『紀元前1万年』

原題:“10,000 BC” / 監督:ローランド・エメリッヒ / 脚本:ローランド・エメリッヒハラルド・クローサー / 製作:マイケル・ウィマー、ローランド・エメリッヒ、マーク・ゴードン / 製作総指揮:ハラルド・クローサー、サラ・ブラッドショー、トム・カーノウスキー、トマス・タル、ウィリアム・フェイ / 撮影監督:ウエリ・スタイガー,A.S.C. / 美術:ジャン=ヴァンサン・ピュゾ / 編集:アレクサンダー・バーナー / 衣装:オーディール・ディックス=ミロー、レネー・エイプリル / 音楽:ハラルド・クローサー、トマス・ワンダー / 出演:スティーヴン・ストレート、カミーラ・ベルクリフ・カーティス / セントロポリス製作 / 配給:Warner Bros.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:アンゼたかし

2008年04月26日日本公開

公式サイト : http://www.10000bc-movie.net/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/05/09)



[粗筋]

 ……いまを遡ること、12000年ほど昔の物語。

 深い山の中で生活していた狩猟の一族は、変化のときを予感していた。預言の巫女は間もなく最後の狩りの日が訪れ、それを境に一族はこれまでと違った生き方を選ぶこととなる、と告げる。それを牽引していくのは、ひとりの勇気ある男――最後の狩りでマナクを倒した男であり、彼と、集落のそばで“四本脚の悪魔”の襲撃に遭い、ひとり生き残って引き取られた蒼い眼の少女エバレットとが結ばれ、その夫婦を中心にして一族は栄えていくという。

 やがてエバレット(カミーラ・ベル)が成長して、最後の狩りのときが近づいてきた。身寄りのないエバレットは、やはり身寄りのないデレー(スティーヴン・ストレート)と幼い頃から惹かれあっていた。デレーの父は一族の頂点を示す白い槍の継承者だったが、ある日忽然と姿を眩まし、一族存亡の危機に仲間を捨てて逃げた、として蔑まれ、デレー自身も裏切り者の息子として肩身の狭い日々を送っている。そんな彼にとって最後の狩りは、裏切り者の息子という汚名を払拭し、同時にエバレットと晴れて結ばれる権利を得る最初にして最後の好機だった。

 やがて集落に、大量のマナクの群れが訪れた。初めての本格的な狩りを前に、デレーもライバルのカレンも戸惑い、巨大な生き物に翻弄されるが、最終的に勝利したのはデレーだった――彼は単独でマナクを仕留めたのである。

 周囲が賞賛する中、だがデレーの心は晴れなかった。何故なら、マナクを倒せたのは偶然に過ぎなかったから。ひとり逃げ遅れ、武器の扱いもろくに出来ない彼の槍に、偶然マナクが自ら倒れ込んできただけだったのだ。苦しんだ挙句、デレーは彼の父に代わり白い槍を受け継いだティクティク(クリフ・カーティス)からいったん受け取った槍を返し、エバレットにもそのことを告白する。初めて褥を共にするはずだったその夜、エバレットは彼女を養った巫女のもとで眠り、デレーは離れた岩陰でひとり煩悶する。

 ……そこへ、遂に一族の命運を変える者たちが訪れる。“四本脚の悪魔”――馬に跨った軍勢が集落を襲い、多くの男達とエバレットを生け捕りに連れ去っていったのである。

 エバレットを救うため、デレーは襲撃者たちの追跡を申し出た。彼とティクティク、ライバルであったカレン、そして当初は引き留められたが勝手についてきたバク。4人は、越えることが困難だと言われてきた山を越え、襲撃者たちを追う……

[感想]

 映像構築の仕方は『300<スリー・ハンドレッド>』を、物語の骨格は『アポカリプト』を咄嗟に想起させる本編だが、率直に言えば、両方を足して2.5ぐらいで割ったような出来、と感じた。

 最大の問題は、冒険物として骨格が単純すぎるうえ、そこに迫力があまり伴っていないことだ。預言によって示された英雄の出現とその伴侶の指名、それによって描かれる恋愛ドラマも凡庸なら、追跡劇も安易に襲撃するというくだりがない分リアルではあるが、駆け引きはほとんど行われず出来事の直接的な迫力がなければ紆余曲折に乏しい、と言わざるを得ない。

 最大の原因は、預言者の能力と現実の出来事との匙加減が曖昧すぎる点だろう。現実に則して描いている、と捉えるには預言者の能力はあまりに空想的で、いちおう原題と地続きになる話を綴っているというよりは、あくまでファンタジーという印象を強く齎してしまう。前述の2作品にも預言者や古代の宗教は描かれているが、その影響する範囲はきっちりと区切られていたり、影響力を悪用する者を皮肉に描き出したりすることで、主人公たちの確かな志を表現していることを考えると、ほとんどの出来事を運命に還元しかねないこの物語はどうも力不足に思える。

 また、最新鋭の映像技術を駆使して緻密に再現された昔の大動物たちの完成度は確かに優れているが、『300』や『シン・シティ』などと比較すると統一感に欠き、そのまんま突き出されたような素っ気なさを感じてしまう。製作者たちが何よりも力を注いだというマナク=マンモスの表現は迫真の質を備えていたが、サーベルタイガーあたりには幾分不自然さがつきまとっていたのも気に懸かる。

 だがこれらは、たまたま近接した時期に似通った物語、制作手法を用いた作品があったからこそ余計に強く感じることで、技術力を駆使した娯楽映画としてはかなり整った仕上がりになっているのも事実だ。主要登場人物の少なさに大して拘わる人間が多いためにどうしても御都合主義的に見えてしまうが、神秘的な要素と現実的な要素を折り合わせて組み立てた伏線が周到にエピソードを繋いでいるので、全体での乱れはない。特に、行方をくらましたデレーの父と、さらわれたエバレットを巡る出来事の数々が終盤で活きてくるあたりの呼吸は巧い。圧倒的に秀でている、というわけではないが、よく勉強を重ねて、最小限の人物でも話が進むように工夫してある、いい意味での単純化が効いているのだ。

 良作と比較すれば見劣りはするものの、しかし現在棲息しない生物たちの表現の完成度が高く、音響の助力もあって迫力に富んでいることは疑いない。序盤と終盤とで描かれる、大量のマンモスたちの躍動する様は、大画面でこそ堪能できる仕上がりと言えよう。

 キーマンに蒼い瞳の白人少女を設定したあたりにハリウッドにありがちな白人優位の思考を感じさせてしまうとか、いちおうは現代と地続きになっているはずなのにあの終わり方では断絶が生じてしまうのでは、とか細かく違和感があり、物語の周辺で骨格の脆さを感じさせてしまうのが残念だが、映像のインパクト、シンプルな物語ならではの解りやすさと爽快感とに魅力を感じるような人であれば充分に楽しめるはずだ。

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