『ミスト』

原題:“The Mist” / 原作:スティーヴン・キング『霧』 / 監督・脚本:フランク・ダラボン / 製作:フランク・ダラボン、リズ・グロッツァー / 共同製作:ランディ・リッチモンド、アンナ・ガルドゥーニョ、デニース・ヒューズ / 製作総指揮:ボブ・ワインスタインハーヴェイ・ワインスタイン、リチャード・サバースタイン / 撮影監督:ローン・シュミット / 美術:グレゴリー・メルトン / 編集:ハンター・M・ヴィア / 衣装:ジョヴァンナ・オットーブル=メルトン / VFX:CafeFX社 / 特殊効果監督:エヴェレット・バレル / 音楽:マーク・アイシャム / 出演:トーマス・ジェーンマーシャ・ゲイ・ハーデンローリー・ホールデンアンドレ・ブラウアー、トビー・ジョーンズウィリアム・サドラー、ジェフリー・デマン、フランシス・スタンハーゲン、アレクサ・タヴァロス、ネイサン・ギャンブル、クリス・オーウェン、サム・ウィットワー、ロバート・C・トレヴェイラー、デヴィッド・ジェンセン、ケリー・コリンズ・リンツ / ダークウッズ製作 / 配給:Broadmedia Studios Corporation

2007年アメリカ作品 / 上映時間:2時間5分 / 日本語字幕:松浦美奈

2008年05月10日日本公開

公式サイト : http://www.mistmovie.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2008/06/05)



[粗筋]

 アメリカのとある田舎町、湖の畔に暮らす画家のデヴィッド・トレイトン(トーマス・ジェーン)は、昨夜のうちに襲いかかった嵐の被害の後片付けに苦慮していた。父の代からある古木が窓を突き破り仕事の絵をぶち壊しにし、ボートハウスもまた隣人の樹によって押し潰されていた。隣人の弁護士ノートン(アンドレ・ブラウアー)とは浅からぬ因縁があったが、彼もまた車を押し潰されるという被害を受けており、この場合はお互い様だと、デヴィッドは買い出しの際、請われるままにノートンを同乗させる。

 停電も伴う中、街のスーパーマーケットは食糧や資材を買いに訪れる人でごった返していた。ノートンの助けも借りて品物を揃え、デヴィッドと息子のビリー(ネイサン・ギャンブル)がレジの列に着いたとき――スーパーマーケットの入口から、鼻血を流した男が飛び込んできて、叫んだ。

「霧の中に、何かがいる」

 店内の空気が凍りつく。ガラス張りの壁際に大勢が歩み寄り窺う先で、壁のように凝った霧の固まりが迫ってきて、スーパーマーケットを包みこむ。

 次の瞬間、店内を轟音が満たした。何かが建物の壁を叩き、ガラスはひび割れ、天井の脆い部分が崩れ落ち、陳列物が転倒する。……阿鼻叫喚の数分間ののち、訪れた静けさ。しかし依然としてガラスの外は濃密な霧に覆われ、わずか数メートル先も窺い知ることができない……

 携帯電話は不通、公衆電話も繋がらず、電気も止まったまま。怯えのためにビリーが熱を出し、デヴィッドは毛布代わりを求めて倉庫に踏み込む。自家発電機が怪しげな煙を噴き上げるなか、見遣った視線の先で、シャッターが激しい音を立てて震え、向こうから猛烈な圧力で押されるのを目撃した。

 倉庫から飛び出してきたデヴィッドは、近くにいたスーパーの関係者たちに状況を話すが、彼らは信じようとしない。一緒にふたたび倉庫に入っていったが、物音は既に止んだあとだった。技術者のジム(ウィリアム・サドラー)はむしろ発電機から出る煙を気にし、屋外の排気口を確認したい、と言い出す。デヴィッドは必死に止めるが、命を喪うような危険があるわけではない、と高を括ったジムたちは言うことを聞かなかった。

 発電を再開させ、電動式のシャッターが開く。いちばん若く血気盛んなノーム(クリス・オーウェン)が先頭に立ち、濃密な霧の中に飛び込もうとしたとき――それは忽然と、白い壁の中から出現した……

[感想]

 ホラー小説界の巨匠スティーブン・キング原作、フランク・ダラボン監督の組み合わせによる、3本目の長篇映画である。アメリカでの公開時、原作とは異なる結末が物議を醸し、賛否両論ありながらもそれゆえに高評価を得た本篇だが、知人が「予想の範囲内の結末」と言っていたために気になり、もともと鑑賞するつもりではいたが、ちょうど観るつもりの劇場での上映が今週いっぱいで一段落することを察知して、急ぎ駆けつけた次第である。

 確かにこの結末、ある程度映画や小説のホラーに接してきた人間であれば予測がつく。むしろ、最低1回は夢想した類の結末であろう。この原作・監督のコンビによる大ヒット作『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』で感動し、同じ系列のものと早合点して観に来たような人であれば度胆を抜かれ、複雑な想いを抱くことは確実だが、そうして意外性を喧伝されていたわりにはいささか拍子抜けという気がする。意外性を謳うのなら、もっと途方もないラストが欲しかったところだ。

 だが個人的にもっと引っ掛かったのは、作中登場するクリーチャーが、ハリウッドの定番的な造型からはみ出していない点である。およそ観客に強い印象を残しのちのちまで語り継がれるようなクリーチャーはどこかしら独創性を備えているものだが、本篇はあまりに類型的で、どうも曖昧なインパクトしか留めない。基本的に断片しか見せない手法を選んでいるだけに、そこから想像できるものが常識の範疇から計れないような苛烈なものを提示して欲しかった。監督はもともと化物映画を撮りたい、という願望を抱いていたようだが、ならば尚更である。

 と、否定意見ばかりひととおり連ねたが、しかし全体を通して眺めれば良作、作られた意義のある作品であると私は思う。ホラー愛好家にとっては予想の範囲内の結末であっても、一般的な観客にとっては馴染みが薄く衝撃的であり、これをハリウッドの資本と表現力で描ききり、公開にまで漕ぎつけたことは、それだけで賞賛に値する。

 また、本篇の狙いはそうした結末のカタルシスやクリーチャーの独創性よりも、得体の知れない霧によって閉じ込められた人々の恐怖と葛藤、そしてにわかに生じた小規模なコミュニティの中での狂気、それらが揺り起こす感情をこそ克明に描くことにあるのは明白で、その点からすればまったく不足のないシナリオと演出なのだ。

 父と子の絆であったり、親しい人々との会話、悲劇の中で再会した男女のドラマ、そして恐怖に駆られる人々の中に投げ込まれた、宗教に依存した冷静さと勇気の孕む危険など、いずれもホラーやパニック・サスペンスでは定番の要素に過ぎないが、そうしたものを過不足なく鏤め、丁寧にまとめ上げる手腕は、さすがにキングの信頼を得、長篇2作を感動作としてヒットに結びつけた監督らしい頼もしさがある。

 そうして要素を積み上げていった挙句にあの結末があるから、戦慄を齎す。ホラー愛好家にとっては決して意外でないラストでも、そこに結びつける台詞の選択や、さり気ない描写の与えるインパクトは秀逸である。なまじホラー映画に狂的に馴染んでしまった作り手が同じ結末を採用すると悪ふざけにもなりかねず、その点でも監督が緻密なドラマの終着点として、メジャー・レーベルの資本と技術力を駆使して完璧に描ききったことこそ重要なのだろう。

 なまじ、ホラー映画の宿すユーモア性や風刺性を理解している人ほど腑に落ちない点もあるだろうが、それでも映像や演出の質は認めざるを得ないはずだ。またむしろこの作品は、結末をどう捉えるにせよ、『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』に感動した、と言っている人ほど観る意味のある、見せる意味のある作品であると思う。

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