『ハプニング』

『ハプニング』*1

原題:“The Happening” / 監督・脚本・製作・出演:M・ナイト・シャマラン / 製作:バリー・メンデル、サム・マーサー / 製作総指揮:ロニー・スクリューワーラー、ザリーナ・スクリューワーラー、ロジャー・バーンバウム、ゲイリー・バーバー / 撮影監督:タク・フジモト,ASC / プロダクション・デザイナー:ジェニーン・オッペウォール / 編集:コンラッド・バフ,A.C.E. / 衣装:ベッツィ・ハイマン / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:マーク・ウォルバーグ、ズーイー・デシャネルジョン・レグイザモ、アシュリン・サンチェス、ベティ・バックリー / ブラインディング・エッジ・ピクチャーズ製作 / 配給:20世紀フォックス

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:松浦美奈

2008年07月26日日本公開

公式サイト : http://www.thehappening.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2008/07/25)



[粗筋]

 始まりはニューヨーク、セントラル・パーク。いつものような和やかな日常が、一陣の風ののち、迸った悲鳴を合図に崩壊した。思い思いに時間を過ごしていた人々が突如動きを止め、自らを傷つけ死に赴いたのである。死はセントラル・パークから同心円を描いて一挙に蔓延し、都市を沈黙が覆っていった。

 折しもフィラデルフィアの高校で、ミツバチが忽然と姿を消した問題について生徒たちに語っていた化学教師のエリオット・ムーア(マーク・ウォルバーグ)は、副校長に授業を止められ、事態を知る。とりあえずフィラデルフィアに危機は迫っていないという話だったが、同僚で親友のジュリアン(ジョン・レグイザモ)に誘われて、彼の母が暮らすプリンストンに向かうことにする。エリオットは最近、妻のアルマ(ズーイー・デシャネル)との関係がぎこちなくなっていたが、とりあえず同じ電車に乗って、疎開を決める。

 だが、電車が出発して間もなく、目に見えない脅威がフィラデルフィアにも訪れたことを人々は知ることになる。ジュリアンは、渋滞に巻き込まれて出発を1本遅らせた妻の安否を心配しながらも、ひとり娘のジェス(アシュリン・サンチェス)を不安がらせぬよう気丈に振る舞う。

 そんなジュリアンの努力も虚しく、間もなく電車はエリオットたちが名前も知らないような小さな駅で突如停車する。エリオットの問いかけに乗務員たちは、行き先の駅との連絡が一切途絶えた、と応えた――正体不明の脅威は、既にそこまで蔓延していたのだ。地元のバーに集った乗客たちはテレビの報道で、被害が大都市から次第に中規模の都市へと拡がっていることを知る。そして間もなく、バーの電気も止まってしまった。

 ここでさえ安全ではない、と悟ったバーの客たちは、まだ安全であるはずの州境を目指して車で飛び出していく。エリオットも近くで農家を営む夫婦の厚意に預かることにしたが、そこでジュリアンは、妻の消息を探るべく、プリンストンに向かうとエリオットに告げた。彼が捕まえた車に乗れるのはあと一人だけ。

 かくて、ジュリアンからジェスを託され、エリオットはより安全な場所を目指して移動する。しかし、その行く手でエリオットたちが遭遇したのは、より絶望的な現実であった……

[感想]

 ……これから観る方の興を削がずに説明する方法に苦慮する作品である。ゆえに、恐縮ではあるが今回は終始曖昧な感想になってしまうことをお許しいただきたい。

 前作『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、ある意味では愉しい作品ではあったのだが、『シックス・センス』の才気や感動を求めていた観客には不満が多かっただろう。結局それは興収にも響いたようだが、もしそれで不安を抱いていたというなら、少なくとも完成度の点で『レディ〜』を上回っていることは保証する。

 劣っている点をひとつ挙げるとするなら、キャラクターがいまいち突出せず、物語にとって無意味と感じられる部分が多いことだろう。言ってみれば役割分担が主題であったあの作品と比較するのは酷だが、そうした面からのドラマの掘り下げが緩いことで不満を抱く向きは少なくないだろう。

 ただ本篇の場合、キャラクターが突出していない、どちらかというと平々凡々な人物像が多いことが、きちんと主題に奉仕していることは確かで、その意味で本篇の描写は間違っていない。要は受け止めようである。

 本篇において、未見の方にも力説しておいていい美点は、連鎖する死というヴィジュアルの克明な再現と、それが生み出す緊張と恐怖の巧みな表現だ。冒頭のセントラル・パークでの突然の惨劇に向かう話運び、それが別の都市に蔓延していく様子の巧みな織り交ぜ方、とりわけ工事中のビルの上階から次々に人が落ちていく姿と、フィラデルフィアに影響が及んだくだり、警察官の自殺から続くシークエンスは強烈である。これらのアイディアが後押しする、人々の恐慌と逃走劇の緊迫感は実に巧い。もともとシャマラン監督は、アイディアの有無を別として、緊張感や恐怖の表現に工夫を凝らす傾向にあったが、それが本篇に至っていよいよ洗練されてきた感がある。

 シャマラン監督が追求してきた“象徴主義”とも言える作風が、『レディ〜』ではある種明後日に向かってしまったような印象があったが、本篇では冷静さを取り戻し、インパクトを齎す表現など、実践したい要素を、観客を楽しませる――劇場にいるあいだ恐怖に浸らせる――ことに力を注いでおり、その意味で娯楽作品として正しい仕組みを恢復し、充分に目的を達した作品になっているだろう。

 だがそれでも、物足りなさを感じてしまうことを避けることは出来まい。『レディ〜』でさえも稚気や個性の発露と好意的に捉えられるような方であれば間違いなく堪能できるし、『ヴィレッジ』あたりは楽しめた、という方であればある程度の満足も期待できるだろう。それでも、とりあえずは――先入観抜きで観る努力をすべきかも知れない。

 シャマラン監督と言えば、ヒッチコックのひそみにならって、必ず自ら出演することでも知られている。ただ『サイン』や『レディ〜』では最重要人物と言ってもいいキャラクターに扮しているために、ファンでさえもその行動には微妙な印象を持っていたりするのだが、今回はその反省を踏まえてか極めて控え目である。

 見つけにくい、という情報だけは得ていたので、注意しつつ鑑賞していたのだが、私は最後まで解らなかった。で、帰宅後にプログラムを確認してみたところ――それは絶対に気づかない、という箇所での登場であった。

 ……毎回この程度なら、責められないだろうに。

*1:当日撮り忘れたため、この写真は26日に訪れた西新井の劇場で撮影したものです。

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