『ノーカントリー』

原題:“No Country for Old Men” / 原作:コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』(扶桑社ミステリー・刊) / 監督・脚色:ジョエル・コーエンイーサン・コーエン / 製作:ジョエル・コーエンイーサン・コーエンスコット・ルーディン / 製作総指揮:ロバート・グラフ、マーク・ロイバル / アソシエイト・プロデューサー:デヴィッド・ディリベルト / 撮影監督:ロジャー・ディーキンス,A.S.C.,B.S.C. / 美術:ジェス・ゴンコール / 編集:ロデリック・ジェインズ(ジョエル・コーエンイーサン・コーエン) / 衣装:メアリー・ゾフレス / 音響編集スーパーヴァイザー:スキップ・リーヴゼイ / 音楽:カーター・バウエル / 出演:トミー・リー・ジョーンズハビエル・バルデムジョシュ・ブローリンウディ・ハレルソンケリー・マクドナルド、ギャレット・ディラハント、テス・ハーパー、バリー・コービン、スティーヴン・ルート、ロジャー・ボイス、ベス・グラント、アナ・リーダー / マイク・ゾス製作 / 配給:Paramount Pictures×Showgate

2007年アメリカ作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:松崎広

2008年03月15日日本公開

公式サイト : http://www.nocountry.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/03/15)



[粗筋]

 テキサスの郊外で、狩猟をしていたルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、荒野で無数の屍体を発見する。どうやら麻薬取引がこじれた挙句、銃撃戦に至ったようで、生存者は現場にただ一人、その男でさえ命は長くないようだった。他の生存者がいないか、注意しながら移動したモスは、小高い丘の木陰で息絶えた男の傍に、大金を詰め込んだ鞄を発見する。発作的に、しかし当然のようにモスは、その金を着服してしまう。

 金を妻カーラ・ジーン(ケリー・マクドナルド)と暮らすトレーラー・ハウスにいちど隠したモスは、突如魔が差して、現場でひとり生き残っていた男に水を汲んで持っていくが、当然男は既に死んでおり、代わりに金と麻薬を回収するためにやって来た男達に見つかってしまう。銃弾の雨に晒されながら、辛くも逃げ延びたモスは、妻に実家へ戻るように命じると、単身逃避行に身を投じた。

 そんな彼に対して、組織が放った回収屋は、アントン・シガー(ハビエル・バルデム)――一度は警察に捕らえられたが、隙をついて警官を殺害して逃走すると、屠殺用の空気銃と手製のサイレンサーを取り付けた散弾銃を武器に、邪魔になる者を次々に手にかけてモスに肉薄する。

 テキサスからメキシコ国境際の町に及ぶ連続殺人を追うのは、40年近く保安官を務めるエドトム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)。しかし彼は、長年の経験で量りようのない事件の性格と犯人像に翻弄され、為す術がない。どうにかモスが最悪の出来事に巻き込まれていることを察すると、身を隠したカーラ・ジーンに接触し、警察に投降するよう伝えて欲しいと頼むが……

[感想]

 もともとスタイリッシュ、かつ皮肉なおかしみを湛えた犯罪ものやノワールを中心に作り続け、映画ファンの間では評価の高かったコーエン兄弟だが、意外にも原作つきというものはこれが初めてであるという。しかし、その初の挑戦でアカデミー賞主要4部門を筆頭に様々な映画賞に輝いている。非常に相性のいい作品に巡り逢えた、ということもあるだろうが、極めて残酷ながら描かれた主題に奥行きのある原作をうまく消化し、内容を巧みに整理整頓して、最も活きる方法で完璧に作りあげたが故の成果と言えよう。

 表現としての理論に違いがある以上、映画に原作通りを求めること自体があまり現実的ではないのだが、しかし本篇は再現性、消化率が驚異的なレベルに達しており、あらかじめ原作を読んでから鑑賞しても何ら問題を感じない。むしろ、淡々とした銃撃戦や暴力描写の細部をよく咀嚼し、著しい緊迫感に結びつけていった手管に感嘆させられる。

 コーエン兄弟というと、音楽にもこだわりを持って取捨選択をしているイメージが強いが、本篇はそれを極限まで抑制している。オープニングや、場面の大きな切り替わり以外でBGMを用いず、登場人物の呼吸や衣擦れの音、そして緊迫した場面では足音や撃鉄に指をかける音、そして銃撃音といったものを意識して描くことで、場の緊張感がこれまでにないほど生々しく感じられるようになった。ナレーションでさえ最小限に抑えられているため、特異な武器やその準備過程についても説明がないのだが、絵と共にこうした音によって凶器の性質が克明に描き出されているので、直感的にその凶悪さや恐怖が理解できる。こと、屠殺用の空気銃という映画史でも稀に見る凶器のインパクトは著しい。

 だがしかし何よりも、それを用いている殺し屋アントン・シガーの存在感が素晴らしいのだ。冒頭、いきなり捕縛された状態で登場しながら、即座に警官を殺害して逃走、手段として車を乗り換えるために、躊躇なく殺人を犯していく。ぶっきらぼうながら知性を感じさせ、常軌を逸しているようでいてその言動には筋が通っている。このさながら神が寄越した“死の天使”の如き男を、おかっぱに似た髪型に蒼白い顔色、普段は無表情なのに思わぬところで薄気味の悪い笑顔を浮かべる、といった異様な肉付けで演じきったハビエル・バルデムの印象はあまりに鮮烈だ。アカデミー賞助演男優賞受賞が選考前から有力視されていたのも宜なるかな、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター以来の悪役と評されるのも当然と言えよう。

 しかしこの作品、単純に傑出した悪役との対決を描いたスリラー、と捉えるのは早計である。

 まずアントン・シガーというキャラクターにしてからが、躊躇なく人を殺すがしかしそこにきちんとルールが存在しており、実はこれに抵触しない人間は殺していない趣がある。確かに無関係なのに巻き込まれた人間も少なくないが、しかしシガーにとっては重大な意味があり、宣伝文句で綴られているほど絶対的な悪、とは捉えがたい――その価値観と信念が常人の理解を超越していることは事実だが。

 そしてもうひとつ、物語が佳境に入っていくと、戦いの駆け引きによる緊張感を描くことよりも、序盤での描写を踏まえて、結果のみを示したり、僅かに仄めかす、という方向へと表現が移行していく。ことここに至って、作品の印象はそれまでの不条理さをいっそう強調していく。スリラーとしての雰囲気は残しながらも、一種哲学的な内容に変化していくのだ。

 極まった挙句のラストシーンについて、「観客を置き去りにしている」といった評価を聞いたことがあるが、しかし私はそうは思わなかった。むしろメッセージは明白だろう。難解だと思うなら、改めて原題と向き合っていただきたい――“No Country for Old Men”つまり“老人の住む国ではない”。本篇で描かれているのは、古い経験や価値観が無効化され、理解の困難になった世界そのものである。一連の出来事を経てベル保安官がある決意を固めた動機が、ラストシーンの述懐に籠められているのだ。

 当然ながら、これは私の解釈に過ぎない。実際にはもっと別の捉え方が存在するのだろう――だがいずれにせよ、多様な解釈を認めるこの物語は、スリラーではあるが単純にその枠で収めていい作品ではない。

 何よりも本篇は、その表現の仕込みの巧さが並大抵ではない。とりわけ終盤、ある人物の前に出没したシガーとその挙措の巧妙さには、気づいた瞬間虚しさと共に感動さえ覚えるはずだ。積み上げてきた描写があるからこそ、実際には描かれていない出来事がまざまざと脳裏に浮かぶ、豊潤な表現力。スリラーとして、娯楽映画の要件をきっちり満たしながらも、映画表現として驚異的な完成度を成し遂げた、まさしく奇跡の傑作である。

 ――と、内容的にまったく文句のない、アカデミー賞4冠も納得の出来なのだが、幾つか気になったことがある。

 まず、シガーの殺しを描いたいちばん最初の場面。ここでは凶器を警官に押さえられているため、手錠を使って絞め殺すという格好になっているのだが、このときのハビエル・バルデムの顔が――お笑い芸人のワッキーに見えて仕方なかった。異様さと狂気とが混在した最初の見せ場なのだが、苦笑いせずにいられなかった。

 そしてもうひとつ。これは日本での公開が決まった頃からあちこちでさんざん言われてきたことだろうが――邦題があまりに酷すぎる。こんなふうに縮めてその意味を無効化するくらいなら、芸がなくても『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』とそのままカタカナにしてしまったほうがまだましだった。邦題のイメージの貧困化が叫ばれて久しいが、これなどは特に悪い例であると思う。

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