『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』

池袋シネマ・ロサ、2階にあるスクリーンへと向かう階段手前に掲示された『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』ポスター。
池袋シネマ・ロサ、2階にあるスクリーンへと向かう階段手前に掲示された『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』ポスター。

構成、演出&ナレーション:中村義洋 / 製作:張江肇、鈴木ワタル / プロデューサー:張江暁、岩村修 / 撮影:川島周 / 演出補:男鹿悠太、木勢まりあ、久木香里奈 / 演出助手:石川真吾、渡辺凌駕 / 編集:石川真吾 / 演出協力:藤本裕貴 / 音楽&音響効果:ボン / 製作:日本スカイウェイ、コピーライツファクトリー / 配給:NSW
2023年日本作品 / 上映時間:1時間37分 2023年7月28日日本公開
公式サイト : https://honnoro100.broadway-web.com/
池袋シネマ・ロサにて初見(2023/7/29) ※舞台挨拶つき上映


[粗筋]
 2022年4月、『ほんとにあった!呪いのビデオ96』に収録される予定のナレーションを吹き込んでいた中村義洋は、不意に言葉を止めてしまう。そこで採り上げていた映像に見覚えがある、というのだ。
 問題の映像を投稿したのは、長野在住の大学生。突如、AirDropで送信されてきた謎の動画だという。はじめは主婦層を中心としたと思しいバスケチームの試合映像だったが、突如として切り替わり、異様に赤い映像の中で神棚や仮面、達磨の顔や魚の目らしきものが映り込んでいる。
 中村がこれに酷似した映像を見たのは、シリーズ第3巻のときだった。第1巻から第7巻まで演出を担当していた中村は、その映像を採用するつもりで編集を進めていた。しかし、投稿者であった高校生は、母親に借りたビデオテープを無断で投稿していたことが判明したため、採用が見送られたのだ。
 だが中村は、バスケの試合から切り替わった不気味な映像の部分が、記憶よりも赤くなっている、という。いったいどのような経緯でこの映像は現在の投稿者のもとに届いたのか、疑問に感じたスタッフ一同は、調査を開始する。
 メインのスタッフは、夏場に連続してリリースされる新作の取材に多忙であるため、新たに演出補として木勢まりあを起用した。彼女はまず、24年前に映像を投稿した高校生の住所を訪ねるが、そこには既に関係のない人物が住んでいた。木勢は周辺住民にかつての投稿者とその一家の行方を聞き込みするが、如何せん24年も昔で、すぐには行方は解らなかった。
 一方、中村は現在の『ほん呪』演出の藤本裕貴らとともに、今回の投稿者にリモートでインタビューを行った。すると、あの映像を見て以来、投稿者は身辺に奇妙な気配を感じるようになった、という。常に誰かに見つめられている感覚に襲われる、というのだ。しかも、この件について取材を行っている木勢も、同様の恐怖を感じているという。
 ある日、木勢が接触した周辺住民から、24年前の投稿者が長野に転居していた、という情報をもたらされる。奇しくもそこは、今回の投稿者である大学生の現住所に近い。スタッフは現地に赴く必要性を感じた。
 折しも、夏の恒例となっている連続リリースのため、多忙を極める藤本たちに代わり、長年ナレーターに専念し現場にタッチしなかった中村が、自ら現地に向かうことになった――


『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』公開記念舞台挨拶のフォトセッション。左から男鹿悠太演出補、藤本裕貴演出協力、木勢まりあ演出補、中村義洋演出。
『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』公開記念舞台挨拶のフォトセッション。左から男鹿悠太演出補、藤本裕貴演出協力、木勢まりあ演出補、中村義洋演出。


[感想]
『リング』の大ヒットから日本にホラー旋風が吹き荒れるなか、ビデオオリジナル作品として『ほんとにあった!呪いのビデオ』は始まった。一般人が偶然に撮影してしまった、怪現象を捉えた映像を紹介し、一部は検証や追跡調査を行いその背景、恐怖の源泉を辿っていくスタイルは人気を博し、いわゆる“心霊ドキュメンタリー”と呼ばれるフォロワー作品が大量に生まれるきっかけを作った。そしてその元祖たるこのシリーズも着実に巻を重ね、24年目にして遂にナンバリング100に到達するに至った――実際には、以前に扱った怪奇映像と繋がるエピソードなどを採り上げていた《Special》やオリジナルの劇場作品として製作された《THE MOVIE》など、ナンバリングから漏れている作品が多数あるので、累計としてはとうに100を超えているが、いずれにしてもひとつのオリジナルビデオシリーズが24年にわたって継続してリリースされている、というのはやはり驚くべきことだろう。
 このシリーズは演出担当が何度も入れ替わっており、2022年リリースの95巻からは藤本裕貴が担当しているが、本作のみは中村義洋が演出を手懸けている。長年追ってきたファンとしては、これが既に感慨深い――なにせ中村義洋は、端緒となる第1作から第7作および『ほんとにあった!呪いのビデオSpecial』の8本を手懸け、シリーズの雛型を作った人物である。途中からはナレーションも担当、これは続く演出担当も踏襲し、「とでも、言うのだろうか」というフレーズと共に、長年にわたってシリーズの象徴ともなっている。
 ゆえに、記念すべきナンバリング3桁到達の新作が、中村義洋演出による劇場版としてリリースされる、というのは予想の範囲内ではあった。演出として離脱したのちは、伊坂幸太郎作品の映画化を皮切りに多数の作品をヒットに導く正統派の映画監督になっていた氏が、どのように描き出すのか、期待と不安をないまぜに劇場に赴いたのだが――やはり、その経験値の豊かさは伊達ではなかった。間違いなく、シリーズ歴代の作品の中でも屈指の仕上がりであった。
 導入はいつもの『ほん呪』だが、粗筋に記したように、中村は突如口籠もり、いま出てきた動画に見覚えがある、と言い出す。自身が演出として携わっていた時期に似たような、ただ微妙に印象の異なる映像を眼にした覚えがある、と口にしたことをきっかけに、実に1年にも及ぶ追跡、“呪い”としか言えないような状況との戦いが記録されていく。
 これがまさに、まるで導かれたかのように、『ほん呪』というシリーズと、それが寄り添ってきた日本の歴史を織り込んだような、24年間を凝縮した展開を見せていくのだ。中村がくだんの映像に接したのは、シリーズが誕生した最初の年、そして浮かび上がってくる“呪い”は否応なしに、我々の記憶にも新しい災厄を思い起こさせる。随所に鏤められたモチーフにも符合がちらつくあたり、まさに本篇で選ばれるべき素材だったのだろう。
 シリーズの他の作品のように、複数の投稿映像を紹介していくスタイルではなく、きっかけとなる動画の内容をざっと説明したあとは、ひたすらにその出所と背景を探っていくだけなのだが、この語り口の面白さが見事だ。現在の大学生が入手した映像と、24年前の高校生が投稿とはどのように繋がるのか、中村の記憶と現在の映像との齟齬はどこから生じたのか? 24年前の映像が不採用となった経緯も、投稿者の行方を辿るのに難儀するのも、決して怪異が絡んでおらず、怖さそのものは感じないが、前提も相俟って、不気味な気配を漂わせたサスペンスの趣がある。思わぬところから新情報が飛び込んできたり、ようやく辿り着いた関係者の話から意外な事実が明らかとなり、盛んに状況が変わるのにも異様に惹きつけられる。撮影期間が長期に及んだ分、素材が豊富だった、という事情もありそうだが、映像、情報の取捨選択が絶妙で、さすがに第一線で活躍する監督ならではの技倆である。
 そういう意味で唸らされるのは、恐怖を取り扱いながら、きちんと笑いも鏤めて、適度に観客の緊張を緩和させる隙を生んでいることだ。これはメジャーなホラー映画においても押さえられている手法で、この緩和がテンポを生むとともに、コントラストによって恐怖を際立たせる。しかも本篇の場合、その笑いの部分を中村監督が自らの間抜けな部分、情けない部分を晒したところから抽出しているのが面白い。現役で演出を担当していた当時にも、中村監督自身が調査の場でカメラの前に立つことはあったが、こういう姿は見せていない。中村監督が演出として着任していた頃には既に、映像のみを紹介したものと、検証や追跡取材を施したエピソードが混在する構成の基本が出来ており、各々に割くことの出来る尺が短かったために、自分の姿を撮したり笑いを取ったり、という余裕はなかったとも考えられるが、ツボを弁えた巧みな笑いの誘い方は、いわゆる“心霊ドキュメンタリー”における表現の広がりを意識しつつ、映像作家としての成熟ぶりを象徴しているように思えてならない。
 意外な成り行きから大元となるビデオテープの誕生、そして現在の在処が判明すると、お約束のように危険な香りのする場所へ突入する任務が生じるのだが、ここでの描写も無数の小技が効いており、オーソドックスなのに見応えがある。やはり随所で擽りをしかけつつも、観客も感じ取ってしまいそうな怪しい気配を醸し、そして目的のものへと辿り着く。ここでの展開、見せ方も圧巻というほかない。なおかつ、この取材映像にも異変が起きているのだから、持っている、と言おうか、抜かりがないと言おうか。
 だが本篇の何よりも侮りがたいのは、その締め括りだ。いちおうの解決を見たあとでの後日談は、心霊ドキュメンタリーの終幕とは思えない和やかさなのだが、実はよく観ると違和感がある。そこに登場しているスタッフのひとりの表情にも、なにか不審を感じている気配があるが、本篇はそこを敢えて深く追求することなく幕を下ろす。私には、このくだりこそいちばん恐ろしく思える。
 なぜ劇中で明確に触れなかったのか。問題のスタッフ以外は特に勘づいていなかった、とすると、その違和感に絡んだ要素の取り扱いが不自然だし、エピローグでここまで採り上げる意味が乏しい。だが敢えて追求しなかったのも、一連の経緯を考えれば頷けるし、またここから先は“怪奇映像を紹介し、その背景を追求する”“心霊ドキュメンタリー”という本篇の領域から外れてしまう。だから妥当ではあるが、だからこそ歯がゆく、そしてそこに秘めた闇がじっとりと怖い。
 このシリーズは、店舗でビデオを借りる、という文化のなかでこそ許容され、多くのフォロワーを生み拡散していった、という背景があり、このレンタルビデオ、レンタルDVDという文化が配信という視聴スタイルにシェアを奪われつつある昨今、果たしてどこまで巻数を伸ばしていくことが出来るのかは不透明になってきた。しかし、中村監督に『ノロイ』や『コワすぎ!』の白石晃士監督らを輩出しながらナンバリング100巻まで積み重ねてきたことは、間違いなくサブカルチャーの一時代に刻みこんだ大きな足跡だ。その歴史と手法を100分足らずに凝縮し、単独の作品としても成立させた本篇は、極めて価値のあるホラーの傑作である。シリーズを長年愛してきたひとはむろん、本当に身近に迫ってくるような恐怖を求めているシリーズ未鑑賞の方にもお薦めしたい。


関連作品:
ほんとにあった!呪いのビデオ リング編』/『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE』/『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE2』/『ほんとにあった!呪いのビデオ55
Booth ブース』/『アヒルと鴨のコインロッカー』/『白ゆき姫殺人事件』/『鬼談百景』/『残穢 -住んではいけない部屋-
怪談新耳袋Gメン ラスト・ツアー』/『三茶のポルターガイスト』/『ノロイ』/『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 【最終章】』/『パラノイアック PARANOIAC』/『劇場版 稲川怪談 かたりべ

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