『ミラクル7号』

『ミラクル7号』

原題:“CJ7 長江7号” / 監督:チャウ・シンチー / 脚本:チャウ・シンチー、ヴィンセント・コク、サンディ・ショウ・ライキン、フォン・チーチャン、ラム・フォン / 製作:チュイ・ポーチュウ、ハン・サンピン、ヴィンセント・コク / アソシエイト・プロデューサー:コニー・ウォン / 撮影監督:プーン・ハンサン / プロダクション・デザイナー:オリヴァー・ウォン / 編集:アンジー・ラム / 衣装:ドーラ・ン / アクション・コレオグラファー:クー・ヒンチウ、ユエン・シンイー / VFX:メンフォンド・エレクトロニック・アート・アンド・コンピューター・デザイン / 音楽:レイモンド・ウォン / 出演:シュー・チャオ、チャウ・シンチー、キティ・チャン、リー・ションチン、フォン・ミンハン、ホアン・レイ、ヤオ・ウェンシュエ、ハン・ヨンホア、ラム・ジーチョン / 日本語吹替版声の出演:矢島晶子山寺宏一、魏涼子、塩屋浩三こおろぎさとみ / スター・オーヴァーシーズ製作 / 配給:Sony Pictures Entertainment

2008年中国作品 / 上映時間:1時間28分 / 日本語字幕:石田泰子 / 吹替翻訳:松崎広

2008年06月28日日本公開

公式サイト : http://www.miracle7.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/07/02)



[粗筋]

 ディッキー・チャウ(シュー・チャオ/矢島晶子)と父のティー(チャウ・シンチー山寺宏一)は廃墟同然の家に暮らし、靴などの生活必需品をゴミの再利用で賄うほどの貧乏人。だがティーは学はなくとも謹厳実直で、我が子に学ぶ機会を与えるために学費の高い名門小学校に通わせている。

 ディッキーもそんな父を尊敬して教えに従っていたが、金持ちで嫌味な同級生のジョニー(ホアン・レイ/田中真弓)が見せびらかした最先端のオモチャであるミラクル1号にどうしても心惹かれて、父にねだる。当然の如く駄目だと言われ、ディッキーはしばらく拗ねていたが、ティーもそんな我が子の想いを察して、代わりとなるオモチャをゴミ捨て場から捜して拾ってくる。それは、妙な突起のあるボールのようなものだった。

 父の真心を汲んでそれを“ミラクル7号”と名付け大切にしようとしたディッキーだったが、どう見ても使い物にならないつまらない代物。だがあるとき、そのボールは突如光を放ったかと思うと、頭はふさふさの体毛に覆われ、身体はまるで四本脚のスライムのような、犬にも似た奇妙な生き物に変貌した。

 やたら反応のいいこの生き物、ディッキーの見ている前で、拾ってきた傷んだ林檎を甘みのある新鮮なものに蘇らせたために、魔法を使える生き物だとディッキーは信じ込む。翌る日からのバラ色の生活を夢想して、浮かれるディッキーだったが……

[感想]

少林サッカー』をきっかけに国際的なフィルムメーカーになったチャウ・シンチーが、子供向けを志向して制作した最新作であるが、しかしいい意味でも悪い意味でも、彼の備えている個性は充分に留めた作品であった。

 日本でも大ヒットとなった『少林サッカー』や『カンフーハッスル』にしてもそうだが、チャウ・シンチー監督の作る映画というのは、主題やキャラクターの焦点がブレがちだ。『少林サッカー』では途中でいきなり意味の解らないミュージカル・パートが挿入され、『カンフーハッスル』では主人公が誰だか解らなくなるほど他のキャラクターの戦闘がクローズアップされてしまう、という具合だったが、本篇の場合、主人公であるディッキー少年の価値観や父親に対する意識が途中でまるで違ってしまうのだ。序盤では父のティーを尊敬し信頼しその価値観に従っている様子が窺えるが、同級生に見せびらかされたオモチャが店頭にあるのを発見するとあっさり子供らしい我が儘が発露する。実際の子供はそのくらいあっさりと変心するものだ、という捉え方もあるが、物語の中で見るとあまりに違和感が色濃く、戸惑いを感じさせる。そのブレのために、本来コメディであるにも拘わらず、随所で笑いを損なってしまう欠点もある。チャウ・シンチー監督の持ち味を“不条理”と説明する向きもあり、実際そういう傾向もあるが、こうしたブレは単純に“不条理”のひと言では処理しにくい。

 ただ本篇の場合は、そうした違和感や、突然『カンフーハッスル』を想起させるアクションを導入したり、といった本筋を外れたユーモアが、決して特異ではないプロットの本質を覆う煙幕の役割を果たしている側面もあって、一概に否定できない。そうすることで、提示されたものの軽視されていたモチーフが終盤で活きてくる過程において、普通の映画であれば予測できてしまうところをギリギリまで予見させない効果を上げており、油断していると思いの外利いてくる。

 また、そうした価値観などのブレは否めないものの、キャラクターがいずれも個性的で、いい具合にスパイスを効かせていることも事実だ。チャウ・シンチー映画の常連であるラム・ジーチョンたちは無論のこと、中心となる小学生たちも奇妙で見ていて愉しい。これはあとでプログラムを読んで知り驚いたのだが、そこには性別などに拘らない奔放なキャスティングにも起因しているようだ。主人公であるディッキー少年を女の子が演じているのは予備知識として知っていたが、ディッキーをいじめる同級生の少年ジョニーも女の子が演じており、そのジョニーの用心棒的役割を果たす巨漢を演じているのは23歳の女性、更にあることからディッキーに恋心を抱き、彼をしばし守ることになる巨体の少女を演じているのは何と男性のレスラーであるという。性別に拘らず、その個性を表現できる俳優を自由自在に配したキャスティングが、キャラクターの魅力をいっそう膨らませているようだ。

 実際、このディッキーという少年の備える魅力は凄まじい。価値観のブレは気になるところだが、細かな所作や表情の放つ香気や牽引力はただごとではない。なまじ本当の少年ではないからこそ装おうとする意識が少年としての魅力を強め、しかし細かな所作に覗く女性的な部分が不思議な色気となっている。そういうディッキーが披露する身振りのひとつひとつが印象的で、作品の中心として強烈な存在感を放っているのだ。――だからこそ価値観のブレが気になるところでもあるのだが。

 そして、異色の地球外生命体である“ミラクル7号”の造型も上手い。もう少し際立った特性を与え物語の中で活かしても良かったのでは、という嫌味もあるが、身体はスライムのように柔軟で頭だけ体毛がふさふさ、しばしば二足歩行もし、踊ったりポーズを決めたりもするこの生き物は、実写の世界ではほとんど類を見ない。途中の行動は『ドラえもん』からインスピレーションを得たといい、細かなところでは旧来のモチーフからの引用も窺えるが、しかしさすがにタイトルロールだけあって存在感は豊かだ。

 子供向けを志向したわりには、“ミラクル7号”を見たときの人々の行動が生物というよりオモチャに対するもので、そう考えてもあまりに極端すぎて、そういうのをジョークとして受け止められる大人でないとお薦めしづらい状況があったりするが、観ていてシンプルに「愉しい」と感じられる作品であるのも間違いない。『カンフーハッスル』が理屈抜きで楽しめたという方ならまず大丈夫、荒唐無稽でもあとにしこりを残さない終わり方ならOK、と割り切って娯楽として受け入れられる方ならばさらにお薦めの1本である。とりあえず、あの生き物が実写として活き活きと動き回っているさまを眺めるだけでも充分楽しめるはずだ。

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