう欠点さえもファンタジーとして前提に置いていたのであれば、これほど徹底した作品も珍しい。少なくとも、作品にかける愛情と熱意は間違いなく隅々までみなぎっている、好感の持てる映画であった。

コメント

  1. 勇樹 より:

    クラウザーさん最高アレキサンダー・ジャギとカミュも、サイコーーー社長こわっ

タイトルとURLをコピーしました